菓子の誘い
親父と別れた。いくら説明しても理解できなかった。ほかの大人も同じだった。
「なんで坊さんたちが、そんなことするんだ。坊さんたちは、神様に仕えてるんだぞ。立派な人たちなんだぞ」
肉屋のシュットは簡単に騙し、全員を引き連れてどこへか向かった。ヴァイスと〈少年〉三十ほどもついていった。顔に屈辱の覆いを着けて。
聖ルージャの村を背に、見えなくなるまで見送った。エミリアがそっと言った。
「お気持ちお察しいたします」
「悲しくないんだ。ほっとしてる」
「わたしもそうでした」
〈少年〉たちが行列をつくり、交易路を南東に向かっている。立派な道だった。うねる緑野を一直線に突っ切り、石の足台が両脇に並んでいる。イーファによると、ご婦人が馬の乗り降りに使うものらしい。
フェールは列の中ほどで、背嚢と丸めた毛布を担ぎ、剣を杖代わりにして歩いていた。毛布はエミリアが聖ルージャの修道院で調達した。パンとチーズも院で手に入れた。正確には、イーファが無理やりぶんどった。
通行人とすれちがう。道を外れて逃げ出す者もいた。気にしない者もいた。石はいまのところ一つも飛んでこない。決断は正しかった。親兄弟を殺されたのなら話は別だが、ほとんどの者にとっては〈少年〉などどうでもいいのだ。自分と同じ。赤の他人などどうでもいい。厄介ごとや空き腹を抱えていればなおさらだ。
左手の山脈の頂に白く雪が積もっている。ニーヴンには二日足らずで着くとのことだ。狂った世を正す。だがまずは生活を立てる。
エミリアが小ぶりな背嚢を外し、胸に抱いた。
「エクスで菓子を買いました。いかがですか」
革の蓋を開け、布の包みを取り出した。フェールはドゥオレットに抱きつかれながら受け取った。唐突になんだろう。
「よく買えたな。あの騒ぎの中で」
「尼僧院の〈少女〉は、菓子をつくります。いろいろつくりたいので、町や都に入るたびに買っております。愛らしい修道女がつくる菓子は、わたしたちにとっての武器です」
フェールは包みを開いた。黒くて四角い棒状の菓子が入っていた。蜂蜜まみれだ。鼻を近づけ、においを嗅ぐ。胡椒混じりの甘ったるいにおいが鼻の中にまとわりついた。
エミリアに見つめられながら、つまみ、かじった。中はねっとりとし、砕いた松の実と干しブドウが詰まっていた。噛む。歯にまとわりついてくる。甘い。とにかく甘い。
たすきにかけた水筒を取り、薄めた酒を含んだ。口の中がおかしくなった。
「お気に召しませんでしたか」
「いや。でも、あんたがつくったわけじゃないし」
包みを返した。エミリアは食べかけをつまみ、小さく口に入れ。噛んだ。
顎を動かしながら横目でフェールを見た。かすかに首をかしげる。なにかを問うている。
口を開きかけると後ろでイーファが声を上げた。
「下民に砂糖は毒だ。残りはわたしが処理する。よこせ」
エミリアは後ろ手で渡した。べとべとの指を包みで拭い、こっそり笑いかけてきた。
「王女様も菓子には目がない。おいしい贈り物で態度を和らげる。これも政治です」
アイラと取っ組み合いをはじめた。下民となにをやっているのだろう。
気を取り直し、エミリアに言った。
「勉強のつづきだ。死んだ坊さんが言ってたフェアファドってじいさんが、おれたちを調べはじめたんだな」
「正確には、先人の業績を書にまとめ上げた方です。ですのでミリアス殿は、〈少年〉は人を殺せないと知っていました」
「かっとなったら殺すかもしれない。馬鹿だから」
「犬は背を向けると飛びかかってくる、といいます。恐れず正面を向けていれば、犬のほうから退散します」
「おれは犬か。いや、いいよ。答えなくても」
エミリアは笑みをこらえている。フェールはふと思った。そういえばなぜついてくるのだろう。だが聞くと院に帰ってしまいそうで怖い。
「ゆえにミリアス殿は、自堕落な方ではありません。生まれは地方の一名士。多くの書を読み、修辞と神学を修め、知を武器に、一代で現在の地位を築き上げました」
「そのへんの坊さんより賢いってわけか」
「お金儲けの才もおありです。非常に貪欲な方です」
「だったら、神の計画も、結局」
「莫大な富が手に入るのでしょう。どのような方法でおカネを生むのかはわかりませんが」
「つまり、儲からなくなるようにすればいいんだな。剣で脅せないなら、頭を使えばいい」
「はい。ですが頭を使おうにも、空っぽではなにも浮かびませんね」
「わざと言ってるんだろう。さっきから」
「はい。いずれにせよ、まずは計画を知ることです。だれがどのように関わっているのかを調べましょう。わたしはそのために参りました」
イーファが背嚢をどついた。口にものを入れながら言う。
「聖アンナについても聞いておけ。大修道院長ネーゲルは〈苦行派〉の長だ。必ず計画に絡んでおる」
「男みたいに殴るな。あんたはだれよりもきれいなんだから」
「敬語も覚えろ。そんな話し方ではお偉方は耳を貸さんぞ。わたしが教えてやる」
エミリアがそっと口を差し挟んだ。
「ネーゲル様は善良な、すばらしいお方です」
「〈少女〉売りの元締めなのにか」
「世を学ばれたのでしょう? 立場ある者は聖人君子ではいられません」
「本当に善人なら、味方にできるかもしれないな。力を貸してくれるか」
「菓子はいかがですか?」
アイラが腕に触れた。フェールは振り返った。顎を押さえ、泣き顔で見上げている。
「お兄様、歯が痛くなってきた。王女様は平気なのに、どうして」
イーファはからからと笑った。
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