思惑

 豪商が四人、がらんとした商館の広間で打ち合わせをしている。ネーゲルは騎士コルムと向き合い、卓に着いていた。狂人ディアミドの代理騎士だ。広間には薔薇の香りが立ち込めている。豪商たちはあらかじめ薔薇水で木の床を清め、壁掛けの布を湿した。話題が糞漬けの人肉についてだからだろう。

 コルムが卓に巻物を広げた。喉の古傷のせいで口の端が引きつっている。

「こちらが実験結果です。配合は樽一杯につき塩二割、糞が一割。疑いも抱かず食い、その後の体調も問題なし。腹を裂いて消化の具合も確かめました。わが主人は驚かれていましたよ。糞漬けにしようと提案したのはあなたなのだとか」

「ボーム殿はいらっしゃらないのですか」

「わが主人が糞屋の組合長に任命したのですが、ボーム様はお気に召さなかったようで。仕事をほったらかしにし、エイデンに向かわれました。王に会うのだとか」

「ではいまは、あなたが」

「だれかが手を汚さなければ、世は成り立ちません。日々実験台を処理しておりますので、糞集めくらいは苦ではありません」

 口調に誇りがにじみ出ている。悪魔が仕事をできるのは自分のおかげだ、とでも言いたげに。実際そのとおりだ。世にはこういう男もいる。

 ネーゲルは巻物に目を落とした。糞の配合と生存数が並んでいる。ボームもイーファと手を組んでいるのだろうか。イーファは〈少年〉たちを率い、教会を糾弾し、悪の元凶ディアミドを処刑する。おそらく婚姻を餌に、兄を連れ出せなどと言ったのだろう。ボームはあの頭脳明晰な男をどのようにして騙すつもりか。面識はないが、まちがいなく半端者だ。それなりの男であればどこかで挨拶くらいはしている。となれば、イーファの策はすでに破綻している。

 豪商四人が音頭を取り、解散した。主要な部分は固まったようだ。純粋に商売の話なのでこちらは関係ない。

 めいめい思案げな顔で広間を歩きまわる。ひとりが立ち止まり、言った。

「たしかにお百姓には、いいものをたくさん食べてもらうべきだ。善行ですよ、大修道院長」

 ネーゲルはうなずいた。〈苦行派〉修道会にも思惑はある。分院は開墾を進め、収穫高は毎年着実に増えている。だが町や都に暮らす民が多すぎる。耕す者はいつも割を食う。

 別の豪商が口を開いた。

「すると、領主どももいまのうちに押さえておくべきだな。収穫が増えても、増えたぶんだけ持っていくだろう」

「慣習を文書にまとめればいい。以後ちょろまかしはできなくなる」

「素直に言うことを聞くはずがない」

 視線が集まる。みな罪滅ぼしをしたがっている。百姓などどうでもいいと思っているくせに。

「教会が、領主たちの剣を聖別します。つまり、〈旧式〉の武器ではない、と聖界がお墨つきを与えるわけです。こじつけもいいところですが、こぞって馳せ参じるでしょう。その代わりとして文書を作成すればいい」

 再び豪商たちが歩きまわる。

「〈新たな肉〉は、精肉組合に属さない軽食屋が出す。肉だとはだれも言っていないでしょう、というわけだ」

「精肉組合は保険をかけたのだな」

「問題は、いくばくかのカネを持つ者が食い、命を縮めるだけ、ということだ。これでは財が世に出まわらない。肉屋と話をしなければ。そもそもだれが決めた」

「いまは肉屋には逆らえない。こちらも肉にされてしまうぞ」

 うつろな笑いが広間に消えた。ネーゲルは口を挟んだ。

「エクスの聖堂参事会が、まともな肉を買い占めます。値は上がり、もっと上の層、多少裕福な者も〈新たな肉〉を食うようになるでしょう」

「そうしましょう。我慢比べだな。あなたも了承しますか」

「仕方がない。それで、いつやめる」

「大人が手に入らなくなったら、いったん終わる」

「入市税を上げ、商流も止めよう。人口を把握できなくなる。だがどうするか」

 足音のみが響き渡る。人はどこまで強欲になれるかの実験でもある。

 ネーゲルは立ち上がり、告げた。

「罪悪を感じていらっしゃるのであれば、院にお越しなさい。ともに祈りましょう」

「結構です。それより地獄の道案内を頼みますよ」

 いっせいに笑った。今回、大人たちは五百やってきた。近々千五百ほどが追加で来る。行列には加えず、商船に閉じ込めた。酒さえ与えればおとなしくなる。あとは肉屋と〈少年〉たちの仕事だ。

 表が騒がしくなってきた。市庁舎広場では二百ほどの〈少年〉が飯を食っている。ネーゲルは立ち上がり、扉に向かった。


 フェールは青毛の軍馬を駆り、市庁舎広場に入った。

〈少年〉たちは広場の中央に固まり、すわっていた。群衆と修道士の一団が遠巻きに取り囲んでいる。

 修道士が野太い声で言った。

「〈少年〉よ、悪魔の武器を捨てなさい。われわれは受け入れる。院で一晩過ごし、今後の生き方を考えなさい」

 反応はない。修道士はよく通る声で再び呼ばわった。群衆は捨てろと怒鳴る。これも茶番だ。〈苦行派〉の善行を群衆に見せるだけの演技。この世にはまともに見るべきものがあるのだろうか。

 フェールは群衆を押し分け、中心に向かった。イーファはいない。うまくいくかどうかは完全に自分次第だ。

 群衆から抜け出た。フェールは長剣を抜き、掲げた。〈少年〉たちはすでに気づいている。飯を食う手を止め、怪訝そうに見上げている。打ち合わせどおり、修道士たちは止めない。

 外縁を常歩で巡りながら呼びかける。

「おれはフェール。フュートの砦で隊長を務めていた。〈王国〉に行き、王ユードの軍に入るつもりだ。また戦ができるぞ。おれについてこい」

 何度も呼びかける。一人が言った。

「なあ、兵士が途中で、大人をどっかに連れてったんだ。本当に大人を殺して塩漬けにするのか。ほんとなのか」

「おれも聞いた。聖アンナの大修道院長ネーゲル、エクスの司教ミリアス、これら聖なるお方が仕組んだことなのだとか。だが仕方のないことだ。これが世だ。受け入れろ」

〈少年〉数人が怒りの声を上げた。坊さんを殺せ。それを機に好き勝手に騒ぎはじめた。いつか見た光景。フェールは声を張り上げ、繰り返した。王ユードの軍に入る。戦をする。ついてこい。

 イーファは言った。千もの阿呆が一枚岩になれるはずもない。おまえが神だとしてもだ。ならばどうする。

「おれは非情な世を受け入れた。〈王国〉に行く。戦ができるぞ」

「教会と戦おうぜ。坊主どもを斬り殺してやる」

「聖アンナの大修道院長ネーゲル、エクスの司教ミリアス。これらが大人たちを民に食わせようとしているのだとか。だが仕方のないことだ。受け入れろ。戦をするぞ」

 失望の声。賛同の声も上がる。意見はさらに分かれていく。口論がはじまる。だがとくになにかを考えているわけではない。思いつきでしゃべっているだけだ。

 フェールは繰り返す。群衆もざわめきだした。面と向かって話すと頑として聞き入れないが、噂話には飛びつく。あつあつの情報を抱えたら、次はだれかに話したくて仕方がなくなる。噂はどんどん広がっていく。王女様はなんでも知っている。

 広場一の巨大な建物に差しかかった。商館というらしい。市の日、商人たちは中で取引し、支払いを済ませる。

「聖アンナの大修道院長ネーゲル、エクスの司教ミリアス。これら聖なるお方が仕組んだことなのだとか。大人を民に食わせようとしているのだとか。だが仕方のないことだ。受け入れろ。戦をするぞ」

 ネーゲルが玄関前に立っていた。わずかにうろたえている。

 すれちがいざまフェールに言った。

「全員連れていく約束だったはずだ」

「だからがんばって説得してる。おれ、隊長に向いてないのかな」

 怒った〈少年〉たちが大勢ニーヴンに残る。中には頭のおかしなやつもいるだろう。せいぜい観察し、記録するといい。神の計画を中止したくなったら、いつでも話を聞く。

 まじめそうな〈少年〉が立ち上がり、言った。

「おれは戦をしたい。どうすればいい」

「輪から外れろ。ほかにはいないか。民はこれから人の肉を食う。だが仕方のないことだ。受け入れろ。〈王国〉に行くぞ。戦だ」

〈少年〉がネーゲルを殺せと叫んだ。非道を許すわけにはいかない。やがてそこここで合唱がはじまった。もうめちゃくちゃだ。こうなるとだれにも止められない。危険を感じたのか、群衆がちらほらと帰っていく。

 ネーゲルはおびえた様子で商館に駆け込んだ。権力は恐怖を操る。エクスのときのお返しだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る