人魚が死んだ後
加藤那由多
人魚が死んだ後
母が死んだ。79歳、病死。
最初は癌だったが、それからいろいろ発症して、詳しい死因は医者にもわからないそうだ。
とにかく母が死んだ。それだけは間違いない。
母は死ぬ前に遺言を書いていた。書くだけじゃ飽き足らず、私が母の元を訪れる度に何度も何度も言っていた。
「わたしが死んだら遺灰は海に撒くこと」
私の母は他の何よりも遺灰の行方を気にしていた。普通に考えたら疑問だが、私はその理由をよく知っている。
母は人魚だから。
もちろん、母が鱗が生えているのを見たことがない。足を生やした普通の人間。
ただの自称。自称人魚。
でも、幼い私はそれを信じたし、母の海での生活を目を輝かせて聞いていた。
だから最期まで母はそれを貫いた。
いい母だったと思う。
「
「持ったー」
「うん」
七歳になった長男の海斗と五歳の朱海がそれぞれの返事をする。
「今日は電車で海行くから、お利口さんでいるんだよ」
「はーい」
「うん」
ショルダーバッグに遺灰を入れて、二人の手を握って家を出た。
幸い電車は空いていたし、海斗と朱海も大人しく座っていた。ストレスも少ないままで電車を乗り換え、ようやく目的の駅に着いた。
その駅は少し高台にあって、ホームから海が見えた。
「うみー」
朱海が叫ぶ。今日何しに来たのかわかっていないようだ。まぁ仕方ないけど。
「行くよ。はしゃぎすぎてホームから落ちないようにね」
それから少し歩き、ぐずる二人にジュースを買い与えながら浜辺へ足を踏み入れた。
私はショルダーバッグから袋を三つ取り出す。中には母を細かく砕いた遺灰が入っている。
私は子供たちに一つずつ渡すと、これからやることを伝えた。
「ちょっと前におばあちゃんが死んじゃったのは覚えてる?」
「うん」
「この袋の中にはね、そのおばあちゃんが入ってるの」
「でも、おばあちゃんはこんなに小さくなかったよ」
海斗がそう指摘する。
「うん。死んじゃったから、小さくなったんだ」
「変なの」
「今日はね、この中のおばあちゃんを海に撒くの」
「なんで?」
今度は朱海が訊いてくる。
「おばあちゃんのお願いだからだよ」
そこまで言うと二人は納得してくれたようで、袋を開けて中を覗き込んだりしている。
「いい? こうやるんだよ」
私は袋の中身を海に向かってばら撒いた。
二人も真似するが、足元に固まって落ちてしまっている。
それから、三人で手を合わせた。
「遺灰ですか?」
帰ろうかという時、この辺りを散歩していたお婆さんに声をかけられた。二人の子供は砂遊びに夢中だ。
「は、はい。決してゴミを捨てていたわけでは……」
「あら、別にそんなこと疑ってないわ。あたしの友達にも、死んだら遺灰を海に撒いてほしいって子がいてね。やったことがあるのよ」
お婆さんが一人で喋り、その後しばしの沈黙。それから次に喋ったのはまたお婆さんだった。
「まぁその子の他にもそうしてほしいって言った子はいたけど、やったのは一回だけだったわね。うん、あなたのお母さんもそう言ってた」
「母のことをご存知なんですか?」
私は急に母の話をしてきたお婆さんを警戒するよりも先に好奇心でそう訊いてしまった。
「ええ、彼女がまだ海に住んでいた頃からの友達よ。あたしは魔女なの。彼女に人間の脚をプレゼントしたのはあたしなのよ」
魔女、人間の脚。おとぎばなしの人魚姫に似ていると思った。
人間の王子に恋した人魚が魔女に人間にしてもらう話。その代わりにその人魚は声を失った。
「あたしは魔女だからなんとなくあなたが何を考えてるかわかるけど、そんな酷いことはしないわ。あたしたちは友達だったから」
「じゃあ、本当にあなたが魔女で、母を人間にしてあげたいのなら、なんでか訊いてもいいですか?」
お婆さんは簡単なことだ、とでも言うように笑う。
「それはね、あたしたちが友達で、あたしが友達の願いを叶えてあげたかったからよ。彼女は人間を好きになった。それから、定期的にあたしの元へ来ては一時的な変化の術でその人間に会いに行った。それからしばらくして、彼女はあなたを身籠った。その時よ、彼女があたしに人間として生きたいって言ったのは」
「……お母さん」
「見ず知らずのお婆さんにそんなこと言われても困るだけだろうけど、あなたに彼女のことを話したかった。きっと母になった今のあなたなら、彼女の気持ちをわかってくれると思ったから」
お婆さんは手を振って去っていった。
「じゃあね。彼女もあなたみたいな娘がいて幸せだったわね。そしてあなたの子供たちも、あなたみたいな母がいて幸せよ」
結局、あのお婆さんが本物の魔女かはわからない。ただ母が生前雇った魔女役のただのお婆さんかもしれない。
だけど、死んでなお私の夢を壊さないでいようとする母が、なんとなく恋しく思えた。
人魚が死んだ後 加藤那由多 @Tanakayuuto
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