聖ジニの尼僧院長

 魂が気づけば、〈少女〉は飾りを外す。非情な世に気づき、聖ジニの尼僧院に集まり、祈りと瞑想の日々を送る。かつて〈少女〉だった修道女たちを連れ、エミリアは中庭を囲む回廊を行列していた。金の髪は白のヴェール、穢れた肉は白の僧服で覆い隠している。

 修道女たちは歩きながら、愛らしい声を合わせ、主に歌を捧げている。エミリアは突き当たりの青銅の扉を開けた。慎重に裾をたくし、高い段差を上る。修道女のひとりが歌いながらぴょんと飛び乗った。十三の娘に注意する。やはり足台を据えるべきだろう。院に限らず、世のすべては男のためにできている。

 扉は教会堂の南の翼廊につながっている。薄暗い廊下を行き、光そそぐ交差部を目指す。俗世の聖堂とは異なり、聖画や彫刻のたぐいは一切ない。東側のアーチは去年、煉瓦でふさぎ、扉をしつらえ、小部屋をこしらえた。納戸が足りなかったからだ。

 交差部に入る。祭壇前には木の長椅子が四つしつらえてある。行列は立ち止まり、そのまま東を向いた。主の御前に立ち、歌声は高まっていく。やがて手を打ち鳴らし、町の祭りのように体を揺らし、飛び跳ね、踊りはじめた。手をつなぎ、都で人気の流行歌をうたう。神の賛美ではなく、遠く故郷を離れた恋人を思う歌。

 歌が終わると、修道女たちは身を寄せ、くすくすと笑い合った。大修道院長が知ったら仰天するだろう。だが主はかわいい娘たちを許してくださる。少しは楽しみがなければ。

 全員長椅子に着いた。エミリアは上座の椅子にすわり、言った。

「エクスの染物組合長、ホズラー殿より、多額の寄付をいただきました。氏の健康と魂の安寧のため、祈りましょう」

 報告をつづける。エミリアは年を越し、十七になった。院長の座に就いたのは十六のとき。能力があるからではなく、単に年長だったからだ。ここはかつての〈少女〉たちの院。〈旧式〉の都ニーヴンに産まれ、ほかの娘同様、〈少女〉であることに気づかないまま育った。物心ついたときには、兄が戦に出ていた。両親は獣同然だった。エミリアは兄のいないあいだ、両親に家事や掃除、手仕事を教えた。両親はなにひとつ覚えられない。みるみる老けていき、四十と少しの年で死んだ。ああなると人はすぐに死ぬのだとエミリアは直感した。

 院に入る前、兄は十九だった。よく夜中に叫んでいた。未来への恐れが心をむしばみ、酒の量を増やした。エミリアは一度も〈旧式〉の飾りをつけなかった。なぜかはわからなかったが、いまでは主の導きだったと知っている。都の〈少女〉は飾りをつけ、美しく変身し、どこへか向かう。両親はかたくななエミリアに懇願し、ついに白状した。〈少女〉たちは娼館で働き、大金を稼いでいる。おまえの器量ならもっと稼げる。大金持ちになれるんだ。頼むから飾りをつけてくれ。

 都では変人扱いだった。書が唯一の友だった。ひとり木陰で考えた。いまにして思えば、考えていないに等しかったが。両親や兄と同様、広い世をなにひとつ知らなかった。そして十五の年のある日、〈苦行派〉の修道士が声をかけてきた。

「次は〈少女〉たちの救済についてです。今週は一人も救えませんでした。来週はニーヴンに向かう予定です。悪名高き〈少女〉売りが、市を開くとの情報を得ました。魂が気づけば、〈少女〉たちは飾りを外します。心を込めて語りかけましょう」

 つづいて個人的な訴えを聞き、規則違反を罰した。ひとりが殿方を連れ込んだ。謹慎七日。

 十四のマルガリーがかすれ声で言った。

「戦は、どちらが勝ったのでしょうか」

 すかさず無駄話が起きる。エミリアは制し、答えた。

「神の意は皇帝とともにあるようです。では最後に、お祭りについて」

 控えめな歓声が上がった。

「菓子の販売のほか、踊りと劇も披露いたします。客席には殿方もいらっしゃるでしょうが、おのれの立場をしっかりとわきまえ、決して誘いに乗ることのないように」

 解散し、それぞれの仕事に戻っていった。だれが男役をやるか、などとささやき合っていた。かつての〈少女〉たちは夜、抱き合い、声を押し殺し、互いを愛撫している。エミリアは度が過ぎたときのみ注意した。飾りのもたらす快楽はすさまじく、忘れられないのだという。エミリアは天上の主に感謝した。寂しい夜はあったが、あのような行為をせずに済んでいる。

 しばらく神の御前に残っていた。物思いに沈んでいると、靴が石床を打つ音を耳にした。

 見習いが走ってやってきた。はしたなく裾を持ち上げている。

「院長、アルムの伯爵様がいらしてます。おひとりで」


 アルムの伯ゲランは前庭で待っていた。エミリアは石畳の歩道を歩きながら様子をうかがった。骨張った青白い顔、肩まで届く脂っぽい黒髪、長い口髭。顔も外套も土埃にまみれている。先ほどまで戦場にいた男だ。

 こちらに気づくと正面を向け、心地悪そうに体を揺すった。外套の奥で剣の鞘が音を立てた。

 エミリアは少し離れたところで立ち止まり、挨拶した。

「お久しぶりでございます、閣下。どのようなご用件でしょうか」

「教会は会議を終えた。〈旧式〉の武器および飾りは、悪魔がこの世にもたらしたものである、と正式に認めた。このたびの戦で〈少年〉を雇った諸侯を破門に処し、領内でのすべての聖務を中止する、とのことだ。聖ジニは賛意を示されますか」

 答えかけ、引っかかった。

「閣下は、フュートの砦の守護者でもあられますが」

「そうだ」

「本日の戦でも、〈少年〉を雇われたのでしょう? 今後はどのようなお立場になられるのですか」

 表情があらわれた。眉を持ち上げ、意外そうに口を開いた。

「知らなかったのか」

 なにが。エミリアは慎重にうなずいた。

「なにぶん、このようなところで暮らしておりますので」

「もちろんわたしも破門だ。うれしくはないが、神の計画には協力しなければならない」

 神の計画。口を挟む間もなくゲランはつづける。

「もともと〈少年〉と〈少女〉を生み出したのは教会だ。古代の遺物を渡し、〈旧式〉と名づけた。教会は試した。人はどこまで愚かになれるのか。町をつくり、〈少年〉と〈少女〉を住まわせた。あなたの生まれはニーヴンでしたか」

「当時からたいへん栄えておりました。商人も多く集い」

「やつらは何世代も生きた。野良仕事さえできない男。料理さえできない女。家畜同然の大人が増えつづけた」

 エミリアは両親を思い出した。どうにか表情を保つ。

「そのような者たちをつくり、かつての教会はなにを目的としていたのでしょう」

「人の観察だ。そして神はいま、新たな計画を示された。聖アンナのネーゲル殿も賛同された。面識はおありか」

「はい。わたしどもは〈苦行派〉に属しておりますので」

「〈苦行派〉は〈少女〉売りの元締めだ。なぜあなたは救済事業などをされているのです」

「院の〈少女〉たちは、いい隠れ蓑となります。世に知られてはことですので。閣下もご存じのはずでは」

「あなた自身はいかがか。すべての〈少女〉の解放を望まれているのですか」

「規則に従い、できるかぎりのことをしております。わたしどもはおもに、〈少女〉売りの組合から入る権利料で暮らし、祈りを捧げておりますので」

「事を急げば院長の立場を失う、か。たしかに物乞いをして暮らしたくはないな」

「そのような世に生きております。仕方がありません」

 鼻で笑った。

「仕方がない。なるほど」

 頭に血が上った。思わず声を荒げた。

「尼僧院長には責任がございます。聖ジニが解散したら、だれが〈少女〉たちを救うのですか。愛すべき修道女たちをだれが養うのですか」

 ゲランは外套の中に手を隠した。鼻から息を吸い、吐いた。失望したとでもいいたげに。

「〈少年〉たちは以後、二度と戦ができなくなる。神の計画は、あらゆる組合に雇用の禁止を申し渡す。飲食や宿の提供も、善意の施しも禁ずる。どのみち民は、畑を荒らす〈少年〉たちを憎んでいる。事はすんなり運ぶだろう」

 なんのために。ただ観察するために。権力とはそういうもの。

「暴れ出すのではありませんか」

「それも教会は知りたがっている。もっとも暴れたところで死ぬのは民百姓だけだ。教会は観察し、書に記し、のちの世に役立てる。だがこれも、仕方のないことだな」

 怒りに任せて口をひらいた。

「ほかに御用は。仕事が立て込んでおりますので」

「これからは暇になる。神の計画は、〈少女〉の解放も禁止する。いずれ聖アンナから通達が来るでしょう。もうあなたにできることはない。祈る以外は」

 汚い言葉が浮かんだ。ぐっとこらえる。言ってはだめ。

「ではいますぐフュートの砦にうかがいます。いまのうちに、できるだけ多くの〈少女〉を解放いたします。許可をいただけますか」

「突然正義に目覚めたか。だが解放の儀は、しかるべき場を設けて行われるものなのだろう?」

「もちろん存じております。ですが、わたしに相談もなく、ネーゲル様は、なぜ勝手に」

 みっともなく声が震えた。涙がにじむ。ゲランはなにをしに来たのだろう。愚かな修道女をいじめて楽しむためか。

 ゲランはゆっくりと脇に退き、門のほうに手を差し出した。

「よろしい。参りましょう。その代わり、ある〈少年〉に道理を説いてやってほしい。名はフェール、フュートの隊長だ。決してやけを起こさず、おとなしく権力に従うように、と」

「従っても飢えて死ぬだけでしょう。なにをどう話せと言われるのです」

「心のままに話されよ。あなたは十七、やつと同い年だ」

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