敵地へ

 翌朝、エクスの都に向けて発った。

 あぜ道をしばらく行き、街道に入った。あとはひたすら道なりに東へ。レイとヴァイスだけを連れ、ほかの〈少年〉たちは修道院村に残した。坊さんを一人斬るだけだ。ぞろぞろ引き連れていったらむしろ邪魔になる。

 昼前には鐘の音が聞こえ、エクスの尖塔が見えた。通行人はどんどん増えていき、ほとんど行列のような格好になった。旅の外套を纏った者、荷車を牽く者、派手に着飾った者。羊飼いに百姓。

 フェールはさりげなくエミリアに話しかけた。

「エクスはこんなに人が多かったかな」

「よそからいらした方々です。戦勝記念のお祭りがございますので」

「昨日は眠れたか。おれは体じゅうがちがちだ」

「アイラさんとドゥオレットさんとともに、院の僧坊で眠りました。ドゥオレットさんは院に預けております。飾りは外さないよう伝えてあります」

 前には百姓の四人組が歩いている。一人は女の子だった。痩せた牛ががらがらと荷車を牽き、大人たちは声を合わせて歌をうたっている。

 女の子は後ろ歩きでしばらくフェールを見上げたあと、言った。

「都でリンゴを売るの」

「そうか」

「祭りだと高く売れるの」

「なんでだ」

 母親らしき女が女の子の腕を取り、乱暴に引き寄せた。話しちゃだめ。

 がっちりした若い男が振り向いた。フェールを見るなり顔をしかめた。

「おまえ、〈旧式〉だろ。さんざん畑を荒らしやがって」

「戦場を決めるのはおれたちじゃない。上のやつらだ」

「都に入ったら石を投げられるぞ。おまえらなんか怖くないからな」

「そうか。たたき斬ってやろうか」

「やってみろよ。おまえらなんか怖くない」

 男は荷車の後ろにまわりこみ、フェールの眼前に立ちはだかった。フェールは肩に担いだ長剣の柄を握り、わずかに引き抜き、刃をちらつかせた。若い男はせせら笑った。本当に恐れていないようだ。

 通行人が次々と追い抜いていく。エミリアがかたわらに立ち、じっと前を向いている。フェールは剣を鞘に収めた。こんなところで騒ぎを起こしても仕方がない。

「見ろ。おまえらなんか怖くないんだ」

 今度は畑にいる男が声をかけてきた。

「よう、都に入ったら死ぬぜ。おれも見物しに行くかな」

 イーファが後ろでくすくすと笑った。

「そう、阿呆が策も講じず、のこのこと敵地に向かっておるのだ」

 フェールは振り返った。どこで手に入れたのか赤い外套を羽織り、みっともない鎧下を覆い隠している。黒髪は編み込みをほどき、少女のように広げている。

「下民と歩いて楽しいか。あんたは呼んでない」

「連れ立ってはおらん。行き先が同じだけだ。ところで腰が寂しい。短剣をよこせ」

 アイラがエミリアとのあいだに無理やり割って入り、兄の腕を抱いた。村で待っていろと言ったが無駄だった。

「お兄様、本当に司教様を殺すの?」

 エミリアがかすかに微笑んだ。香のにおいがふと鼻をかすめ、胸の奥が小さく揺れた。どうして尼さんになどなったのだろう。男に興味がないのだろうか。

 フェールは悟られないよう、ふざけて返した。

「見ろ、エミリアが笑ってる。ミリアスってのはよっぽど悪いやつなんだな」

「本当に仲がよろしいのですね」

 アイラが口を尖らせる。

「都で家を借りて、結婚するの。悪いやつを倒したあとにね」

「兄妹が婚姻を結んではなりません」

「尼さんともよ。横取りする気でしょ。だからずっとついてくるのよ」

 唇の笑みが大きくなった。畑のほうに顔を向け、ヴェールの陰に隠した。

 レイがつまらなそうにつぶやいた。

「隊長のまわりは女だらけだ」

 都の囲壁が見えるころになると、往来はさらに増え、生け垣の外にまであふれかえった。喧噪と鐘の音に、楽の音がうっすらと入り混じる。太鼓に笛に、ラッパ。さらに行くと畑が消え、道の脇に屋台が並びはじめた。貧しいなりをした男たちが汁物をかき込んでいる。肉のにおいを嗅ぎ、腹が固くなった。朝は食欲が沸かず、チーズをひと切れ食っただけだった。

 大人が肉になる。フェールは思わず顔をしかめた。なにかのまちがいだ。だが現に、目の前で坊さんが自殺した。それでもまだ信じられない。

 道端の建物が増え、道が狭くなった。もはや往来どころではない。芝生だろうが道だろうが屋根の上だろうが、立てるところには人が立っている。楽の音が高まる。軽く押し分けて進みながら、いやな予感が胸に渦巻きはじめた。ミリアスが待ち構えているような気がする。

 エミリアが先を指し、言った。

「右に曲がってください。門はすぐそこです。税金は」

 男がすれちがいざまエミリアの尻をなでた。

「税金は、必要ありません。祭りの最中は」

「だいじょうぶか」

「はい。よくあることですので」

 レイとヴァイスを守りにつかせ、アイラを肩車した。濠の手前で右に曲がる。

 だれかが後ろから肩をつかんだ。イーファが耳元で怒鳴った。

「このままミリアスと対決するつもりか。相手は大権力者だぞ」

「だったらどうすればいい。教えてくれ」

「まったく世話の焼ける男だ。来い」

 イーファはぐいぐいと手を引き、濠沿いを進んだ。民を突き飛ばすようにして押しのける。フェールはどうにかアイラを下ろし、レイといろと言った。

 門前を通り抜け、広場のような場所に入った。男も女もなぜか赤い上着を着ていた。もみくちゃになりながら右手に向かう。先は高い木の柵で仕切られている。

 柵をよじ登り、反対側の草地に下りた。ようやく人の波から逃れ、フェールは大きく息をついた。草地には鉄の馬留がずらりと並び、とんでもない数の馬がつながれていた。奥には巨大な厩。人のほうは馬番と世話役の小僧、馬の持ち主らしき男がうろついているだけだった。

 イーファは馬を引く男に近づき、いきなり手綱を引ったくった。品定めをするように青毛に触れ、眺めまわす。馬番は身を縮めてかしこまっている。顔を見ればそのへんの女ではないとすぐに気づく。

「貧相だが、まあよい。だれの馬だ」

「ベンフルク殿の軍馬です、その、お嬢様。アルムの伯爵様のご親戚で」

「それは好都合だ。おまえから伝えておけ。フュートの城代フェール殿が、謹んでおまえの駄馬を奪い去ったと」

「すぐに受け取りに来られるのですが、あの」

 イーファは馬の首をたたき、愛しげになでた。フェールはよくわからず、聞いた。

「馬でミリアスを踏みつぶすのか」

「阿呆め。とにかく乗れ。民は高みから操るものだ」

 麻縄を差し出した。なんとなく受け取ると、イーファは手首を合わせて突き出した。

「縛れ」

「なんでだ」

「わたしの立場を忘れたか。縛れ」

 緩く手首に巻く。わけがわからない。だいたいなぜついてくるのだろう。イーファもミリアスの死を望んでいるのだろうか。なにが起きるかを知っているのだろうか。

 柵の門からエミリアとアイラが姿を見せた。つづけてレイとヴァイスも。

 エミリアはイーファの正面に立ち、頭を下げ、言った。

「噂は聞こえております。オルダネーの公と結婚されたくないのでしょう?」

「それもある」

「正義のためでしょうか」

「ちがう。さあ、果たしてこいつは、ゲランが言ったとおりの男なのかな。聖ジニの院長、そなたも同じことを考えておる。顔はいい。あとは中身」

 きつく縛った。イーファは苦しげな声を上げた。目が合うとすねるような笑みを返した。

「女を縛るのが好きか」

「なんで説明してくれない。あんたらは、知り合いなのか。二人でなにかを企んでるのか」

「いいからはやく乗れ。いちいち言わせるな」

 フェールはため息をついた。革紐つきの鞘を肩にかけ、鞍をつかみ、鐙に足を乗せた。

 左足で飛び、勢いよくまたがる。

「おお、本当に乗れるのか。馬にも好かれておる。これは幸先がいい」

 軍馬は頭を振り、鼻を鳴らした。フェールは高みから往来を眺めた。駄馬だなどとんでもない。ゲランの馬より立派なほどだ。

 アイラが足にしがみついた。フェールは屈んで脇をつかみ、引き上げた。前に乗せる。

 振り向き、眉尻を下げ、訴えかけるように兄を見つめた。

「お兄様、この人たち怖い」

「というより気味が悪い。おれから離れるな」

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