山田小太郎②

 2003年11月28日。15時28分。園山県栗谷市栗谷町三丁目、栗谷総合病院にて、おんぎゃあと産声をあげた子がいた。その子の母は、幼少期からその端正な顔立ちと愛嬌、そして豪運で、社会の荒波を穏やかなビーチかの如く、キャッキャウフフと駆け抜ける人であった。父は、真面目な人で学生時代無遅刻無欠席を貫き、社会に出てからもその実直さが評価されて社内では慕われているという。そんな素敵な2人を引き合わせたのはオカルトであった。2人とも都市伝説や超現象、幽霊、妖怪といったいわゆるオカルトを生き甲斐としている人物であった。1998年3月に行われた河童捕獲オフ会@河川市に参加した2人は、川辺に落ちていた胡瓜を取ろうとした際、手が触れ合い恋に落ちたそうだ。今でも母は食卓に並ぶ胡瓜を見ては、うっとりと当時を語ってくれる。その後トントン拍子に事は運び、結婚。そうして2003年11月28日、僕こと山田小太郎が誕生した。名前の由来は「世界を救うほど立派な人間になるように」だそうだ。


 こうして僕の人生は最悪のスタートを切った。

 当時、U.Uはオカルト界隈では話題であったものの、一般的な知名度は皆無であった。

 僕はすくすくと成長した。他の子より早く掴まり立ちをしたそうだ。2005年、安野県あんのけん大震災。死者2万人。僕はすくすく成長した。幼稚園では誰よりも綺麗な泥団子を作った。 2006年1月7日人気タレント田辺光史氏の不倫が大々的に報道。それに伴い人気番組「田辺と窓辺で」終了。僕はすくすく成長した。両親は僕が強請ればなんでも買ってくれるようになった。2010年、有田県ありたけん大豪雨。被害は甚大であり、我が国の一次産業の40%を担っていた広大な田畑が軒並みダメになってしまった。僕はすくすく成長した。僕はクラスの人気者になった。だって世界を救う英雄なのだから。僕の一声で鬼ごっこはかくれんぼに。唐揚げだってじゃんけんに勝たなくてもいっぱい食べられた。 2013年8月、四月一日わたぬき総理、銃撃を受ける。10日後、死亡。僕はすくすく成長した。僕は学校よりテレビ局にいる時間が増えた。家や学校の前では、連日取材陣が押しかけ、街行く人は僕を神のように崇めた。2015年相良県あいりょうけん大震災。マグニチュード9.8を記録。海に面した相良県は津波の被害も甚大であった。僕はすくすく成長した。鏡を見ずとも、街では僕の顔ばかりがあった。2017年ゴンザ国経済崩壊。僕はこの世を理解した。そうか、この世界は僕のためにあったのだ。何をせずとも持て囃され、祭り上げられる。街を歩けば感謝され、褒められる。僕はこの世界の主人公であった。

 そして気付けば2024年12月31日。その日がやってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今日はこんにちは 多奈加らんぷ @Tanaka_a_a_a

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ