戦の段取り
夜。腕相撲をしていると、戸口からバジャルドが顔をのぞかせた。
「ネーゲルさんが来た。正直に話したけど、怒らなかった。呼んでもいいか」
「頼む」
バジャルドは踵を返し、廊下の奥に消えた。斧刃がどんと突き出し、しばらく壁を切り裂いたあと引っ込んだ。怒らなかったのはあれのせいだろう。
イーファは背筋を伸ばし、太腿に手を添えている。連敗して卓を殴りまくっていた女が王女の顔に戻っている。
「大修道院長自らが来るとはな。エミリアはどう説得したのか」
「罪悪感があるからだろう? ここで味方にできれば」
エミリアが静かに入ってきた。振り向き、丁重に導く。ネーゲルはフードを肩に乗せ、目深にかぶっていた。蝋燭受けを手に、儀式めいた足取りで一歩ずつ進む。
卓の前に立ち、蝋燭を置き、フードを下ろした。いかめしい顔があらわれる。口を固く結び、こめかみと顎にやたらと力を入れている。同じ坊さんでもミリアスとはちがう。たしかに善人に見える。
しばらくフェールをにらみつけたあと、イーファに頭を下げた。
「お久しぶりでございます、殿下。ご無事でなによりです」
「捕虜の身ではございますが、丁重に扱ってもらっております、大修道院長。いずれは〈王国〉に帰してくれる、とのこと」
フェールは笑わないようしっかりと口を閉じた。同じ人間とは思えない。
ネーゲルは言葉を探るように瞳を揺らしている。
「つまり、〈旧式〉の軍とともに、でしょうか」
イーファは狼の瞳をエミリアに向けた。エミリアは冷たい表情で前を向いている。はじめて会ったときと同じ顔。
「では捕虜であるわたしから、こちらの〈少年〉を紹介いたします。名はフュートの砦のフェール。心は純粋、世をひとつも知りません。ですが知る必要のある世もあってこそ。とくにいまの世は、たいへん穢れておりますので」
フェールは見よう見まねで頭を下げた。ネーゲルは優しい声音で語りかけた。
「ご自分の立場はわかっていますね」
「ミリアスが殺したがってる。あんたもかな」
「言葉に気をつけなさい。兵が下に詰めている。わたしがひとこと声を上げれば、あなたと仲間を捕らえに来ますよ」
「全員死ぬだけだ」
「あなたにはできない」
「そうだ。だからひとりで来たんだろう? フェアファドの書物で学んで知ってたから。警備兵はいない。捕まえるならわざわざ話をしに来る必要はない」
「あなたもいろいろと学ばれたようだ」
「神の計画がいやになったのか。だったら」
ネーゲルはイーファに顔を向けた。
「いくら兵を集めても、強大な軍勢を結成しても、戦にはならないのです。神の平和はご存じでしょう」
「わたしの願いはただひとつ、父の汚名をそそぎ、わが一族の威信を取り戻すことでございます」
「普段の言葉遣いで結構です」
「そうか。まあ、戦はできよう。わが兵士は〈少年〉たちだけではない。そなたらが育て上げた敬虔な民もだ。計画を知れば黙ってはおらんぞ」
「教会と戦われるつもりなのですか」
「勝利すれば少なくとも五分だ。王は糾弾する。公の場で謝罪させる」
「王ご自身が反対されるでしょう」
フェールは口を挟んだ。
「あんな計画、長くつづくはずがない。欠点があるとか、そういうことを言いたいんじゃない。つづけられるはずがないんだ。あんたらも人間だ」
「よく理解しています」
「なにが目的なんだ。結局金儲けか」
「目的を話せば、あなたは納得されるのですか」
イーファが言った。
「計画というからには、やめどきもしっかりと用意しておるのだろう?」
「なにごとにも、はじめと終わりがあります」
「では教会は、王の軍と戦うべきだ。負ける機会を与えてやる。どうだ」
「民は動きません。教会が人の肉を食わせるなど、信じるはずがない。あまりに非道だからです。民は話を聞くことすら拒否するでしょう。すでに調査し、織り込み済みだ」
ネーゲルの表情は変わらない。だが先の言葉はどこか懺悔めいた調子があった。フェールは自殺した聖ルージャの修道院長を思い出した。全員が喜んで神の計画に参加しているわけではない。中には願っている者もいるはずだ。だれか計画を止めてくれ、と。
イーファも勘づいたのか、さらに押した。
「そなたらの楼閣は内側から崩れ去るかもしれんぞ。人は永遠の苦痛には耐えられんが、今日までとわかればどうにか耐えるものだ」
「おっしゃるとおりです」
「ならばわたしと戦い、負けよ。大修道院長は交渉役には最適だ。収め方は、そうだな、ディアミドを処刑するか。やつならば死んでも構わんだろう」
「悪の元凶として」
「そうだ」
「計画が明るみに出れば、教会の信用は失墜する」
「いまさらなにを言う。まあ、ごく一部の参事会や司祭が関わっていたとでも説明すればよかろう。やめどきがはっきりすれば、坊主どもは身を入れて仕事に励むようになるぞ。どうだ」
ネーゲルは黙った。エミリアはかたわらに立ったまま身じろぎもしない。思い詰めたような顔で、一度も目を合わせない。アイラはずっと暗い顔でうつむいている。
ようやくネーゲルが口を開いた。
「つまり、神の計画を止めるつもりはないと」
「わたしは勝利が必要なだけだ。負けたからといって馬鹿正直に中止する必要はなかろう。好きなだけ人の肉を食わせればよい」
ネーゲルはフェールに目をやった。おまえはどうだ。
フェールはできるだけ神妙な顔でうなずいた。イーファと練った策のとおりに話す。
「おれも、あきらめるよ。はじめはとにかく、理由を知りたかった。絶対に止めてやるとも思った。でも、無理だ。戦のあとは〈王国〉に住める。人の肉を食わずに済む。それでいいよ。それでじゅうぶんだ」
「近々エクスで〈新たな肉〉の見本市を開きます。オルダネーからは糞屋の組合も来ます。〈新たな肉〉に人の糞を混ぜ、民に与えます。より速やかに間引ける」
思わず口を突いて出た。
「あんたらは正気じゃない」
「そのとおり。ですがやはり、あなたはあきらめる。〈王国〉で平和に暮らす。死ぬまで」
「なにを考えてるんだ。どうして」
「なぜ知りたがるのです。先ほどあきらめると言ったばかりでしょう」
「暴動が起きるぞ。煽る必要なんかない。あんたもミリアスも、吊されて、見世物になるんだ」
「裸で牛の糞に浸かるわれわれに、民がこぞって糞を投げつける。いいえ。決してそのような事態にはならない。民は真実など求めていない。目の前に真実が転がっていたとしてもです。そのような世に生きていると知りたくないからです。よろしい。王の名の下、戦をおやりなさい。代わりに神の計画には手を出さないと誓いなさい」
フェールは頭を振った。イーファが卓の下で腿に触れた。ネーゲルはイーファの提案を気に入っている。これで堂々と〈少年〉たちを集められる。民を煽れる。政治だ。心を抑え、うなずけばいい。心を失うわけではない。慣れなければいいだけ。
フェールはどうにか表情を隠し、ネーゲルを見上げた。
ネーゲルの眉が動いた。目元がかすかに緩んだ。
「その顔。絶対に止めてやる、とでも言いたげですね」
「止めてほしいのか。おれに期待してるのか。自分ができないから」
エミリアが出し抜けに言った。
「ネーゲル様。ミリアス殿をどのように説得されるのですか」
少しのあいだ考え、答えた。
「見本市は、ニーヴンで開くことにします。譲歩すれば、ミリアス殿もわたしの意見を聞き入れるでしょう。わが都で市をひらきたくないなど、前代未聞の話だ。ではイーファ殿、神の計画には手を出さないと誓ってください。そちらの〈少年〉も」
イーファは誓いの言葉を述べた。フェールも口先だけで約束した。ネーゲルはもちろん信じていない。やれるものならやってみろと目が語っている。上等だ。絶対に止めてやる。こんな世の中でいいはずがない。
しばらく言葉がなかった。無数の蝋燭が夜の闇を押しのけ、下では変わらずの宴会騒ぎだ。飲んで歌って食って、いずれ死ぬ。
ネーゲルはイーファに会釈した。
「見本市の日には、近隣の〈少年〉たちも呼びましょう。うまくまとめ、軍とやらを集められてください。あの粗暴な者たちをどのように手なずけるのかは知らないが」
「ご尽力に感謝申し上げます、大修道院長」
ネーゲルは背を向けた。戸口に向かう。
フェールは声をかけた。
「教えてくれ。あんたら坊主は、ほとんどが狂ってるのか。商人もだ。どうして大勢のやつらが協力するんだ。カネさえ儲かればいいのか。それがふつうなのか」
「高位の僧は、幼少のころよりしかるべき教育を受けている。豪商など平民の金持ちは、たしかに狂っている者が多い。カネのためならなんでもする、ゆえに金持ちになれる」
「おれがおかしいのか。それとも世の中がおかしいのか」
姿が消え、扉が閉まった。
足音が階下に遠のいていく。イーファが手をたたいて言った。
「出だしは上々だな。腕相撲のつづきをしよう。わたしは左のほうが強い」
空元気だ。アイラは感情を隠そうともしない。頬を拭い、鼻をすすった。
「もういや。こんな世の中、生きていたくない。死んでしまいたい」
エミリアが卓にすわった。平然とした顔でアイラを見つめながら、卓に包みを置いた。
包みを開く。三日月型の菓子がいくつも乗っている。
フェールが言いかけると、きっとにらみつけ、言った。
「あなたはお父様を見捨てられました。ほかに告白したい罪はございますか」
アイラがしくしく泣きはじめた。
「一度だけよ。なにが悪いの」
血の気が引いた。尼さんに話したのか。どうして。
「罪もなにも、昔の話だ。そう、一度だけだ。そんなに、悪いことなのか」
「あなたに正義を語る資格はございません。神の計画、世を救う英雄、そのようなものはすべて忘れ、〈王国〉で贖罪の日々を過ごされてください。わたしは見本市で〈少女〉たちを解放したのち、アイラさんとともに院に戻ります。おひとついかがですか」
菓子をつまみ、差し出した。フェールはエミリアを見た。馬鹿な〈少年〉が少しずつ世を知り、まともになろうとしている。神の計画を止めようと知恵を絞り、前を向いて生きようとがんばっている。なのに昔の話を混ぜ返し、罪を償えと言う。熱い血が頭を駆け巡りはじめた。謝るものか。院にでもなんでも帰ればいい。アイラは絶対に渡さない。
フェールは受け取り、包みに戻した。
「仲間なら教えてくれ。髪は何色だ」
失望したような顔で菓子をつまみ、口に入れた。あの温かい微笑みは二度と戻ってこないだろう。
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