第2話





 晴盟さんとタヌキたちのケンカを解決してからしばらく経ったある日。

 学校から帰る途中、十字路で信号待ちをしてた私の背中に声がかけられた。


「のう、お主。加茂神社はどちらかな?」

「あ、神社だったら向こうの細い道から坂を……」


 私が振り返りながらそう言うと、そこに立っていたのは、お坊さんの着る袈裟けさを着た男の子だった。ちなみに坊主頭じゃなくて、ぼさぼさの黒髪を長く伸ばしている。

 手に持っているのは、錫杖しゃくじょうっていう杖だと思う。長い間使ってたのか、あちこちが欠けてぼろぼろだ。


「え? どこ?」


 口調はすごく古めかしいし、声はしわがれている。

 でも確かに男の子の声だし、目の前に立っているのは男の子。なんだか変な感じで、私は誰かほかにいないのかな? って周りを見回した。


「何をほうけておる。拙僧せっそうが聞いておるのじゃ。加茂神社はどこぞ? すまんが教えてくれ」


 なんだろう、この子?

 とりあえず私は神社の場所を教えてあげた。いつも晴盟さんがいる神社だから、道順を説明するのは簡単だった。


「おお! あ奴、随分とよいところに居座っておるな。うらやましい」

「分かった? ならいいけど……」

「うむ、世話になったな。例を申す。では、邪魔したの」


 男の子は気さくな感じでひょいって片手を挙げてから、神社の方向に向かって歩き出す。


「ねえ、君……名前はなんていうの?」


 つい、私はその背中に聞いてしまった。お坊さんの格好をした男の子は、私の方に振り返ると、にやりと笑った。まるで妖怪みたいな、得体の知れない笑い方だった。


播磨はりまの法師――『蘆谷導満あしやどうまん』じゃ」


 それだけ言い残して、その男の子は私の前から姿を消してしまった。





「『蘆屋道満あしやどうまんは平安時代の陰陽師である安倍晴明の最大のライバルで、彼と何度となく法力の勝負をしてことごとく破れてしまった人物である』――か」


 次の日。

 昼休みに学校の図書室で読んだ歴史の本には、そんな感じのことが書いてある。

 私も蘆屋道満の名前は見たことある。安倍晴明が出てくるマンガやゲームには、大抵ライバルとして蘆屋道満が出てくるからね。

 そしてほとんどの場合だけど、蘆屋道満は安倍晴明には勝てない。いつも一枚上手なのが安倍晴明なんだよね


「うーん、あの男の子って、この蘆屋道満なのかな」


 私は昨日会った男の子を思い出す。

 自分のことを蘆屋道満という男の子。身長や顔は子供なのに、その声はお爺さんみたいにしわがれていて口調も古めかしかった。

 でも、晴盟さんがこの八百古里市にいるんだ。蘆屋道満が今の時代にいてもおかしくないよね。





 放課後になって私が加茂神社に足を運んでみると、晴盟さんはいたけど蘆屋道満はいなかった。

 また晴盟さんは本殿の階段に腰掛けて、誰かの悩み事を聞いているみたい。


「僕のお母様にはもう我慢できません! 僕は家出します!」


 晴盟さんに向かってかん高い声でまくし立てているのは、私と同じくらい年齢の男の子。

 でも、ズボンからは立派なしっぽが伸びている。オレンジ色で先っぽは真っ白。たぶんキツネのしっぽだ。よく見ると……頭にもキツネの耳が生えてた!


「まあそう言うな。母君ははぎみにも思うところがあるのだろう?」

「そんなことはありません。お母様はいつも厳しくて恐ろしくて……あれではキツネではなくてオニです!」


 私は二人に近寄る。


「こんにちは晴盟さん。また相談事?」

「誰ですかこの子は!?」


 男の子はものすごい勢いで振り返ると、私を鋭い目でにらむ。

 キツネのしっぽと耳があるだけじゃなくて、顔もなんとなくキツネに似ている男の子だ。

 なんかイライラしているって言うか……デリケートな感じがする。もっと落ち着くと、きっと女の子に人気が出そうな顔になるんじゃないかな。


「こやつは花山里子。私の後援者だ」

「ええっ!? 晴盟さんを養うつもりなんてないから!」


 私のお父さんが地元のサッカーチームの後援会に入っているから、晴盟さんが口にした「後援者」っていう言葉をすぐに聞き取れた。

 まったく、晴盟さんは人を誤解させる天才だよ。私はそんなことしたくない。この人の食費であっという間に財布が空っぽになっちゃう。


「ところで、あなたは誰?」


 私がそれとなく聞くと、男の子は急に胸を張る。


「僕の名前は、葛城忍かつらぎしのぶ。お父様は葛城義秋かつらぎよしあき。お母様は葛城珊瑚かつらぎさんご。隣町のキツネの頭領の息子だ」

「タヌキの次はキツネかあ……」


 私はなんとなくげんなりしちゃった。

 また晴盟さんが面倒臭そうなことに首を突っ込んでいるよ。

 晴盟さんは暇だし、人の話を聞くのが好きそうだからいいけど、きっと私だって巻き込まれるよね。

 どうせ晴盟さんは「里子、お前の神隠しの件についての手がかりが見つかるかも知れないぞ。さあ、共に行こう」なんて言ってくるだろうなあ。


「ふん。お前には関係ない。僕は高名な陰陽師の安倍晴明様に会いに来たんだ。人間はさっさと帰れ」


 忍君は私を見て、バカにした顔で鼻を鳴らす。私はむっとしてつい言っちゃった。


「何よその言い方。あんなに晴盟さんにいっしょうけんめい説明してたんだから、少しは私に教えてくれてもいいでしょ」


 忍君は嫌がったけど、晴盟さんが促すとしぶしぶここに来た理由を話してくれた。

 簡単に言えば、忍君がここに来た理由はお母さんから逃げてきたからなんだ。キツネの頭領の息子として、忍君は毎日勉強や習い事ですごく忙しいんだって。

 それは全部、お父さんじゃなくてお母さんの珊瑚さんが取り仕切ってる。うんうん、毎日勉強ばっかりじゃ嫌になるよね。よく分かるよ。

 でも、私がそう言ったら忍君は心底バカにした顔でこっちを見る。


「君たち毎日のんびり暮らしてる人間が、僕の気持ちが分かるって? バカも休み休み言え。君と僕じゃ、アリとキリギリスくらいに忙しさの差があるに決まってる」

「はあ!? せっかく心配してあげたら何よその言い方! この前見たタヌキの方がよっぽどまし! 君のお母さん教育方法間違えてるわよ!」


 私が怒ると、忍君がもっと怒り出した。


「お母様のことをバカにするのはやめろ! 何も知らないくせに口を出すな!」

「知らないのも当たり前でしょ! 君と私今日初めて会ったんだから!」

「うるさい! お母様のことを悪く言う奴は僕が許さないからな!」


 そんなこと言って、さっきまでそのお母様のことをキツネじゃなくてオニだって叫んでたのは忍君なのに。変なことを言うんだなあ。

 忍君は毎日大変だったけど、それをうまくお父さんとお母さんに伝えることもできずに悩んでいた時、通りすがりのお坊さんに晴盟さんを紹介してもらったんだって。


(それって……もしかすると蘆屋道満?)


 私の頭の中に、あの袈裟を着てしわがれた声で話す男の子の姿が思い浮かぶ。

 晴盟さんはどうするんだろう。この前の五郎丸と多聞丸のケンカの時みたいに、じっと聞いてるだけで何もしないんだろうな。


「安倍晴明様にお頼み申し上げます。どうか僕をオニからかくまって下さい」


 うわーすごく都合のいいことを忍君は言ってるよ、もう。


「そこまで言うのなら、忍よ。今日はここに泊まっていくとよい」


 ……え?

 晴盟さんはなぜか忍君にすごく肩入れしているみたい。


「ありがとうございます。さすがは安倍晴明様。話が分かる方で僕はとても嬉しいです」


 そう言うと忍君は、まるで当然みたいな顔で本殿に入っちゃった。

 私はぽかんとして、何も言えなかった。

 忍君の姿が見えなくなってから、晴盟さんはおもむろに口を開く。


「さて、これはどういうことでしょうかな? 『蘆谷導満』殿」


 晴盟さんがそう言うと、ふらりと神社の鳥居の影から姿を現したのは、やっぱりあの男の子だった。外見とは全然違うお爺さんみたいな声で男の子は笑う。


「なあに、はんじ物よりは楽であろう? 天下の陰陽師、安倍晴明の腕を見たくてなあ」

「私がそんな大層な存在ではないことくらい、導満殿なら分かっているでしょう? 何しろ導満殿と私は同じ由来なのですから」


 晴盟さんはわけの分からないことを言う。由来ってどういう意味だろうか。でも、導満君は言いたいことが分かったみたいだ。


「だが、お互い借りている名前に、自分のあり方を引っ張られているのは同じであろう。だからこそよ。蘆屋道満を借りる以上、安倍晴明を借りる者に挑むのが当然ではないか」

「となると……導満殿は私に負けるのが当然、となるのですが、それで構いませんかな?」

「さてさて。勝ち負けの辺りで拙僧とお主の本性が出るかも知れぬなあ。そこは実力勝負と行こうではないか」

「ふむ。実にわずらわしいことです。この晴盟、こう見えて忙しいのですが」


 もっともらしい顔でそんなことを言う晴盟さんに、私は思わず突っ込んじゃう。


「どこがよ。いつもぼんやり空を眺めて暇そうにしているのに」


 私が口を挟んだら、ようやく導満君が私を見た。


「おお、お主は先日拙僧に道を教えてくれた娘ではないか。また会うとは奇遇じゃなあ」

「うん、そうだよ。また会ったね、導満君」

「導満『君』?」


 導満君が目を見開く。


「だって、なんだか老けてるけど……君、私と同じくらいの年でしょ? だって子供の身長だよ」

「う……うむ。まあ、そうだな」


 導満君は何か言いたそうだったけど、あやふやな様子でうなずく。


「はっはっは。今時の子供はなかなか発想が奇抜ですからなあ。まさか深々と頭を下げて『導満様』と呼ばれると期待していましたかな?」


 導満君の様子を見て、晴盟さんがここぞとばかりに大笑いした。





「本当に安倍晴明様にはご迷惑をお掛けしました。蘆屋道満様も私の息子に良かれと思ってしてくださったと信じております。どうか息子を、忍をここにお呼び下さい」


 神社の階段に腰掛ける晴盟さんに、上品な和服を着た女の人が必死な顔ですがっている。

 顔の雰囲気は忍君によく似ている。長い黒髪の頭には、忍君と同じキツネの耳が生えていた。一目見て、忍君のお母さんだって分かる。


「見たか小童こわっぱ。あれが忍の母親の珊瑚じゃ」

「どう見ても普通のお母さんにしか見えないけど? うーん、すごく美人ってことだけは普通じゃないかな」

「『色の白いは七難隠す』と昔から申すが、その美しさも腹を痛めて生んだ息子には通じぬか」


 私と導満君は少し離れた場所から隠れるような感じで、晴盟さんと珊瑚さんのやり取りを見守っている。

 導満君はすごく楽しそう。顔が悪だくみをする悪役の顔だ。


「私に欠点があるのでしたらどうかお教え下さい! 私は忍のためならば何でも致します! あの子は将来キツネの頭領というとても責任重大な任を担わなければなりません。そのためならば私は……私は……」


 とうとう珊瑚さんは泣き出しちゃった。本気で忍君を心配してるんだろうなあ。

 けれども、晴盟さんは気だるげに手で扇をいじくりながら、いまいち反応が薄い。


「ふむ、そう言うがな。私は術でお前の息子を隠したわけではないぞ。もっとも、かくまってはいるがな」

「それはなぜでしょうか? 安倍晴明様に何か我らキツネの一族が不作法を……?」

「いや。忍に頼まれたからな。ただそれだけじゃ」


 あっけにとられた様子の珊瑚さんに、晴盟さんは何か耳打ちした。気のせいかな? 晴盟さんの目は、隠れている私と導満君を見ているような気がした。





 ふらふらと神社の階段を下りていく珊瑚さんの背中を見送ってから、私は晴盟さんに近づく。

 すると、本殿の方から忍君も出てきた。今の晴盟さんと珊瑚さんのやり取りを見ていたみたい。

 心配しているような、困っているような、それでいてすっきりしたようなすごく複雑な表情をしてる。


「晴盟さん、何もしなくていいの? あれじゃ珊瑚さんがかわいそうだよ」

「まあ待て、里子。私はまず、この件をあずかってよく分かったことがある」


 私がそう言うけど、晴盟さんは目を閉じたまま聞き流す。


「忍。私はどうやらお前の母親を見くびっていたようじゃ」


 おもむろに目を開くと、晴盟さんは意味ありげな視線を忍君に向ける。


「え? そ、それはどういう意味ですか?」


 うろたえる忍君に、晴盟さんは言葉を続ける。


「いやはや。『外面似菩薩内心如夜叉げめんじぼさつないしんにょやしゃ』と昔から言うが、本当にそれを見るとは驚きよ」

「――なにそれ? どういう意味?」


 私が首を傾げると、晴盟さんは私の方も見てくれた。


「表面は美しくて菩薩のようだが、その性根は醜く恐ろしい、という意味じゃ」

「お、お母様はそんな……醜いとは言いすぎです、安倍晴明様」


 忍君は慌てて否定しようとするけど、晴盟さんは急に厳しい顔になって言う。


「外見だけなら菩薩のように見えるかもしれん。だが、私には分かるぞ。あの女はな、自分の息子のためならばあらゆるものを犠牲にできる夜叉のような母親だ。なんと恐ろしい女じゃ。うむ、忍よ。縁を切るがいい。この私が取り持ってやろう」

「お母様を悪く言わないでください! お母様はそんなひどい方ではありません!」


 忍君が叫ぶ。だけど、忍君がそう叫ぶと同時に、晴盟さんがにやりと笑った。


「これは驚いた。先ほどお前は母御ははごのことをオニのようだと言っていたが? なぜ私の言うことを否定する?」

「あ、あれはそういう意味で言ったんじゃありません。僕は……」


 たちまち忍君は困った顔。そこに晴盟さんが追い打ちをかける。


「お前は家出したいのだろう? 遠慮するな。私があの女と縁を切れるよう取りはからってやろうではないか。私の弟子になればいい。母とはこれっきりで今生こんじょうの別れじゃ」

「嫌ですよ! なんで僕があなたに弟子入りしなくちゃいけないんですか!? だいたい、あなたのどこが高名な陰陽師なんだよ! 会ってみたらただの変人じゃないか!」


 晴盟さんが一方的に話を進めてくるから、ついに忍君が怒り出しちゃった。敬語も忘れて、晴盟さんに食ってかかる。


「ほう、言ってくれるではないか。頭領になる勉強が嫌で逃げ出すような無責任な小童が、私を変人呼ばわりするとは片腹痛い」

「……晴盟さん、変人なのは事実だよ」


 私は隣で言う。

 本人はそう思っていないみたいだけど、どう控えめに見ても晴盟さんは変な人だけどね。

 忍君の言ってることはめちゃくちゃだけど、そこだけは正しいよ。


「里子よ、今いいところなのだから茶々を入れるでない」


 晴盟さんは私の方を恨めしそうに見てから、わざとらしく咳払いをする。


「……それで、忍よ。お前は母御の元から逃げ出したいのではなかったのか? なぜそれを今になって拒む?」


 晴盟さんは、手に持った扇で自分の膝を打った。有無を言わさない迫力みたいなものがある。


「それは……その……お、お母様にもよいところがあるし……本当は、その……僕のためを思ってしてくれているのは分かるからです」


 晴盟さんの気迫に負けたのか、忍君はしゅんとした様子でそう言った。キツネの耳がぺったりと伏せられ、しっぽも力なく垂れ下がっちゃった。


「ふむ、そうか。ならば、お前の母御は夜叉ではなく菩薩であると思っておるのだな?」

「はい。もちろん」


 忍君が力強くうなずく。


「では、お前はどうして母御に本心を告げぬのだ? 己の弱さをさらけ出す勇気がないからであろう」

「違います! 違うんです、僕はただ……ただ……っ」


 だんだん、忍君の目に涙が浮かんできちゃった。


「晴盟さん、いじめるのはやめてあげなよ。忍君がかわいそうだよ」


 私は思わず二人の間に割って入る。


「に、人間に情けをかけられるなんてまっぴらごめんだ! お前には関係ないことだから口を挟むな!」


 けれども、相変わらず忍君は私が嫌いらしくてそんなことを言ってきた。


「はいはい、分かったから。ねえ忍君、はっきり言ったの? 勉強ばっかりなのは大変だから少し減らしてって言った? もっと遊びたいって、友だちと仲良くしたいってお母さんに言ったの?」

「い、言えるわけがないだろ……。お母様は、僕のためを思っていっぱい頑張っているんだ。ほかのキツネたちにバカにされないように、いっしょうけんめい自分も勉強して、礼儀作法とかも学んで……。ぼ、僕がそんなこと言ったら、お母様が悲しむだろ」

「だから家出するんだ? そっちの方がよっぽど悲しむと思うけどな」

「うるさい! そんなことは分かってる! 僕だって本心では遊びたいさ! 友だちともっと遊びたい! でも本心を言っても……僕の本心なんて……」


 聞いていて、だんだん私はイライラしてきちゃった。つい叫んじゃう。


「もういい! なんなのさっきから本心本心本心って!? そんなに本心が好きなら本心と結婚でもすれば!? 本心なんて、言わなきゃ分からないでしょ?」

「お前……何を言ってるんだ? 意味が分からないぞ」


 あっけにとられた顔をする忍君。


「……はっはっは、まことそのとおりだ、里子」


 私たちのやり取りを見ていた晴盟さんが、いきなり笑い出した。


「忍よ。私がお前に望むのはたった一つだけだ。難しいかもしれないが、決して不可能ではないぞ」

「それは……何でしょうか?」

「里子の言葉の通りじゃ。己の本心を母御に告げよ。お前は賢い子であろう。だがな、我々は言葉を使わずして、己の思いを伝えるなどほぼ不可能なのだ。お前の感じたことをお前の口で告げなければ、母御は分かって下さらぬであろう」


 今までと変わって優しく晴盟さんはそう言う。


「で、でも……お母様はせっかくここに来て下さったのに、僕が隠れていたせいで帰ってしまい、チャンスが……」


 まだ尻込みする忍君だけど、あっさりと晴盟さんは逃げ道を塞いじゃった。


「いや。すぐそこにおるぞ。私がしばらく身を潜めているように命じておいたのじゃ」

「お母様!?」


 忍君のしっぽの毛がぶわっと逆立った。神社の入り口の鳥居に、呆然とした表情の珊瑚さんが寄りかかっている。


「ほれ、珊瑚よ。お前の息子は何やら言いたいことがあるようじゃ。聞いてやれ」





 キツネの親子が、並んで加茂神社を後にして階段を下っていく。

 来るときは別々だったけれど、帰るときは一緒。


 結局、あの後晴盟さんに背中を押された忍君は、お母さんの珊瑚さんに自分の気持ちをきちんと伝えた。

 お母様が自分のためを思っているのは分かるけど、自分だってもっと遊びたいし、自由な時間が欲しい。勉強も習い事も頑張るけど、そればっかりじゃ息が詰まりそうだ、ってはっきりと珊瑚さんに言ったんだ。

 珊瑚さんは忍君の本心をちゃんと聞いていた。

 今まで気づかなくて悪かった、と忍君にあやまっていた。


 この後二人がどうなるのか分からない。でも、とりあえず晴盟さんの前で二人は仲直りしたように私には見えたんだ。

 このまま、家に帰っても仲良しでいて欲しいよ。

 鳥居をくぐったとき、忍君が振り返ってこっちを見た。

 私が手を振ると、忍君はびっくりしたように耳をピンと立ててから、ちょっとだけ手を振ってくれた。


「いやはや、さすがじゃなあ晴盟よ。指一本動かさずほつれた問題を解きおったわ」


 導満君がにやにや笑いながらわざとらしく手を叩く。


「なぜ私を誉めるのですかな。むしろ、誉めるべきは私ではなくこの里子ですよ、導満殿」

「え? 私? なんで?」


 いきなり晴盟さんにそう言われて、私はびっくりした。私なんて、忍君と口げんかしかしてないけど?


「本心は言わねば伝わらぬ、その当たり前のことをお前が言ってくれたのだ。ちょうどよい頃合いにな。お前の『寸鉄人を刺す』言葉の方が、この晴盟の言葉よりもよほど忍の心に届いた、ということじゃ。見事であったぞ、里子」

「あ、ありがとう……晴盟さん」


 晴盟さんに誉められるのは初めて。なんだかちょっとだけ嬉しい。

 晴盟さんは自分が回りくどい言い方をしていることは自覚しているみたい。だったら、もう少し直せばいいのに。

 こうして、加茂神社にもう一人変な人が居座ることになったんだ。

 安部晴盟と蘆谷導満。晴盟さんだけでもとんでもないのに導満君まで加わって、なんだか私はどんどん不思議な方向へと引っ張られていくみたい。





「あれ、導満君だ。こんにちは」


 それからしばらく経ったある日。

 私が神社に顔を出してみると、境内を掃いている導満君がいた。竹箒は神社に置いてあったのを使っているみたい。


「おお、盧生殿か。息災そくさいかのう?」


 地面を掃く手を休めて、導満君は私の方を見る。

 子供の姿とお爺さんみたいなしゃべり方が、ちぐはぐなのに合ってるのが本当に不思議。


「ロセイ?」

「なあに、気にするな」


 私が首を傾げると、導満君はごまかす。


「晴盟さんは?」


 今日は珍しく晴盟さんは神社にいない。

 私が晴盟さんの名前を口に出すと、思いっきり導満君が嫌な顔をしちゃった。


「拙僧が知るわけがなかろう。あ奴は行雲流水の如き男よ。まったく、うらやましいやら憎らしいやら」

「導満君って、晴盟さんのライバルだからね」

「ふん、拙僧があ奴の好敵手なのではない。あ奴が拙僧の好敵手なのじゃ」

「どっちも同じじゃないかな……?」


 よく分からないこだわりだよね、それ。

 私は本殿の階段に腰掛けて、改めて導満君に聞いてみた。


「ねえ、導満君。ロセイってなに?」

「なぜ知りたい?」

「晴盟さんも、私のことをそう言ったんだ。よく覚えてる」

「ふむ……」


 導満はあごに手を当てて考えているみたい。

 何かの名前みたいなロセイ。

 晴盟さんだけじゃなくて導満君まで私のことをそう言うから、きっと深い意味があるんだよね。


「ならば、教えてやろうではないか、里子よ」

「うわっ!? 晴盟さん、いたの!?」


 私はいきなり声をかけられてびっくりした。

 いつの間にか、私の後に晴盟さんが立ってる。いるならいるってはっきりして欲しいよ。


「今来たばかりじゃ。里子、勉強熱心なようだな。この晴盟、親御のように嬉しく思うぞ」


 なんか生き生きとした様子で、晴盟さんは私の隣に座るとロセイについて説明し始めた。

 盧生っていうのは中国の古典に出てくる人の名前で、試験に落ちた後、邯鄲かんたんという場所で不思議な枕をもらって眠ったら、長い一生を生きた夢を見たんだって。

 けれどもそんな夢も、目を覚ませば枕元の粟のご飯がまだ煮えてないくらい短い間だった、って感じのお話。

 人生で栄えたり衰えたりすることがあっても、それらは本当にはかないことだ、って言いたいみたい。「邯鄲の枕」や「黄粱一炊こうりょういっすいの夢」って名前でこのお話は今に伝わっているんだって。


「それって夢オチってことでしょ。マンガとかにあるよ。主人公がいろいろして、どうしようもなくなって、最後にベッド目を覚まして『な~んだ、夢か』で終わるの。あんまりいい終わらせ方じゃないと思うけどなあ」

「ははは。里子はなかなか手厳しい。目が肥えておる」


 それにしても、夢って不思議だよね。見ているときはこれが夢だって分からないのに、覚めたら夢だったって全部分かる。たまに、夢を見たことだけは覚えてるけど、どんな夢か思い出せないこともあるし


「それで、なんで私が盧生だって言うの?」


 盧生ってなんなのか、晴盟さんが説明してくれたおかげでやっと分かった。

 でも、そんな夢オチの主人公が、どうして私と関係があるんだろう?


「いや、もしかすると里子。お前がその盧生とよく似た身の上かもしれんと思ってな」

「どういうこと? 今私が眠っていて、これが全部夢だってこと? まさか? 私は起きてるよ」


 だって、私は確かに今日布団から起きたよ。目覚まし時計の音はよく覚えてる。目が覚めてから今まで、何をしていたのか言える。

 なのに、晴盟さんと導満君はなんとも言えない表情で顔を見合わせてる。


「……冗談だよね、晴盟さん」


 私は急に怖くなってきた。

 自分が当たり前だと思っているものが、実は当たり前じゃないって言われたみたいな感じ。

 普通なら、ここで晴盟さんはにやりと笑って「もちろんじゃ。何を本気にしておる」って言うはずだ。

 ……言うはずだった。


「そうであれば、良かったのだがな」

「――なにそれ」


 晴盟さんは笑わないで私を見た。導満君もだ。なんで、そんな目で私を見るんだろう。


「私、もう帰る」


 急に神社の空気がよそよそしくなったみたいで、我慢できなくて私は立ち上がった。二人は追いかけてこなかった。

 長い階段を下りていく途中で、私の目に一匹のネコの姿が飛び込んできた。オレンジのしましまの毛色は、もしかして寅吉だろうか。


「あ、寅吉だ。おいでおいで」


 しゃがんで呼んだのに、そのネコは「ニャー」とだけ鳴いて逃げちゃった。

 ……ただのネコだったのかな?





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