第2話:ミニヨンとむっちゃん万十、ごまさば
博多駅に降り立ち改札を降りた俺たちを待ち受けたのは、やけに香ばしい匂いだった。バターと小麦粉の焼けたような芳醇な香りが、駅に充満している。
これは危険だと思い隣を見ると、夢愛姉が口からよだれを垂らしていた。
「行くよ、結愛くん」
「ん? どこに?」
首を傾げる俺の手を引いて、夢愛姉はずんずん進んでいく。
足を止めたのは、駅内にあるミニクロワッサン屋だった。ミニヨンというらしいその店は、明らかにこの香ばしい匂いの元凶である。
こうして、到着したばかりの観光客を誘き出しているんだろう。周到に用意された罠にかかった夢愛姉は、まるでコバエホイホイに群がるコバエのようだ。
結局ミニクロワッサンを購入し、新幹線の中で予約したホテルまでの道中で食べることになった。歩きながら食べるのは些か行儀が悪いとは思うが、餌を前にした夢愛姉が我慢できるはずもなく、一口また一口とクロワッサンを口に放り込んでいく。
「うまい! サクッとした表面に歯切れのいい生地で、バターの風味がジュワッと広がる!」
やけに饒舌だなあ……。
しかし、ひとつ食べてみると同じような感想を抱いた。これはとてもうまい。バターの風味はしっかりするけど、生地から染み出してくるような感じではなく、生地に練り込まれたものが香ってくるという感じだ。
くどくなくて、食べやすく、一口また一口と放り込んでいく気持ちがわかる。
「次はむっちゃん食べよ」
「むっちゃん?」
「まんじゅうや」
え? ホテルに行くんじゃないの?
そう思う俺を他所に、夢愛姉は踵を返してバスターミナルに向かった。
赤ちょうちんに「むっちゃんまんじゅう」と書かれているのが見える。黄色い看板が、どことなく郷愁を誘う。夢愛姉は一度家族で来たことがあるらしいけど、俺にとっては未知の街のはずなのに郷愁というのはおかしいが、とにかくそんな感じだ。
家族旅行なんて、俺には縁が無いものだったけど、こうして夢愛姉と旅行するのは悪くない。たとえ、目的が褒められたものではなかったとしても。
「ほら、結愛くんのも買ったから食べよ」
渡されたのは、なんか魚? みたいな形をしているまんじゅうだ。たいやきみたいな見た目だけど、明らかに鯛じゃない。
「むっちゃんってなんなん?」
「ん? 確かムツゴロウやっけなあ」
「ムツゴロウ……」
脳内に、動物を猫なで声で撫で回しまくるおじさんが浮かんだので、頭を振る。無事消えてくれたから、むっちゃん万十に齧り付いた。
ん? なんだこれ。
皮の部分はほんのり甘いのに、中身は酸味と塩味が……。あんこじゃないのか。
視線を手元のむっちゃん万十に落とすと、小さな卵焼きとハムとマヨネーズが見えた。まさかのおかず系だ。
びっくりしたけど、正体が分かれば普通に美味しいな。
「次はこっちね」
「お、おう」
「私も食べよー!」
渡されるがままに齧り付くと、今度はなにか繊維質を感じる。あと甘辛い味付けにまたマヨネーズ?
見ると、豚の角煮っぽいのが見えた。メニューを見てみると、「とんとん」と書かれたのがある。人気沸騰中らしい。これもかなりおいしい。角煮の味付けが程よく甘辛いからか、本来和菓子系の味付けである生地によく合う。
メニューを見るとカスタードなどの定番もあるらしいが、おかず系のほうが人気があるらしかった。これは納得だ。
見た目はたいやきっぽいと思ったけど、実際食べてみるとこれはベビーカステラみたいな生地で、パンケーキっぽくもある。パンケーキはおかずにも甘いものにも合うから、そう考えると合理的な食べ物だ。
夢愛姉も、幸せそうに目を細めて食べている。
こんな夢愛姉の顔、久しぶりに見たな。
「はー、美味かったあ!」
「そりゃよかったよ」
「ほな、ホテルに荷物預けてご飯行くか!」
「え?」
まだ、食べるのか……。
今日だけでどれくらいのカロリーを摂取するつもりなんだろう。
いや、でも、カロリーというのは生きるのに必要なものだ。それを貪欲に求める夢愛姉というのは、俺にとっては悪くはない。むしろ、いい感じかもしれない。
少なくとも、人間にとって当たり前のハングリーさを無くしてしまうよりは、ずっといい。
ホテルには本当に部屋に荷物を置くだけで、すぐに街に出た。少し歩いて寿司屋が見えたから、夢愛姉が吸い込まれるように入って行く。ここまできたらとことん付き合うか、と腹をくくって入店した。
カウンター越しに注文するタイプの寿司屋。人生初の回らない寿司だ。
「あ、えと……とりあえず、博多の森とごまさば二つください」
夢愛姉が、聞き慣れない料理を頼んだ。博多の森というのは、お酒だろう。知らんけど。
「おちょこは二つですか?」
「ふ、二つで」
ん? 二つ?
「ねえ、夢愛姉、俺未成年……」
コソッと耳打ちすると、夢愛姉の肩が震える。
「耳弱いねんから囁かんとってよ」
「ごめんごめん、で二つって?」
「まあ……今日くらいええやろ? 飲みな」
夢愛姉がカウンターを見つめて言った言葉が、妙に腑に落ちた。確かに、こんな旅行の日くらいは少しくらい悪くなってもいのかもしれない。旅の恥はかき捨てと言うが、旅の罪もまた旅先に置いていくものなのか。
まあ、俺たちは全てを旅先に置いていくつもりで来ているわけだが。
運ばれてきた博多の森を注いで、夢愛姉が飲み干す。俺もそれを見習って、クイッとおちょこを傾けた。思ったよりも飲みやすく、肩透かしを食らった気分だ。
ちょっと喉が熱いくらいで、むせたりはしないんだな。
「飲みやすいやろ?」
「うん、辛口な感じするけどスッキリしてるね」
「淡麗ってやつやで、知らんけど」
「知らんのかい」
適当な会話をしていると、ごまさばが運ばれてきた。食べやすく切られた青魚の刺身に、タレと胡麻がかかっている。ごまさばというくらいだから、この魚は鯖だろう。鯖を生で食べるなんて、はじめての経験だ。
たしか、普通は鯖は生食ダメなんじゃなかったか。鮮度があればいけるんだろうか。
「ん~! やっぱ美味いわこれ」
夢愛姉が目を細め、高い声を出している。
そんなに美味しいならとひとくち食べてみると、本当に美味しい。脂身が少なくサッパリとした鯖の旨味が、ぎゅっと凝縮されている。ゴマダレは醤油ベースだろうか、胡麻の風味が鯖の旨味を後押ししているように感じられるし、胡麻があるからよりサッパリしている。
タレは甘い醤油という感じで、少しまったりとした感じもある。
そう言えば、九州の醤油は甘いって聞いたことがあったっけ。誰から聞いたんだったっけな。夢愛姉だったかもしれないし、違うかもしれない。
それにしても……お酒にも合うけど、これは白米でも食べてみたいな。
「な? 美味いやろ?」
はにかむ夢愛姉に、サムズアップを返した。
「お寿司も食べようね、結愛くん」
「割とお腹いっぱいなんやけども」
「割とってことはまだ入るやんな? な?」
そんな、請うような視線を送らないでほしい。請われても媚びられても、お腹は空いてはくれない。
だけど、夢愛姉にそんな明るく可愛い顔で見つめられたら、食べるわけにはいかないじゃないか。静かに頷きを返すと、夢愛姉は寿司をたくさん注文した。
寿司は、どれも美味しかった。博多はラーメンとうどんとモツ鍋のイメージだったけど、どうやら海鮮もかなり美味しいらしい。
今更だけど、新しい発見が出来てよかった。
少しは希望が見えてくる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます