関西弁の食いしん坊系お姉さんと旅行するだけ
鴻上ヒロ
第1話:旅立ちと神戸牛ステーキ駅弁
本棚に並ぶ本を眺め、一息つく。普段聞こえる大きな声も音もなく、静かな俺の部屋。棚の中央に鎮座するフィリップ・K・ディックを隅に追いやり、代わりに太宰治を入れる。
それから意味もなく、進路相談用紙を広げて、これまた意味もなくため息をついてみる。罫線と最初から書かれているゴシック体以外には何もない用紙をくしゃくしゃに丸め、ゴミ箱に放り投げてみるも、入らずイラッとする。
こんなことの積み重ねが、人生だというのだろうかと哲学的問答を自分自身にしてみるも、俺がわからないことが自分自身から返ってくるはずもなく、天井を見上げ、ひとつのシミを見つけた。
「しょうもな、何やってんねん自分」
「やっほー」
聞き慣れた声に振り返ると、いつの間にか開いたらしい扉の前に夢愛姉が腕を組んで立っている。
「いつの間に?」
「迎えに来たでー」
湿り気を帯びた夢愛姉の声に、眉間にシワが寄る。
ああそうだった、今日出かけるんだった。
「準備は……昨日しとったわ」
「知っとる。そこにデカいバッグあるしね」
夢愛姉が、ベッドのすぐそばに置かれたリュックを指した。
リュックを拾い上げ、背負うとパンパンに張ったリュックの重みに膝が少し揺れる。
「そんな装備で大丈夫なん?」
「大丈夫」
「そこは問題ないまで言わんと」
「足りんなったらホテルで洗うとかランドリー行くとかしたらええし」
今日、俺たちは旅に出る。旅とは言っても数カ月間出かけるわけではなく、単なる旅行だ。憂さ晴らしと言ってもいいし、自分探しと言ってもいいかもしれない。よく自分探しにインドに行く人がいるけど、俺達はインドへは行かない。
日本人だから、インドじゃ自分は見つからないだろう。
「で、どこ行くんやっけ」
俺が聞くと、夢愛姉はゆっくりと首を傾げた。
「ん? ああ、福岡行くで」
「なんで福岡?」
「うまいもん沢山あるからに決まっとるやん?」
笑顔で言うけど、別に決まってはいないと思う。そりゃあ、夢愛姉は昔から食い意地が張っていて、ハングリー精神も旺盛だけど、だからと言って決まってはいないだろう。美味しいもの以外にも、たくさんあるだろうに。
まあ、美味しいもの以外何があるか知らんけど。
「ほな行くで、結愛くん」
「おっけー」
二人で電車に乗り新幹線の出る駅まで行き、博多行きの新幹線に乗り込む。当日の自由席だけど、平日だからか、かなり空いていて、二人で並んで座れた。他の席には、まばらにしか乗客がいない。
出張か出張帰りかのどちらかであろうスーツ姿の男女が数名と、老齢の女性が一人だけ。なんとなく、落ち着く車内だ。
夢愛姉は早速、駅で買った弁当を広げる。俺の分まで、もう出していた。まだ出発してもいないのに。
「なあ、駅弁早すぎひん?」
「えー? だってまだ二つあるで」
確かに、夢愛姉は三食分買っていた。俺の分は目の前にある神戸牛ステーキ弁当だけだけど、夢愛姉は幕の内と神戸牛と神戸ポークの三種類で迷って、結局三種類買ったんだった。
「食べ過ぎやろ……博多グルメ入らんなるで」
言うと、夢愛姉は笑う。
「大丈夫大丈夫、別腹や」
「いや甘いもんちゃうねんから」
「結愛くん、知っとるか?」
「何を?」
「弁当と外食と自炊はそれぞれ別腹なんよ……そして、駅弁はいくら食べても太らんねん」
いや、太るやろ。
そう思う僕をよそに、夢愛姉は「いただきまーす」と笑顔で手を合わせていた。俺は肩をすくめながら、「いただきます」と手を合わせる。
弁当だから冷めているけど、神戸牛は冷めていてもうまいらしい。柔らかくも肉厚で、肉を食べているという実感が湧く。
サッパリとしつつどこか濃厚なソースのおかげで、一瞬で無くなってしまった。
しかし、俺が弁当ひとつを平らげる間に、夢愛姉はもう三つ目の幕の内弁当に手を付けていた。暴食のバケモンかよ。
「いやあ、美味かったなあ」
まだ神戸を出てすぐだというのに、三食を胃袋におさめた夢愛姉。窓の外を見る横顔がとても綺麗で儚くて、だけどぽっこり膨らんだお腹からは彼女の生をハッキリと感じられる。
不思議な気分の俺を乗せた新幹線は、一歩一歩と恐るべき速さで博多に向かった。
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