最終話:和歌山ラーメン 丸三
京都で泊まった翌日の夕方頃、なぜか俺たちは和歌山にいた。和歌山市にあるそこそこ有名らしいラーメン屋。休日の昼頃にはすごく並ぶらしいけど、平日夕方という中途半端な時間だからか比較的空いていた。
店先から既に豚骨の独特な匂いが漂ってきていて、お腹がすくような少し胃もたれするような感覚になりながら、ラーメンを待つ。
目の前には、卵とお寿司が積まれている。
「和歌山ラーメンって、なれ寿司と一緒に食べるんよ」
「なれ寿司って言うんやこれ」
「食べた分を後で払うシステムやから食べてもええよ」
そう言いながら、夢愛姉はひとつ目のなれ寿司の包装を剥いている。俺もと手を伸ばし、包装を剥くと、酢の匂いがツンと鼻をつく。不快感は全くなく、うまそうな匂いだ。
見る限り鯖っぽい。一口食べると、酢でしめられたさっぱりとした魚と押し固められた酢飯の風味が口いっぱいに広がっていく。魚の旨味も凝縮されていて、これはとても美味い。
ラーメンと一緒に食べるものとしても、かなり良さそうだ。店先で漂ってきた匂いからして、結構濃厚なラーメンっぽいからこういうあっさりとしたものはよく合うだろう。
そんなことを考えていると、ラーメンが運ばれてきた。和歌山ラーメンは醤油豚骨らしい。昔ながらの中華そばという見た目だけど、ここにしっかりと豚骨があると思うと少し面白い。
一口すすると、濃厚な豚骨の旨味が麺と一緒に口中を駆けていく。醤油らしさも感じられて、濃厚なんだけど意外とさっぱりと食べられるような感じだ。
濃厚豚骨ドロドロスープという感じでは、全くない。店先で漂ってきた匂いには正直言って臭みも感じられたけど、このラーメンには一切の臭みが感じられない。
めちゃくちゃうまい。
そして、思った通り、なれ寿司に合いすぎる。
夢愛姉も夢中でラーメンとなれ寿司を交互に食べていた。
ラーメンを前に、会話は無用ということなんだろう。それは俺もそう思う。
結局、ラーメンは一瞬で食べ終えた。なれ寿司を二つ食べてラーメンを一杯、お腹はいっぱいのはずなのに、どこか物足りなさを覚えている自分がいる。
これが和歌山ラーメンとなれ寿司のコンボの魔力なんだろう。チャーハンじゃなくて、なれ寿司という押し寿司を一緒に食べるというのは妙に納得ができる。
一緒に食べてこそ、和歌山ラーメンは完成するんだろう。
「はあ、おいしかった!」
「めちゃくちゃ美味かったなあ」
店を出て、ため息交じりに感想を言い合う。最後に食べたゆで卵が秀逸だったとか、なれ寿司にドハマリしそうだとか。
なんとなく、この旅もそろそろ終わりかという気がしてしまった。なぜそう思ったのかはわからないけど、とにかくそんな気がした。
しばらく歩いて紀三井寺駅に行って電車に乗り、かなりの時間をかけて白浜駅に着いた。同じ和歌山県内なのに、2時間近くかかったし何なら特急にも乗るのだから驚きだ。
「なんで白浜? パンダ?」
「いやこの時間やで」
「じゃあ海か」
本当はわかっているのに、旅を終わらせたくなくて、色々な選択肢を模索してしまう。白浜と言えば、パンダも海も有名だ。パンダに関しては日本で一番生まれているし、アメリカの動物園が中国にパンダの育て方を聞いたら中国の人が日本のアドベンチャーワールドに聞けと言ったとか言ってないとかいう話もある。
白浜とパンダは、オールウェイズトゥギャザーなのだ。
ただ、もう一つ、色々な意味で有名な場所がある。
白浜駅で降りて適当にぶらついていると、もう夜もかなり遅い時間になった。そこからタクシーに乗り、夢愛姉が告げたのはやっぱり例の場所。
タクシー運転手が訝しげに俺たちを見てから、出発した。
目的地は、三段壁。
そして、恐らく、俺たちの旅の終着点だ。
断崖絶壁のある場所。近年は恋人の聖地という露骨なテコ入れをしているけど、元々は自殺の名所として知られていた場所だ。
とうとう、来てしまった。断崖絶壁付近にはいのちの電話の看板があって、人が簡単に落ちないようにご丁寧に柵まで作られている。かつて、ここにはかなりの人数の自殺志願者が訪れたらしい。
恋人の聖地となってからも、たまに来るのだそうだ。
断崖絶壁の前で、夢愛姉が俺に振り向く。寂しそうな、悲しそうな笑顔だった。
「結愛くん」
「なに?」
「ここまで付き合ってくれてありがとうね」
「ええんよ、俺も楽しかったし」
ふふふ、と夢愛姉が笑う。しっとりとした笑みに、心がキュッと締め付けられた。
夢愛姉の旅の目的は、心中だ。
それはずっとわかっていた。世界は夢愛姉にはあまりにも厳しくて、そんなときに俺が実の両親に殺されかけたことがあって、彼女はこう思ったらしい。
こんなにいい子にも世界は厳しいのか。
俺はそれほどいい子ではないと思うが、とにかく夢愛姉はそれで自殺を考えるようになったのだそうだ。元々、中高で虐められていた頃から朧げにはあったんだろうけど、願望が具体化したのはそれがきっかけ。
俺も、夢愛姉が生きるつもりがないのなら、こんな世界に未練はない。
そう思ったから、ここにいる。
だけど、違う。
「夢愛姉」
「ん?」
「旅、楽しかった?」
「うん、めっちゃくちゃ楽しかった」
夢愛姉が、また微笑んだ。寂しさでも、悲しさでもない、心からの笑顔に見える。それでも、夢愛姉はここに来た。家に帰ることも、旅を続けることもせず、こんなところに来た。
「ねえ、結愛くんは?」
「楽しかったよ」
「……そか」
俺は一歩、断崖へと踏み出した。
「夢愛姉、愛してるよ」
「うん、私も――」
俺と同じように断崖へ一歩踏み出そうとする夢愛姉の手を思い切り引っ張り、その勢いを利用して断崖の向こう側へと飛び込む。ちらりと、夢愛姉の驚いたような顔が見えた。
良かった、彼女はまだあっち側にいる。
「結愛くん!」
夢愛姉の叫びと共に、俺は意識を手放し……損ねた。背中に強烈な痛みを感じる。断崖から飛び降りたのに、なぜか俺は岩の上に寝ているらしい。崖の上から夢愛姉が覗き込んでいるのが見える。
スマホで電話をしている。助けを呼んでいるのか。
「ちくしょう……」
かっこよく死ねると思ったのになあ。俺が死んでみせれば、夢愛姉も考えを改めてくれるとか思ってたのになあ……。
崖の上から涙を流して俺を見る夢愛姉がいる。
ああ、そうか、思い違いだったのか。
「バカ! なにしてんの!」
「だっ……! いてて……」
叫ぼうとしたら、背骨が痛くて声が出なかった。
だって夢愛姉が死ぬとか言うから。
いや、違うな、これはカッコつけだ。本当に死にたかったのは、本当に一番死にたがっていたのは、きっと俺なんだ。夢愛姉はきっと、ここに来て俺を説得するつもりだったんだろう。
彼女はこの旅で、十分救われていたのかもしれない。
「ああ、バカだなあ、俺……」
馬鹿すぎて涙も出てきてくれないし、夢愛姉はめちゃくちゃ泣いてるし……。背骨痛いし。
「ああ背骨痛い」
背骨が痛くて、というか全身が痛くて動けなくて、だけど頭だけはしっかりと回る。どうしようもなく生きていて、なんだかもう全部がバカバカしい。
「アホくさ」
家庭環境のことで死を考えたのも、夢愛姉みたいないい人にも世界は厳しくて絶望してしまったのも、なんかもう全部アホくさいな。だって俺達は美味いもんを美味いと感じられて、痛いときに痛いって言えるんだから。
色々な人に助け出された俺は病院に運ばれ、背骨が折れているという当たり前のことを言われた。それもまたなんだかアホくさくて、思わず笑いがこみ上げるけど、背骨が痛くて笑えない。
病院のベッドに寝かされた深夜、俺は心のなかで笑いながら夢愛姉が隣で診てくれているのを見てから眠りに落ちた。
終。
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