人の道

 聖堂の説教壇は、屋根のない鳥籠のような意匠をしている。ミリアスは壇に上り、聴衆を見下ろした。持つ者も持たざる者も、身廊の石の床にすわり、司教の講話を待っている。

 巻物を伸ばし、肩にかけた。

「主は、病気の者や貧しい者を助け、ともに暮らされた。ものを持たず、困窮のうちに天に召された。エクスはたいへん栄えている。だが友愛の精神が失われつつある。貧しき者は増え、路上にあふれている。神は等しくわれわれを創造したはず。いったいだれのせいなのでしょう」

 言葉を止める。聴衆の中には金持ちも混じっている。不満げなつぶやきがそこここで聞こえる。

「人は等しく死ぬ。あなたが荷車いっぱいの金貨を引きずり天の楽園へ向かわれるのを見、父なる神はなんと思われるでしょう。おお、だいぶ稼いだな。これだけの金貨を集めたということは、儲けのことしか頭になかったにちがいない」

 声はたゆたいながら聖堂に深く染み入り、消える。だれかがこんこんと咳をした。

「与えなさい。都の貧しき者に施し、愛を送りなさい。主は天上から見ておられる。徴はあらわれる。あなたのパンで腹を満たし、あなたのブドウ酒で喉を潤す。あなたの銀貨で数日の糧を得る。あなたはいずれ知る。その者があなたのおかげで邪悪に染まらずに済んだことを。平和な都が実現したことを」

 巻物を繰り、目を通す。

「さて、染物屋の組合長ホズラー殿より、多額のご寄付をいただきました。感謝いたします」

 聴衆が声を上げた。

「おれは寄付なんかしてないぞ」

 ミリアスはあわてて巻物に目を落とした。

「これは失礼。筆記を参事会の若い者に任せるべきではありませんでした。さよう、ホズラー殿からはいっさいご寄付をいただいておりません」

 笑い声が堂内に満ちた。寄進者と寄付額をあらためて読み上げる。最後に締める。

「こちらの寄付金で彫刻家を雇い、西に神の門を造ります。皆様の名と職業を神の隣に刻みましょう。名は聖堂の威光とともに、永遠に残りつづける」

 ホズラーがいらついた口調で叫んだ。

「おれも寄付する。立派な彫刻をひとつ増やしやがれ」

 古語の朗読がはじまる。ミリアスは沈黙する民を高みから見下ろした。ホズラーは反抗的な男なので、神の計画にはそぐわない。従って退場していただく。神の権力はこうして罰を与えつづける。死ぬことはないだろうが。


 典礼が終わった。ミリアスは南の翼廊に潜み、人を待った。民のほとんどは仕事に戻った。堂内では染物屋の組合員が寄り集まり、こそこそと話をしている。おそらく次の選挙についてだ。そう、ホズラーははやいうちに追放したほうがいい。

 南の玄関が開いた。聖ルージャ修道院のランゲンが姿を見せた。

 ミリアスはアーチの暗がりに招いた。ランゲンは弱り切っている。貴人の子にしては善良な男だ。

「ゲラン殿の使者が参りました、猊下。今晩訪れます。大人も含め、二百ほど」

「急ぎ、肉屋のシュットと話されてください」

「人の道に反しています。どうか考えを改められてください」

「わたしが考えを改めたところでどうしようもない。神の計画は動き出した。わかっていますね。聖ルージャだけの問題ではない。〈苦行派〉修道会全体の問題だ」

「わたしは、いやだ」

 ミリアスはこっそりため息をついた。エラムスはカネさえ出せば地獄にでも赴く男だ。だがこのように、道徳に従い動く者もいる。世には様々な人間がいる。だがどのような者でも命は惜しい。命を張ってまで抵抗する者は、これまでお目にかかったことがない。

 ランゲンの腕に触れた。身廊に導く。

「困ったことだ。あなたを院長に推薦したのは、ウォーランの大司教フェアファド殿でしょう。たいへん善良な方だ。善が善を呼び、そうして善は世に広まっていく。すばらしいことだ」

「大司教は関係ありません。あの、最近頭が弱られたのも、あなたがたが」

「なにを人聞きの悪い。それはそうと、あなたは善良ではない。〈苦行派〉は〈少女〉売りを取り仕切っている。あなたの聖職禄には、七つの〈少女〉が稼いだカネも含まれているのです」

「なので聖アンナからは一切受け取っていない」

「いい加減にしなさい。あなたはおのれをごまかしている。だったらいますぐ修道院長の地位を捨てなさい。自らを野に放ちなさい。あなたは聖者と称えられることになるでしょうか。それとも単なる乞食で終わるでしょうか」

 ミリアスは言葉を止め、うかがった。一瞬でも間を置けば、おのれに嘘をついている。

「わたしは職を辞します」

「残念ながら、要職というものは簡単には辞められない。そもそもなぜ二年前、選挙に出たのか。欲のためだ」

「世に神の教えを広めるためだ」

「あなたは善人ではない。われわれと同じ、灰色の人間だ。灰色ゆえこの世になじみ、この世を受け入れ生きていける。悠々と、大海の魚のように」

「〈旧式〉の武器を持っているのですよ。うまくいくはずがないのです」

 ミリアスはほくそ笑んだ。この世に聖者はいない。もうひと押しするとしよう。

「強い武器がなんだというのです。〈少年〉たちは、家畜と一緒だ。簡単にエクスに導けるでしょう。だが、百は多い。そう、五十に間引いてください。優しいお坊さんが一晩の宿を与える。夕飯にはなにかが入っている。簡単なことです。聖ルージャはまちがいなく、空席となったウォーランの聖堂の占有権を与えられるでしょう。翌年にでも」

「あなたは地獄に堕ちる」

「あなたも地獄に堕ちる」

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