希望の砦
フェールは隊とともに〈帝国〉領に戻った。砦に着いたら宴会だ。今夜は王女を肴に、飲んで飲んで飲みまくる。そのあと〈二人目〉を抱く。楽しみしかない。
聖ルージャ修道院の森を抜け、山道に入った。日暮れまではまだ少しある。砦はかつての寺院で、岩山の山頂付近にささやかな敷地を広げている。砦を
フェールは振り返った。王女イーファは騾馬が牽く豚用の檻に入っている。檻の真ん中で両膝をつき、嘲るような笑みを浮かべて前を見ている。神に祈っているわけではない。板金鎧のせいであぐらをかけないだけだ。
引き返し、話しかけた。
「家畜に捕まった気分はどうだ」
「悪くない。ところですねかじりの親はまだ生きておるか。大人になるのは怖かろう」
「なにがおかしい」
「なにもかもがおかしい」
檻の車輪が石を踏み、がたりと跳ねた。坂道は山羊の糞と石ころだらけだ。フェールはさらに話しかけようとしたが、気乗りがせず、前を向いた。去年の年越しも悲惨だった。雪積もる庭に十九の〈少年〉を集め、取り囲み、ただ見守った。本当は牢に閉じ込め見て見ぬふりをしたいのだが、〈旧式〉の武器を持つ〈少年〉には手を出せない。見せる表情はだいたい同じ。泣き、わめき、暴れる。神に祈る。神など知らないはずなのに。自ら首をはねる者もいる。軽く撫でるだけで一刀両断、〈旧式〉の武器は期待を裏切らない。何人かは武器を手に縛りつける。年を越した瞬間、心の臓が止まり、死ぬ。生きると決めた者はすべてをあきらめ、酒浸りになる。
坂が急になり、驢馬が荷を引けなくなった。みなで荷を下ろし、軽くした。めいめいタマネギや小麦粉の詰まった麻袋を担ぐ。ブドウ酒の樽は乗せたままにする。何人かに命令し、後ろから荷車を押させた。
フェールは麻袋を担ぎながら先を行った。〈二人目〉がついてくる。
すぐにゲランの背中が見えた。修道女と連れ立ち、先頭を歩いている。道中、聖ジニの尼僧院に立ち寄り、連れて戻ってきた。理由はわからない。
さりげなく隣についた。尼さんの横顔を盗み見る。頭も体も僧服で包み、顔しか見えない。すっきりした鼻に冷ややかな青の瞳。杖をつき、思い詰めたような表情で歩いている。
ゲランが朗らかに話しかけてきた。
「隊長。荷運びなど下賤の仕事だ。そういうのは、人を雇ってやらせるべきなのだぞ」
「武器に頼り切りにはなりたくない。それに、こういう仕事って大事だと思うんだ」
尼さんの反応をうかがう。一瞬目を向け、すぐに前を向いた。
「いつもそのような言葉遣いでゲラン様に話されるのですか。アルムの伯爵様ですよ」
「名前を教えてくれたら答える」
乗ってこない。なにが楽しくて修道院などに入るのだろう。
尼さんは歩を緩め、後ろを歩く〈少女〉の隣についた。
「〈旧式〉の飾りをつけていらっしゃいますね。お名前をお聞かせいただけますか」
「〈二人目〉と申します」
眉間にしわが寄った。かすかに頭を振り、再び名をたずねる。
フェールは説明した。
「おれがつけたんだ。ほかに思いつかなかったから」
さっと前を見た。
「なんですって」
「おれが買ったんだからおれのものだ。問題ないだろう」
「神の罰を恐れないのですか。そのように人を扱って」
「神様は怖くない。大人になるほうがよっぽど怖いね。もしかしたら、普通の剣でも傭兵稼業をつづけられるかもしれない。腕自体はいいから」
尼さんはなにかを言いかけ、口をつぐんだ。氷の瞳でにらみつける。フェールは愛想笑いで応え、前に向き直った。もう近づかないようにしよう。なにをしに来たのかは知らないが。
白塗りの玄関アーチが出迎える。屋根を模した三角の頂きに十字架が立ち、左右に二つずつ、金ぴかの聖人が描かれている。なんという聖人なのかはもちろん知らない。奥には本殿の丸屋根がもさもさの木々を従えてそびえている。色は碧。あの鮮やかな色にも意味があるのだろう。いまはただの宴会場だが。
アーチをくぐった。石畳の道が延び、左右に緑の庭が広がっている。だれも手入れをしないのでところどころ剥げ、雑草が好き放題伸びている。大人たちの姿はない。フェールは〈二人目〉の腰を抱きながら後続の到着を待った。
最後の荷車が入った。フェールは〈少年〉たちを集め、剣を掲げ、勝利の雄叫びを上げた。〈少年〉たちがならう。尼さんはうるさそうに顔をしかめた。
いつものように人質の檻を取り囲み、やんやと囃し立てる。いちおう隊長なので率先して悪罵を並べるが、今日はとくに気乗りがしない。イーファはまっすぐに見つめ返してくる。嘲りの笑みは消え、なにかを問いかけるような、可憐と言ってもいい表情に変わっている。顔立ちは恐ろしく整い、どこか同じ人間ではないと思わせる雰囲気がある。実際、同じではないのだろう。
騒ぎを聞きつけ、大人たちがほうぼうから集まってきた。帰還の喜びが一気にしぼむ。フェールは〈少年〉たちに命令し、酒樽を一つ開けさせた。大人たちが群がる。あれこれ試したが、結局酒が一番だった。すぐに寝るからだ。
「お兄様」
アイラが芝生を駆けてきた。同じ砂色の髪を短く切り、男の格好をしている。フェールは急いで肩から鞘を外した。
兄に飛びつく。天使は十三、翼が生えたように軽い。
首にしがみつき、鼻をうずめた。
「無事でよかった」
「一時間で終わった。息も切れなかった」
フェールは痩せた尻をつかみ、抱え上げた。ちっとも成長しない。女らしさのかけらもない。兄としてはそのほうがありがたい。
アイラは兄の顔をのぞき込み、鼻と額をくっつけた。
「次は行かせて。お願い」
「だめだ。戦は危ない。それなりにだけど」
「退屈なの。戦場ならお兄様のお世話ができる。それに、大人といたくない」
腰をつかみ、ひょいと持ち上げた。肩車する。アイラは楽しげな悲鳴を上げた。
両の手をつなぎ、指を絡める。しっかりと握る。尼さんがそばで微笑んでいる。瞳に温もりがにじみ出ている。
フェールは顔を向け、笑みを返した。一瞬で氷に戻った。
「妹さんは、飾りをつけておられないようですね」
「冗談じゃない。まともに話もできなくなる。それに、飾りをつけなくてもじゅうぶんかわいい」
アイラは兄の髪をかきまわした。尼さんは困ったような表情を浮かべながら振り向き、寺院の丸屋根を見やった。
「フュートの〈少女〉を説得しに参りました。あちらにいらっしゃるのですか」
「どこにもいないよ。全員売った」
さっと向き直った。目を剥いている。
「なんですって」
「あんたはそればっかりだな。女がいると、とにかくめちゃくちゃになるんだ。よそのやつらはどうやってまとめてるのかな。あんた、知ってるか?」
答えない。青の瞳はひたすら冷たい。
「とにかく、剣術の訓練の邪魔になるから、ニーヴンの〈少女〉売りに渡したんだ。結婚したくなったらよそから買えばいい」
「妹さんを、院に入れるつもりはございますか」
「ない」
フェールは見上げた。アイラはすでに舌を突き出していた。
「ですが、あなたと妹さんは、これから」
ゲランが小走りにやってきた。尼さんは顔を向けるなり訴えかけるように言った。
「話がちがいます。〈少女〉たちはすでに」
「二人いただろう。さ、宿坊にどうぞ。例の件は頼んだぞ」
フェールは寺院に入った。なじみのいびきがほうぼうから聞こえてくる。吹き抜けの天井からは黄金のシャンデリアが垂れ下がり、無数の蜜蝋が火を灯している。大人たちはアーチの奥の側廊で、亡霊のようにうごめいている。なぜか身廊にはひとりもいない。光が怖いのかもしれない。
〈二人目〉が腕を取り、しなだれかかってきた。アイラが背中をたたいてわめいた。
「どうして買ってきたの。わたしと結婚するって言ったじゃない」
シャンデリアの真下を突っ切る。どこで耳にしたかは覚えていないが、妹とは結婚できないらしい。ゲランのお付きの坊さんは、したいなら構わないよ、と言った。ゲランもそうだが、よその連中はなにを聞いてもまともに答えない。愛想のいい言葉をいくつか並べ、去っていく。〈旧式〉の武器を恐れているのはわかる。だがそれだけではないような気がする。
フェールはひらめいた。尼さんに聞いてみよう。アイラと結婚できるなら、〈二人目〉はどこかに売ればいい。
「アイラ、火を持ってきてくれ」
「わかった」
金と黒の縞模様のアーチをくぐり、主祭壇に入った。半円状の内陣に〈旧式〉の武器がずらりと並んでいる。大人たちは聖所にも近づかない。なので武器庫にしている。細長い窓が三つと、上に円い窓が一つ。雨が吹き込んでくるので油の染みた黄色い布を貼ってある。
鞘を肩から外し、内陣の壁に立てかけた。アイラが燃えさしを持って戻ってきた。銀の燭台に刺した蝋燭に火を移す。
レイが剣を担ぎながら入ってきた。
「隊長、考えたんだ。大人を崖から突き落とすってのはどうかな」
「おまえもいずれ同じ目に遭うってことだぞ」
「それでもいいって気がするよ。うんと酔っ払えば怖くなくなる」
ちびのレイは十六。十三で戦に出た。初陣で興奮し、あろうことか花形騎士を殺した。戦のさなか、敵からも味方からも罵倒を浴び、平謝りしていた。戦の作法を覚え、鍛練を積んだ。剣の腕もいいが、なによりまともに話せる数少ない仲間だった。
レイは青い片手剣を立てかけ、祭壇に飛び乗ってすわった。思い詰めたような顔でうつむく。泣いているように見え、一瞬ぎょっとしたが、右の頬の入れ墨のせいだとすぐに気づいた。アイラにも、自分にもある。
「隊長の母さんだけど」
「どうかしたのか」
「昨日、死んだらしい。便所の穴から、川に落ちて」
アイラと顔を見合わせ、思わず笑った。二年と少しあと、自分もそんな大人になる。
螺旋階段を上り、二階の回廊に出た。東側のアーチの奥を自室にしている。寝台に食事用の卓、椅子が二つ。それに戸棚。使わない祈祷台には銀の天使像を乗せている。
寝台にすわるとぎしりときしんだ。ふとわれに返り、しばらく呆けていたことに気づいた。〈二人目〉に命令する。目の前に膝をつき、長靴に手をかけ、のろのろと紐をほどきはじめた。フェールは蝋燭の炎を見つめ、ため息を胸に押し込んだ。とにかく楽しもう。楽しめるのはいまだけだ。
気づけば母親について考えていた。思い出もなにもない。だが母親ではあった。気にするな。楽しめ。ゲランの使用人が宴会の準備をするまで間がある。頭の中が母親の死でいっぱいになった。涙がにじんできた。どうしてだろう。
〈二人目〉の手に触れ、言った。
「待っててくれ。人と会ってくる」
「はい、ご主人様」
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