服従の徴

 聖ルージャの村に戻った。大人たちは広場で酒盛りをしていた。村人たちは親しげに語りかけ、酌をし、酒の肴を勧めていた。修道士が数人、鋭い目つきで監視している。

 フェールは広場から離れ、楡の木の根元に腰を下ろした。鞘を肩から外し、目の前に横たえた。疑問が頭を巡る。なぜ村人は、平気で修道士の命令に従えるのだろう。なぜ自分は世の中がまちがっていると感じるのだろう。

 頭の傷に触れる。血は止まっている。世に不満を感じるのは、きっと馬鹿だからだ。強い風が木々の枝葉をがさがさと揺らす。自分はなにをしているのだろうと考え、エミリアを待っているのだと気づいた。もっと世について教えてほしい。そばにいてほしい。

 しばらく待った。エミリアもイーファも、アイラさえやってこない。代わりに肉屋の組合長シュットががに股で近づいてきた。

 正面に立ち、にやにやしながら顎をしゃくった。

「よう、隊長。似合ってるぜ」

 赤い布が顔の下半分を覆っている。両側についた紐を耳にかけ、頭の後ろにまわし、結ぶ。こうすると石が飛んでこない。都を歩ける。飯屋で飯を食える。

 シュットは頭陀袋を放った。

「全員分の覆いだ。しっかりとつけさせろよ、隊長。よそで聞いた話じゃ、けっこう手こずるらしいからな。ま、そりゃそうだ。おれならそんなもん、死んでもつけねえ。恥だ」

 フェールは頭陀袋をつかみ、引き寄せた。

「わかった」

「よし、商売の話だ。しばらくはここの大人を管理するだけでいい。豚みてえに太らせるって手もあるが、餌代がかかるからな。うまくいきそうなら、やってみてもいいぜ。そら、前金だ」

 巾着を手に乗せた。ずっしりと重い。フェールは見上げて言った。

「豚はいくらする」

「いい質問だ。六ポンドで一ソル、銀貨一枚だ。一匹分だと、だいたい十八ソルだな。そう、大人より高え」

 げらげらと笑った。

「ま、変なもん食いたくなきゃ、おれと仲良くするこった。軽食屋には近づくなよ」

 馬鹿な頭で考える。少年百人を食わせる。パンはいくらだ。ブドウ酒は。なにも知らない。なにもかもゲランに任せきりだった。銀行の場所すら知らない。

 シュットがつま先で膝を蹴った。

「ぼけっとするな。立て。〈少年〉を集めろ」

「大人は、そんなに大勢いるのか。刈り尽くしたら」

「わかってねえな。この商売でカネを貯めて、別の商売に鞍替えすんだよ。補助金が出るから二ソルも払うんだぜ。おまえはついてるんだ。ありがたく思え」

 フェールは腰を上げ、頭陀袋を担いだ。広場に向かう。右手には銀貨、肩には〈旧式〉の剣。赤い覆いが風を受け、鼻先をこすった。村人がすれちがいざま顔を向けてくる。どれもさげすむような笑みを浮かべていた。

 気づけば道をそれ、木陰に入っていた。畑に面した建物の裏。風よけの木が立ち並んでいる。

 幹に背を預け、目を閉じた。

 膝を折り、腰を落とした。背が樹皮をがりがりとこする。根元にしゃがみ、剣と銀貨と頭陀袋を置いた。すべてを締め出す。

 気配を感じ、目を開けた。ドゥオレットが目の前にしゃがんでいた。膝を抱き、鼻がくっつくほど顔を近づけている。フェールは瞳の奥を見つめた。答えを求める。答えは永久にやってこない。答えなどない。待っているかぎり。

「この覆い、取っていいかな。こんなもの着けるくらいなら死んだほうがましだよな」

「はい、ご主人様」

 頭の後ろに手をやり、結び目を解いた。赤い覆いを外し、丸め、力任せに放り投げた。

 ドゥオレットの首飾りに触れた。これもいらない。鎖を持ち上げるとまた後ろ髪が引っかかった。抱き寄せ、丁寧にまとめる。愛らしい顔がすぐそばで見つめている。

 鬼の形相に変わった。胸を突き飛ばし、立ち上がった。

 天鵞絨の裾を腿までたくし、蹴りを放った。足の甲がこめかみにぶち当たった。フェールは右手を地面についた。

 腰に手が伸びてきた。ドゥオレットはすばやく短剣を奪い、一歩後ろに跳ねた。

「立て! 勝負しろ! わたしが勝てば自由だ!」

 フェールはゆっくりと立ち上がった。丸腰で正対する。

「剣を取れ! 構えろ!」

 ドゥオレットは踏み込み、右のこぶしで胸を殴った。短剣をさっと引く。

 肘を上げ、切っ先を向けた。フェールは一歩近づいた。

 左手で平手打ちした。

「なぜ戦わない!」

 いつの間にか〈少年〉たちが集まっていた。遠巻きに見守っている。ドゥオレットは腰を入れ、左手で腹を殴った。

 上体がゆっくりと沈んでいく。息ができない。

 レイがおずおずと言った。

「隊長、なにやってる」

「考えてる」

「殴られてる」

「殴られながら考えてる」

 ドゥオレットは肩で息をつき、短剣を持つ手を下ろした。フェールは面を上げた。

「気は済んだか」

 顔面を殴った。

「兄がわたしを売った! わたしの強さに嫉妬して」

「戦に出てたのか」

「剣を選ぶ女もいるんだ!」

「何度でも謝る。だから名前を教えてくれ」

「ドゥオレットでいい。気に入った。本名は、女々しいから」

 勝手に顔を赤らめ、そのあと股間を蹴り上げた。

 フェールは膝をつき、うずくまった。死ぬ。

「今日はこのくらいで許してやる。ニーヴンに行くぞ。兄に復讐するんだ」

 腕を取り、力任せに引き上げた。フェールはよろけながら立ち上がった。ドゥオレットは腕を絡め、すぐそこに都があるとでもいった調子でどこへか引きずっていく。胸に触れているのにまったく気にしていない。

 ニーヴンに行く。フェールは立ち止まり、腕を引き抜いた。〈旧式〉の都。

 ドゥオレットが振り返った。不思議そうに見つめる。鬼の形相が和らいでいる。

「ついてこないのか。女の一人旅をしろというのか。冷たい男だ」

 アイラがドゥオレットの背に飛びついた。広げた鎖をすばやくかぶせる。

 ドゥオレットはすとんとへたり込んだ。

「よかった。お兄様、どうして飾りが外れちゃったの?」


〈少年〉たちを畑に集めた。どれも口を利かず、暗い顔をしている。レイかヴァイスが話をしたのだろう。狂っていると思うのは自分だけではないとわかり、フェールはほんの少し安堵した。

 十九のバルークがヴァイトを指し、顔をしかめて言った。

「そんなもん、おれは着けない」

「言っただろう、着けないと石を食らうんだ。慣れればたいしたことないよ」

「大人売りも、そのうち慣れるのか」

 シュットのがなり声が聞こえた。

「国際会議でもやってんのか? 大人が森んなかにもうろついてたぞ。まさに家畜だな」

〈少年〉たちを押し分け、フェールの前に立った。手にした赤い覆いを顔に押しつけた。

「ちゃんとつけてな。おまえは奴隷なんだからな」

 フェールはシュットの胸ぐらをつかんだ。シュットはすかさずこぶしを突き出した。フェールは山羊のように顎に頭突きをかました。こぶしが頭の後ろで空を切る。

 右腕をシュットの右の脇にねじ込み、肩まで入れた。背中をつかみ、左足の踵を蹴りつけた。

 シュットは背中から地面に落ち、げっとうめいた。

 馬乗りになり、右腕でシュットの首を押さえつけた。

「だれでもいい、おれの剣を持ってこい。答えを教えてやる」

「おまえは終わりだ。ミリアス様に報告する。みんながおまえに石を投げる。死ぬまで」

 腕に体重を乗せ、喉をつぶした。呪詛が消えた。

 レイが長剣を持ってきた。フェールは左手で鞘をつかみ、引ったくった。レイをにらみつける。まだ覆いをつけている。

 刀身を抜き、立ち上がった。

 シュットは寝転びながらがらがら声で笑った。

「腹が減りゃ、すぐに覆いを着けるさ。道端で惨めったらしく物乞いするんだ」

 フェールはシュットの胴をまたぎ、柄を持ち上げた。シュットの笑みがわずかに曇った。

 剣の平で横面を引っぱたいた。シュットは悲鳴を上げ、頬を押さえた。

 逆手で柄を持ち上げ、切っ先を顔面に向けた。思い切り落とす。

 耳のすぐ横に突き刺さった。刀身の半分ほども地面にめり込み、耳から血があふれ出た。

 引き抜く。シュットはもう笑っていない。震えながら手で顔をかばっている。フェールはほっとした。見慣れた人の姿。〈少年〉も〈少女〉も都の民も、百姓も肉屋も、人は人なはずだ。人は変わらないはずだ。狂っているものは狂っている。

「次は本当に突く」

「やめろ」

「司教にするように命乞いしろ」

「お助けください、フェールさん」

 ヴァイスが肩をつかんだ。

「なに考えてるんだ。みんな敵になるんだぞ」

「とにかくおれは、人売りなんかしない。おまえらもしない。ニーヴンに行く。旅の支度をしろ。大人たちを集めろ」

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