第1話
◆
「晴盟さん、今日は誰かここに来た?」
私は本殿に近づくと、晴盟さんの隣に腰を下ろした。
こうやって一緒におしゃべりするのは、いつからなんだろう。
なんだかすごく自然に、私はいつも晴盟さんとお話ししてる。まるで、小さい頃からずっとこの人と知り合いだったみたいな感じだ。
本当にそうだったのか、それとも晴盟さんのそばにいるとなんとなく安心するからなのかは分からないけどね。
「いや。相変わらず神社は静かそのものだ。私は今日もここに座し、空を見上げて雲の行く先を眺めていた」
階段を下った先に広がる八百古里市と違って、時間がものすごくゆっくりと流れていそうな加茂神社の境内。
そこの雰囲気と、古めかしい平安時代の格好をした晴盟さんはぴったり。
口から出てくる言葉ものんびりしすぎている。大の大人が一日中空を眺めて過ごしているなんて、ネコじゃあるまいし。
「子供は勉強。大人は仕事。みんな忙しくしてるのに、晴盟さんだけ暇そうだね。なんだかずるい」
私は唇を尖らせる。
私の家はお父さんもお母さんも毎日忙しく働いている。私だって小学生だけど、毎日勉強や当番や宿題で忙しい。
それなのに、この人は一人だけ優雅に毎日を過ごしているみたい。私がずるく思うのも変じゃないでしょ?
でも、私がいない間、晴盟さんがどこにいるのかは知らないなあ。
幽霊みたいに消えちゃっているのかな。
本人に聞いても「さて、どうであろうな」と適当にごまかされるから聞かないけどね。
「まあ、そう言うな。これも時代の流れというものだ。だが里子、私を見くびってもらっては困るな。こう見えて、私にも役割ができたのだ」
晴盟さんは、頭の烏帽子をかぶり直しながら言った。微妙に得意そうに見えるのがちょっと腹が立つ。
「へえ、そうなんだ。何? どんなことするの?」
私は話を合わせてあげる。なんだかこれじゃあ、どっちが大人だか分からなくなりそうだよね。
でも、少し興味がある。晴盟さんの仕事ってなんだろう。
日本が舞台のファンタジーとかなら、晴盟さんは妖怪退治の専門家とかそんな感じのことをしてるはず。悪い妖怪とかから、みんなを守るために戦う陰陽師、とかそんな感じだよね。
でも、私の予想は全然違ったんだ。
「人の話を聞く」
晴盟さんはそう言うと、うんうんと一人でうなずいている。
「……それだけ?」
「うむ」
晴盟さんはどう見ても大まじめ。それ以上何も言わない。
私はがっかり。人の話を聞くだけなんて、誰でもできることじゃないかな?
「そんな……だって晴盟さん、陰陽師なんでしょ。式神とか使って、かっこよく妖怪を退治、みたいなことしないの?」
私が正直に自分の思ったことを言うと、今度は逆に晴盟さんの方が私を呆れた目で見てきた。
なんでそんな目で私を見るの? 私がものすごくバカなことを言ってるみたいだし。
「里子。お前は陰陽師を妖怪やモノノケの退治屋とでも思っていないか?」
「違うの?」
「陰陽師というものは天文博士として星を見、暦を作ることが役割だ。この晴盟、生まれてこの方、式神や術を使ったこともなければ妖怪変化を見たこともない」
「ええ……つまんないなあ……」
「何を言うか。妖しげな術を使って人の心をたぶらかすよりも、帝のため、世のため、人のためとなる暦を作る方がずっとよいではないか。少なくとも、私はそう思うぞ」
がっかりする私をよそに、ますます得意そうな表情になる晴盟さん。
マンガやゲームに出てくる安倍晴明と、この晴盟さんとは全然違う。
そもそもこの人、本当に陰陽師なのかな? なんだか自然に話しているけど、やっぱりこの人の正体は何も分からないまま。
「しかしな、里子。人の話を聞くと言っても、ただなんとなく聞き流せばそれで終わり、というものではないぞ。そして人の話を聞くのに、肩書きや名声などかえってじゃまというものだ」
「なんで? 安倍晴明って有名人だからみんな会いに来るんじゃないの? それに、人にしてあげることが話を聞くだけって変なの」
「別に、私が安倍晴明とやらであることに、意味など無いぞ」
私たちがとりとめもない話をしていると、足元から小さな声が聞こえてきた。
「もうし、もうし、そこのお方。お頼み申す」
いつの間にか、オレンジのしましまのネコが私の足元に近づいてた。
長い尻尾をぶんぶんと振って、ネコは私たちを見上げる。
「あっ! ネコ!」
私は立ち上がってネコを抱っこしてあげた。ネコはおとなしくぐにゃーんと伸びる。かわいいなあ。
……っていうか、猫がしゃべってる!
「ほう。これはまた小さな客人が来たものだな」
もうちょっとでネコを放り投げちゃうくらいにびっくりした私と違って、晴盟さんは口元を扇で隠しながらネコを見つめる。ぜんぜんびっくりしてない。
「私めはこの町のネコたちの長、
ネコの声は男の子の声だ。体が小さいのに、声がはっきり聞こえるから不思議。
「ほほう。この私にか」
あ、なんだか晴盟さんがやる気を出しているのが分かっちゃった。
たぶん、すごく暇だったからかまって欲しかったんじゃないかな。私は晴盟さんとおしゃべりするけど、頼ったことは一度もないからね。
――晴盟さんに解決して欲しいことなんて、一つしかない。
でもそれを簡単に頼めちゃうほど、私はこの人と仲良くない。
たぶん晴盟さんは私が相談すれば聞いてくれると思うけど、解決してくれるかな?
晴盟さんはさっき「人の話を聞く」ことが自分の仕事だって得意げな顔してた。でも私の問題は、聞いてくれるくらいでどうにかなっちゃうことじゃない……と思う。
「はい。実は最近、この町で妙なことが起きておりまして」
「それは穏やかではないな。聞かせてもらおうか」
私があれこれ考えている隣で、暇人の晴盟さんとそこを訪れたオレンジのしましまのネコは、早速仲良くなってる感じだった。
◆
晴盟さんは寅吉を座布団の上に座らせて、自分はそばであぐらをかいている。
私は階段に座ったままだ。人間の私には何も出さないで、ネコには座布団っておかしくない?
これがただおしゃべりするだけの私と、トラブルを相談してくる人との差なのかな。
……ふーん、そうなんだ。
「申せ。何があった?」
納得できない私を無視して、晴盟さんは寅吉を構ってばかり。
「実は、この八百古里市の北にある
寅吉は座布団の上にちょこんと座って、両手をじゃれるみたいに振り回して大げさにお話してる。なんだかちょっとわざとらしい。
「縄張り争いでもしているのか?」
「それが、先代のタヌキの長である
「ふん。そんなことでもめておるのか。人間と変わらぬな」
晴盟さんは呆れたように言った。
「西の
寅吉は早口で説明してから、今度は座布団の上でかしこまって座ると、ぺこりと頭を下げてた。
外見はネコなのに、動きが人間っぽくてちぐはぐ。
そもそも、ネコなのに人間の言葉をしゃべってるから、もうちぐはぐなんてレベルじゃないけどね。
最初はすごくびっくりした私だけど、なんだかすぐに慣れちゃった。ずっとこういう不思議なものが、私の近くにいたような気がする。
それになによりも、晴盟さん。
この町は、こんなにうさん臭くて怪しくて変な自称安倍晴明のそっくりさんがいる町だからね。
しゃべるネコがいたりタヌキが西と東に分かれてケンカしててもおかしくないよ。晴盟さんが、私の非常識のハードルを思いっきり下げてるなあ。
「ほら晴盟さん、私の言った通りでしょ? このネコさん、晴盟さんが安倍晴明だから頼みに来たんじゃない」
私は胸を張る。
「ふむ。そうなると安倍晴明という肩書きもそうそう捨てたものではないようだな」
今さら気がついたのかな。
晴盟さんはもっともらしい顔をして扇を閉じる。
何が「そうそう捨てたものではない」よ。安倍晴明なんて、子供でも知ってる日本で一番有名な陰陽師なのにね。
マンガやアニメやゲームにも登場するし、大抵はすごく強くてすごく頭のいい人って感じで描かれている。
そんな普通の人が逆立ちしても手に入らない肩書きを持ってるのに、晴盟さんの態度は他人事だよね。
まあ、この人は安部晴盟って名前だけど、本物の陰陽師の安倍晴明じゃないらしいんだよね。
もうその辺については、私は分からないものとしてあきらめるしかないよ。
「それで……お返事の方はいかがでしょうか?」
寅吉がもぞもぞと座布団の上で身じろぎすると、晴盟さんの方を見上げる。ネコが餌をねだって飼い主にすり寄るときの動きそのものだよね。
「晴盟さん、助けてあげなよ。どうせ暇なんでしょ?」
「里子。私はそれほど暇ではないぞ」
私が助け船を出してあげると、なぜか晴盟さんはそんなことを言う。
嘘ばっかり。いつも神社の境内でのんびり空を眺めているくせに。
「ところで寅吉よ。なぜお前たち町で暮らすネコが、わざわざ神輿山のタヌキの争いに加担する? そんなもの捨てておけばよいのではないか?」
晴盟さんがそう言うと、寅吉はぎくりとした様子で顔をごしごしと洗い出す。
さっきもわざとらしかったけど、今回はそれよりもっともっとわざとらしい。
「そっ、そのようなことは……いえ、その、実はそうなのですが……」
「なんじゃ。はっきりしない奴だな。正直に申してみろ」
寅吉は念入りにヒゲを手入れしてすごくごまかした感じだったけど、じっと晴盟さんが待っていると、ついに折れたみたいだ。
尻尾をぐにゃりと曲げて耳を伏せちゃった。
「ニャ……。実はですね。ご存じの通り、タヌキは昔から八百古里市の周辺では一番大きな権力を有しているんです。例えば、このあたりでは、キツネとタヌキの化かし合いでタヌキが勝ったことが有名ですよね。僕たちネコとしては、その、タヌキとうまいことやって、次代の頭領の方とねんごろにできれば万々歳、というわけなんです」
「ふむ。つまり、タヌキどもに恩を売って、あわよくば神輿山の権力のおこぼれにあずかりたい、ということか?」
「まあ、平たく言えばそういうことになります。あ、これはもちろんボスの白秋様のお考えで、僕のような可愛いだけが取り柄の三下にはあずかり知らないことですよ」
「なによそれ。ネコのくせにずる賢いなあ」
しれっとした顔の寅吉を見て、私は呆れた。
ううん、でもネコらしいずるい考えかも。あちこちの家でエサをもらって、どこの家の人にも「あなただけが頼りです」って感じですり寄ってくるノラネコを思い出すなあ。
「里子よ、そう言うな。ネコはネコでそれなりに苦労があるのだ」
しばらく晴盟さんは扇を手でもてあそびながら考えていたけれど、やがてほほ笑んだ。
「よかろう。この晴盟、一つお前たちネコのために知恵を貸してやろうではないか」
「あ、ありがとうございます! さすがは安倍晴明様!」
あっという間に寅吉は、ごろごろと喉を鳴らしながら晴盟さんに顔をすり寄せてくる。本当にネコらしい態度だよね。
「礼を言うなら、まずはこの厄介事を解決してからだな。里子、明日もまたここに来ると良い。共に神輿山まで出向こうではないか」
「はいはい。私は暇じゃないけど、せっかくだから晴盟さんに付き合ってあげる」
こうして私は、晴盟さんのところにやって来たしゃべるネコの寅吉によって、神輿山のタヌキたちの争いに巻き込まれることになってしまったんだ。
◆
そして次の日。
私たちは、神輿山の頂上にある寂れた神社にいた。
「ふう……疲れたぁ……」
小学生の足には山登りはちょっときついよ。
参道っぽいのはあるけど、全然手入れされてないからあちこちに木の根っこが突き出しているし、石段は苔むしていて足を滑らせそうで怖かった。
「なんじゃ。最近の童子は体力がないのだな」
私の隣で晴盟さんは平然としている。見るからに歩きにくそうな格好なのに、全然疲れてないのがずるい。
この人、本当は私にしか見えない幽霊じゃないだろうか。幽霊なら、汗をかいたり疲れたりすることはないからね。
「そうですねー。人間さんはひ弱です」
「あんたは疲れたらちゃっかり晴盟さんに抱っこしてもらってたでしょうが」
近くの立て札に顔をごしごしとすりつけている寅吉を私はにらむ。
一番最初に「疲れたからもう歩けないニャン」とか言い出して、晴盟さんに抱っこしてもらって楽をしてたくせに。
「それにしても……なんなのここ?」
少し休憩してから、私は周りを見回してみた。
そんなに広くない境内には、なぜか沢山のタヌキの置物が置かれている。
境内の真ん中が空いていて、タヌキの置物はまるで合戦前の兵隊みたいに二つの陣営に分かれているみたいだ。
片方の陣営のタヌキの置物には、みんな落書きがされてあった。顔にヒゲを書いたり「バカ」「アホ」とか低レベルな悪口が書かれている。
「いつからここはタヌキの置物専用のごみ捨て場になったの……?」
私がため息をつくと、いつの間にか片方の陣営の置物がいくつか無くなって、代わりにびしっとしたスーツを着た若い男の人たちが現れた。
全員タヌキの尻尾と耳がある。
「安倍晴明様、ご足労いただき感謝します。自分、神輿山の次代頭領の五郎丸と申します。どうぞお見知りおきを」
一番前に立っていた角刈りのがっちりした男の人が、サングラスを取って一礼する。すると、その後ろにいた男の人たちがそれにならっていっせいにおじぎした。
態度は丁寧だけど、何だか怖い雰囲気。
この人たちが神輿山のタヌキらしい。喋るネコの寅吉に人間に化けるタヌキなんて、昔話の妖怪そのものだよ。
「まだ次代の頭領と決まったわけではあるまい。多聞丸もいるのではなかったか?」
それなのに、晴盟さんは平然としてる。
そもそも晴盟さんは、「妖怪変化を見たこともない」って言ってた。今こうやって目にしてるのにね。
晴盟さんにとって、喋るネコや人間に化けるタヌキは妖怪じゃないのかな?
「あんなよそで遊び暮らしていたどら息子なんて、親父の目の黒いうちは山に入れなかったはずです。だいたい、うちは山のタヌキたちの人生を背負って立つ伝統ある一族ですよ。それがイタチの一族と連れ立ってふるさとを逃げ出し、親父が死んだら何食わぬ顔で帰ってくるなんて……。あんな奴は弟じゃありません」
「ははは、その多聞丸とやらはずいぶんと嫌われたものだな。兄として大変だっただろうな」
「はい。あいつはガキの頃からバカで向こう見ずでやんちゃばかりで、本当に困ったもんです。あんな奴がこの山の長になったら、ご先祖に顔向けできませんよ」
晴盟さんがのらりくらりと同意してくれているからだと思うけど、タヌキの五郎丸は弟の悪口を言ってばかり。
なんだか寅吉と同じわざとらしさを感じるのは私だけかなあ。
五郎丸は大げさに弟の多聞丸を悪く言いながら、ちらちらと晴盟さんの顔色をうかがっているみたい。
晴盟さんに、自分のイメージを良く見せたいんじゃないかな。
「さて、そろそろ本題に入りたいのだが、よいだろうか?」
「あっ、はい。どうぞ」
まだまだ続きそうだった五郎丸の話を、ぴたりと晴盟さんはやめさせる。
「うむ。このネコの寅吉の話によると、タヌキたちは今、次代の頭領を決めるために神輿山を真っ二つにして争っているそうだな?」
晴盟さんが足元を見る。そこにはさっきから自分は無関係みたいな顔をしている寅吉がいた。
「まさか。争ってなどいません。次の頭領はこの五郎丸と決まっております。この決定に弟が文句を言ってるだけです」
五郎丸はいきなり変なことを言ってきた。
五郎丸本人は、完全に自分が頭領になった気でいるみたい。
でも寅吉は昨日、タヌキたちは後継ぎを巡ってケンカをしているって言っていたよね。全然話が違うけど。
「おや、ではこの晴盟は多忙な中わざわざここまで出向きながら、なんと無駄足を踏まされてしまった、ということか」
晴盟さんが意地の悪いことを言う。
多忙なんて嘘ばっかり。私とおしゃべりしているときはのんびりとしてるのに。
だんだん雰囲気が嫌な感じになってきた。
「いえ、そのような……おい、寅吉。どういうことだ? 俺は安倍晴明様に、この五郎丸を頭領として認めていただける後押しをお願いしたんだぞ?」
五郎丸が晴盟さんの雰囲気にたじろぎながら、寅吉を怒る。
それなのに、寅吉はその場でごろんと転がってお腹を見せながら知らんぷりをしてる。
「にゃんにゃん、知らないニャン」
うわあ、こういうのを「そらぞらしい」って言うんだよね。
完全に、テーブルの上のご飯を勝手に食べたくせに、自分は何もしていないってひっくり返ってとぼけるネコそのものだよ。
「ふざけるな! すみません安倍晴明様、この不作法は後日おわびを……」
私たちの目の前で五郎丸が冷や汗をかき始めた時だった。
「――おい五郎丸、何勝手に決めてるんだ。お前みたいな石頭が頭領になったら、神輿山のタヌキが全員迷惑するぞ」
五郎丸とそっくりの声が境内の入り口でした。
「多聞丸! どのツラ下げてここに来た!」
ずかずかとスーツ姿の男の人を引き連れて境内に入ってきたのは、頭を金髪にしてすごく派手なアロハシャツを着た男の人だ。
もったいぶってサングラスをはずすと、その顔は五郎丸そっくりだった。そのサングラスをはずす仕草も、五郎丸そっくりだ。
「どうも、安倍晴明さん。俺のバカ兄貴が迷惑かけてすみませんね。おわびは兄貴の代わりに次の神輿山の頭領の多聞丸が頭下げますから、よろしくお願いします」
男の人はなんだかあんまり礼儀正しい感じじゃないけれど、いちおうぺこりとおじぎした。
自己紹介しなくても分かるよ。この人が五郎丸の弟の多聞丸だよね。
「あ~あ、まったく兄貴にも困ったもんだな。俺にびびって逃げ回っていたせいで、ここまでたどり着くのに一苦労したぜ。まあ、こうして会えたんだからもう逃がさないぜ」
多聞丸は五郎丸をにらみつける。
「寅吉よ、お前、私と里子をここまで案内するように見せかけて、実は多聞丸を案内していたな?」
晴盟さんが足元の寅吉を見る。
どうやら、多聞丸はこっそりと私たちの後をつけていたみたい。きっと、ずっとお兄さんの五郎丸に会いたかったけれども会えなかったんじゃないかな。
そこで目をつけたのが寅吉。
五郎丸が寅吉に「神輿山の頭領として認められるよう後押ししてほしいから、安倍晴明様にここまで来るよう頼んでくれ」って言ったのを聞きつけたんじゃないかな。もしかすると、寅吉が自分から話したのかもしれないけど。
だから多聞丸は、私たちを案内する寅吉の後をつけて、こうしてずっと会えなかったお兄さんに会うことができた、っていうのが私の推理。
「にゃんにゃん、そんなことないニャン」
晴盟さんの言葉に、また寅吉は何も知らない顔でその場でごろんと転がる。
「白々しい奴め。まあよい。これで役者はそろったようだ。兄弟水入らずをゆっくりと楽しむがいい」
「晴盟さん、それ本気で言ってる……?」
私は開いた口がふさがらなかった。今にも二人のタヌキはとっくみあいのけんかをしそうなのに。
「ちょっと待ってください! こんな馬鹿げた話が通るわけがないでしょう!」
「そうだ! お前が勝手に頭領になるなんて認められるか!」
「なんだと! 今更神輿山のどこにお前の居場所があるんだ!」
「俺が外に出てたのは、故郷に錦を飾るためなんだよ!」
私たちを放っておいて、延々と五郎丸と多聞丸は言い合ってる。
お互いが引き連れていたタヌキの部下らしい男の人たちも、二つの陣営に分かれてにらみ合っていた。
一触即発、って言葉はこんな状況なんだろうなあ。
きっと、晴盟さんがいなかったら本当にけんかになってたんじゃないかな。
「安倍晴明様! 次期頭領はこの五郎丸がふさわしいと言ってください!」
「いや安倍晴明さん、この多門丸こそが、神輿山に新しいイノベーションをもたらす者だと思いますよね!」
二人が晴盟さんに詰め寄る。目が血走っていてかなり怖い顔だよ。
よく分からないけど、この二人にとって「神輿山の頭領」っていう肩書きはものすごく大事みたい。
「晴盟さん、どっちがいいと思う?」
なんだかちょっと可哀想になってきたので、私はちょっとだけ助け船を出してみた。
「知らぬ」
けれども、私の助け船は一瞬で沈没しちゃった。
晴盟さんはここまで巻き込まれたのに、全然関係ないみたいにあっさりとそう答えたからだ。
「そ、そうですよね。では今夜は我が五郎丸の屋敷へどうぞ。山海の珍味をご用意しておもてなしを……」
「いえいえ。安倍晴明さんにはむしろ町の高級レストランの方がお似合いでしょう。フレンチ? それともイタリアン? もちろんこの多聞丸がおごらせていただきますが……」
今度は二人は急に態度を変えて、揉み手をしながら晴盟さんにへつらってきた。
「え? それいいかも?」
何だかおいしそうなものが食べられそうな感じがして私は飛びつくけど、晴盟さんはこの申し出にも気が進まないみたい。
「あいにく、陰陽師はぜいたくは好まぬ」
な~にが「陰陽師はぜいたくは好まぬ」よ。
晴盟さんはいつも自分はマンガやゲームに出てくるような陰陽師じゃないって言っているのに。こういうときだけ陰陽師みたいな顔をするのは本当にずるいと思うなあ。
そして晴盟さんは、二人を見てはっきりとこう告げた。
「後日、改めて先代の屋敷へ向かう。そこで二人のどちらがふさわしいか、陰陽の導きで決めようではないか。連絡にはこの寅吉を行かせよう」
「ぼ、僕ですか?」
「何か不満か? 私をここまで巻き込んでおいて、責任を取らぬと申すのか?」
自分は関係ない顔をしてた寅吉は、晴盟さんににらまれてしっぽの毛を逆立てたけれど、少ししてうなずいた。
「い、いえ……分かりました」
「ほれ。このように町のネコもお前たち二人のいさかいに興味しんしんだ。ネコたちに侮られないよう、この晴盟が手を貸してやろうではないか。喜ぶがいい」
「あ、ありがたきしあわせ……」
「は、はい。感謝します……」
五郎丸と多聞丸の二人は、なんだか納得いかないような、納得いくような感じだったなあ。
◆
「さて、寅吉よ」
「はいはい、なんでしょうか」
「少し仕事だ。あの二人の身の回りを調べて私に知らせよ」
山を下りながら、晴盟さんは寅吉に命じる。
「ニャン。僕は白秋様の部下ですよ。いくら安倍晴明様が高名な陰陽師でも、アルバイトはちょっと……」
寅吉はあまりやる気じゃない感じだったけど、晴盟さんは有無を言わさなかった。
「高級猫缶を里子に買わせるからやれ」
寅吉は即答しちゃった。
「了解です僕に任せてくださいすぐに調べてきます」
ものすごい速さで走り去っていく寅吉の姿を見ながら、私はため息をついた。
もしかするとだけど、最初やる気がなかったのは、晴盟さんから何かもらいたくてわざとそうしていたのかもしれない。
ううん、絶対にそうだよ。
「なんて単純なネコ……」
「ネコとはそういうものではないか?」
晴盟さんは涼しい顔をしている。ええ、そりゃそうですよね~。
だって……
「私、猫缶を買うなんて一言も言ってないんだけど、晴盟さん」
「必要な出費だ。何事も無料では行えぬということを身をもって知るといい」
そんなひどいことを言う晴盟さんを私はにらむ。
晴盟さんが涼しい顔をするのも当然だよね。だって、一円も払わないんだから!
自分で買えばいいのに、なんでわざわざ私のお財布を当てにするんだろう。
もしかして、晴盟さんって無一文なのかな。
「はいはい。晴盟さんはいいよね。適当なことを適当に言っていれば周りがちやほやしてくれるんだから」
「年長の者は敬ってしかるべきだぞ」
「だったら、年長らしくふるまってよ。今の晴盟さん、陰陽師っていうよりただの詐欺師っぽいよ」
「むむ、この晴盟を詐欺師とは……」
「傷ついた?」
私はちょっと言い過ぎたかな、と思って晴盟さんの顔を見上げる。
「……なかなか当を得た表現だな。里子、お前の頭の働きはほめるに値するぞ」
全然傷ついていなかったみたい。なんなの、この人。
「――そういえば、これからどうするの?」
私は長くて曲がりくねった石段を下りながら、晴盟さんに尋ねる。
「どうするの、とは?」
「あのタヌキの二人のことだよ。二人とも、自分が頭領になる気満々だったね。晴盟さんの占いとかで、どっちが次の頭領にふさわしいか決めるの?」
「里子、一つ言っておこう」
私の疑問に、晴盟さんは大まじめな顔でこう言った。
「この晴盟、生まれてこの方誰かを占ったことなど一度もない。風水も知らぬし、手相も見れぬし、ぜい
「ダメじゃん! 何もできないじゃない!」
思わず私は叫んじゃった。
あれだけ自信満々に五郎丸と多聞丸の前で宣言したのに、まさか堂々と自分は何もできないって言うなんて思わなかったよ。
「だが安心しろ。私にはこれがある」
晴盟さんは自分の頭を指さす。
「口八丁に手八丁。言葉の通じる相手ならばこの晴盟、正々堂々相手取ってみせようではないか」
「心配だなあ……」
私は自分のことでもないのに頭が痛くなってきちゃった。
この人はどうやって、自分が絶対に頭領になると思い込んでいて、しかも兄弟の仲がものすごく悪いタヌキの二人を説得するんだろうか。
「それより里子。実はぜひ行きたいところがあるのだ」
晴盟さんが妙にうきうきとした様子で私を見る。
その目つきはなぜか、ついさっき私たちを置き去りにして走り去った寅吉そっくりだったんだよね。
◆
「いらっしゃいませー」
自動ドアが開くと、店員さんが私と晴盟さんに笑顔であいさつしてくれる。
私たちが山を下りた足で向かったのは、有名なコーヒーショップ。
なぜか晴盟さんはこの店のことを知っていて、私と一緒に入ってみたかったらしい。
「うむ。出迎えご苦労」
烏帽子と狩衣姿の晴盟さんだけど、まるで自分の家みたいに堂々と入っていく。
店員さんも、晴盟さんを見ても変な顔はしない。平安時代の貴族の仮装をしている人、って感じに見えてるのかな。
もしかすると、晴盟さんが烏帽子と狩衣姿で見えるのは私だけで、店員さんにはその辺にいる男の人に見えているのかもしれないなあ。
「晴盟さん、お金持ってるの?」
ほんのわずかな望みをかけて私は晴盟さんに聞く。
魔法みたいに一万円札を取り出してくれないかな……。
当然みたいな顔で「無論ある。おごってやろう、里子」って言ってくれないかな……。
しかし、現実はあまりにも私に対して残酷でした!
「無論ない。おごってくれ、里子」
晴盟さんは堂々とそう言いました!
これっぽっちも悪びれる様子や、恥ずかしがる様子はありません!
「最低……。小学生にたかる大人ってどうかしてるよ……」
せめてもの抵抗で聞こえるように言ってみたけど、晴盟さんは私と向かい合わせに座ると、もうメニューを広げて興味深そうに眺めている。
ダメだ。全然聞いてないよ。
「黒い豆の茶が一杯八百円だと!? 信じられん! この店の値段は少々おかしいのではないのか!?」
「え、そうなの?」
黒い豆の茶ってコーヒーのことかな。
手元のメニューを見ると、このお店のお勧めのコーヒーがあって、確かに一杯八百円だった。でも、その分おいしいはずだけどね。
「じゃあ、やめる?」
「とんでもない。ぜひその八百円の美味を味わってみたいところだ」
「はいはい。分かりました~」
値段の高さにびっくりしてるくせに、味わう気満々の晴盟さんに私はため息をついた。
オーダーを聞きに来た店員さんに、私は自分と晴盟さんの分をそれぞれ注文する。
「私はふんわりデニッシュとアイスレモンティー、こっちの人は本日のお勧めコーヒーでお願いします」
「かしこまりましたー」
私はお財布の中身を考えて気持ちがどんよりになる。八百円の出費は痛すぎるよ~。
やがて運ばれてきたコーヒーを一口飲んでみて、晴盟さんは元々細い目をさらに細めている。
「ふむ。焦げ臭いようでいて、不思議と薫り高い。なるほど、これが八百円の味か」
「ただで飲むコーヒーの味はどうですか~。おいしそうですね~いいですね~」
私は皮肉たっぷりに言ってみる。でも、晴盟さんは平気な顔だ。
「そういきり立つでない。こう考えるとよい。今支払う八百円は、この晴盟の
「見物料って……あのタヌキたちのケンカのこと? 私は学校の宿題とか忙しいから、これでパスしたいんだけど」
私は自分の注文したふんわりデニッシュをナイフで切り分けて口に運ぶ。アイスとメープルシロップが焼きたてのデニッシュと組み合わさってすごくおいしい。
山を上り下りして疲れた体に、甘味がぎゅっと染み渡る感じ~。
「ここまで首を突っ込んでおいて後は私に丸投げか? なんと無責任な」
「私は晴盟さんと違って暇じゃないの。ただの小学生が、しゃべるネコやタヌキとこれ以上関わるなんて無理だよ」
私は当たり前のことを言うよ。
逆に、なんで晴盟さんは私が関わるって思っているんだろう。そもそも、この話は寅吉が晴盟さんに持ってきたものだよ。
私は横で聞いていただけなのに一緒に神輿山までついて行っちゃったけど、この辺りは私はパスしたいなあ。
けれども、私がそう言っても晴盟さんはなぜかあきらめなかった。
コーヒーカップをお皿の上に置いて、晴盟さんは私を真顔でじっと見る。
普段はとぼけた感じやのんびりした感じだから気づきにくいけど、こうしてまじめな顔をすると、晴盟さんはとってもきれいだ。
男の人にきれいって言うのはちょっと不思議だけど、本当にきれいだから仕方がないよ。
「――里子よ。お前もまた、この晴盟に頼みたいことがあるのではないのか?」
私は八百古里市に伝わる言葉を思い出した。「せいめい様にお頼み申す」。
何か困った事があったとき、この言葉を口にすると自然と解決の方法が見つかる。そんな言葉。
「……なんで分かるの?」
「縁は異なもの味なもの。私とこうして相まみえたのだ。私は占いはできぬが、それくらいは分かるぞ。人と人の縁というものは、必然故結ばれるのだ」
晴盟さんの言っていることはよく分からないよ。
でも、私はつい、ずっと気になっていることを晴盟さんに話していた。
「……私はね、七歳の時神隠しにあったの」
口にして気づいた。私は「ただの小学生」じゃないよ。
神隠しにあった女の子なんて、どう考えても普通じゃないのに。
「ある日突然いなくなって、一週間くらい行方不明になって、見つかったのがあの加茂神社の野火桜の上だったんだって。私はいなくなったときのままの格好で、ぼんやりサクラの木の枝の上に腰かけていたって聞いてる」
私の信じられないような話を、晴盟さんは否定しないで真剣に聞いてくれていた。けれども、一言だけ晴盟さんは尋ねる。
「人さらいに誘拐された、という可能性はないのか?」
「分かんない。一番変なのはね、それを覚えているのが私だけってことなの。いつの間にか、みんな私が神隠しにあったことを忘れちゃっているみたい。お父さんもお母さんも、そんなことがあったなんて一言も言わないんだ。まるで、全部私の夢だったみたい」
このことが、私が一番不思議で一番怖いこと。
今、私の身の回りで神隠しのことを覚えている人は誰もいない。
さりげなく私がお父さんとお母さんや友だちに聞いても、「何それ?」って顔で私を見るだけだった。
その顔がすごく怖かった。
一人で図書館に行って昔の新聞を調べたけど、どこにもそれらしいことについて書いてなかった。
女の子が一週間も行方不明になるなんて、普通はニュースになるはずなのにね。
「……最近は思うんだ。本当にあれは夢で、実は私は神隠しになんかあってないんじゃないかって」
そもそも、私は自分が神隠しにあったって言っているけど、そのことを覚えているわけじゃない。
なんとなく誰かに「里子は昔神隠しにあったんだよ」って言われたり、「このサクラの上でね、七日経って見つかったんだよ」って野火桜を見ながら言われたような気がしているだけなんだ。
何もかもがあいまいで、何もかもがいい加減。一番納得できる答えは、「全部私の見た夢だった」というものかもしれないなあ。
けれども、晴盟さんはじっと考え込んでからつぶやいた。
「――『
「え?」
その「ろせい」という言葉に私は聞き覚えがなかった。なんだか、誰かの名前みたいな響きだったなあ。
「いや、なんでもない」
晴盟さんはその言葉について説明してくれなかった。
やがて、晴盟さんはコーヒーを飲み終えると一人でうなずく。
「あい分かった。里子、その件については私に任せよ。そのようなまか不思議、まさにこの晴盟の領分じゃ」
「妖怪とかは見たことがないのに?」
「不可思議はこの世にはあるが、妖怪はこの世におらぬ故な」
晴盟さんの基準はよく分からない。
不思議なことは自分の専門みたいなことを言っているのに、不思議なことそのものみたいな妖怪はいないって言い張っている。
それなのに、しゃべるネコも人間に化けるタヌキも当然みたいな顔で受け入れているんだよね。
「故に里子、もうしばらく私に付き合え。お前はまか不思議を体験したが、だからこそ私と共にほかのまか不思議に触れる必要がある。さすれば、おのずと解決の糸口が見えてくるだろう」
とりあえず、晴盟さんは私のことを考えてそう言ってくれているみたい。
初めて、私の神隠しを認めてくれる人ができた。
なんだか嬉しいかも。
「晴盟さんもたまには役に立つんだね」
照れ隠しにちょっと意地悪な言い方になっちゃったけど、私はいちおうお礼を言ってみた。
「このコーヒーとやらの代金代わりになれば上出来だ」
晴盟さんは、満足そうにうっすらと笑みを浮かべた。
……ここで終われば、何だか晴盟さんもいい人に見えたんだけど。
「ところで里子、せっかくだからこれをもう一杯注文したいのだが。なかなか美味じゃ」
「絶対に駄目!」
冗談じゃないよ。なんで一日に一六〇〇円も払わなきゃならないの!
◆
そして一週間後。
私は晴盟さんと一緒に再び神輿山を登っていた。
相変わらず曲がりくねった歩きにくい道を歩いているうちに、いつ方向を間違えたのか、私たちは気がつくと頂上にある寂れた神社じゃなくて、立派な門構えのお屋敷にたどり着いていた。
「安倍晴明様、お待ちしておりました」
入り口で待っていた着物姿でタヌキの耳と尻尾が生えた女の人が、私と晴盟さんと寅吉を見て深々とお辞儀する。
ここが、神輿山にあるタヌキの本家のお屋敷みたい。
男の人たちに案内され、私と晴盟さんと寅吉は奥の座敷に入った。
「うわあ……」
思わず声が出てしまうのも仕方ないよ。
そこには大きな細長い机を挟んで、五郎丸と多聞丸がにらみ合うようにして座っていたからね。
二人とも、自分の背後に子分らしきタヌキたちを引き連れている。二人とも出されたお茶に手をつける様子もない。
晴盟さんは簡単にあいさつを済ませると、悠然と座布団の上に座る。私も晴盟さんの隣に座った。
寅吉も一枚の座布団の上で気持ちよさそうに丸くなった。
「さて、お前たちはあたかも
「はい!」
「もちろんです!」
晴盟さんの質問に二人はすぐに答えた。
晴盟さんには真面目そうな顔を向けたけど、次の瞬間すぐにお互いに憎々しげな顔を向ける。
二人とも、晴盟さんを自分の味方に引き入れたくてうずうずしているんだろう。
「よかろう。では
晴盟さんが扇で手を打つ。それが合図だったみたいだ。
慌てて二人は、晴盟さんの方を向いて熱烈なアピールを始めた。
「私、五郎丸は神輿山に受け継がれてきた伝統をしっかり守ります!」
「俺、多聞丸は新しい風を神輿山にもたらして活性化します!」
「町の猫たちの縄張りは一切手を出しません!」
「町の猫と共に手を取り合って縄張りをもっと立派なものにします!」
「安倍晴明様、ぜひ私を推薦して下さい!」
「いえいえ安倍晴明様、俺がふさわしいとおっしゃって下さい!」
五郎丸と多門丸がそうやって叫んでも、じっと晴盟さんは聞いているだけ。表情が仮面みたいにまったく変わらない。
私とおしゃべりしているときの晴盟さんは、ころころと表情が変わる。面白いことを言えば楽しそうに笑うし、扇で口元を隠す。
私が嫌みを言うと、ちょっと子供っぽく見えるくらいに不機嫌そうな顔になるし、少しおだてればたちまち機嫌を直しちゃう。
……うん、改めてこうやって考えてみると、晴盟さんって本当に単純な人だよね。大人げない感じ。
それなのに、今の晴盟さんはまったく違う。
五郎丸と多聞丸は自分の長所や、自分が頭領になったときの計画、今どれだけ人望があるかを必死にアピールしているのに、晴盟さんはそれに聞きながら受け流している。
なんだか、台風の突風でも折れないで揺れているヤナギの枝みたい。あ、確か「柳に風」ってことわざが実際にあったっけ。
不思議だなあ。
晴盟さんは二人の言ってることを無視しているわけじゃない。
側にいる私でも、晴盟さんは二人の言葉を全部しっかりと聞いていることが分かる。どうでもいいって思いながら右から左に聞き流しているわけじゃないよ。
もしそうなら、きっと五郎丸と多聞丸はとっくの昔に晴盟さんに怒りをぶつけてると思う。
晴盟さんは確かに聞いている。それなのに、二人のどっちにも肩入れしていないんだ。だから、二人はいつまで経っても自分をアピールすることをやめられないのかな。まるで、底なし沼に引きずり込まれているみたい。
やがて、二人はお互いの悪口を言い始めた。
もしかすると、そろそろアピールすることが無くなってきて、お互いの足を引っ張ろうと思ったのかも。それとも、何を言ってもじっと聞いてるだけの晴盟さんが怖くなったのかも。
「そもそも、お前が勝手に出ていったのが悪いだろ! なんで今さら帰ってきたんだ!」
「兄貴は親父にかわいがられていたからな! 俺はいつだって爪弾きだった。俺の居場所はここにはなかったんだよ!」
五郎丸が叫ぶと、負けてたまるかって感じで多聞丸が言い返す。
「お前こそお袋にべったりだったじゃないか! いつもいつもお袋に甘えてばっかりで、そんなお前が昔っから俺は気に食わなかったんだ!」
「うるさい! お前はいつもいつもちょっと年上だからっていばりやがって! だいたい、お前のやり方は一から十まで間違ってるんだよ!」
「ああそうかい!なら、お前が正しかったってことを今証明してみろよ!」
私はだんだんハラハラしてきた。そろそろ二人とも限界じゃないだろうか。
「暴力は禁止じゃ。まさか、神輿山のタヌキを率いる次代の頭領が、頭に血が上ったくらいで手を上げるような器の小さい男ではあるまいな」
でも、ちょうどいいタイミングで晴盟さんがそう言ってくれた。
おかげで、今にもつかみ合いになりそうだった二人は席に戻る。
今の一言が効いたのかな。二人とも少し落ち着いた様子でお互いを見ている。
「お前はずるいんだよ。今になって戻ってきて。俺がどんなにここで苦労したか知ってるのか?」
「兄貴こそずるいんだよ。親父もお袋も兄貴ばかり見ていて。俺はいてもいなくてもどっちでもいい扱いだったんだぞ」
「そんなことあるか。お前が熱を出した時、一晩中看病したのはお袋だぞ」
「……あれは、その、たまたまだろ」
だんだんと二人の口から出る言葉が、自分がいかにすごいかのアピールでもなければ、相手をののしる悪口でもなくなってきた。
なんだか、思い出話みたいな愚痴になっていく。
「お前が親父の盆栽を割ったとき、一緒にあやまってやったのを忘れたのか?」
「あれは兄貴がボールを投げるのが下手だっただけだろ?」
「親父が怒るってより呆れてたよなあ……」
「お袋はずっと心配してたよなあ。いつになったら兄弟で協力するんだって……」
少しずつ、部屋の雰囲気からとげとげしいものが抜けていくみたい。
誰かが何かしたからじゃない。晴盟さんが気の利いたことを言ったからじゃない。
ただ、晴盟さんはじっと二人のやり取りを聞いているだけ。それは、さっきも今も変わらない。
「……親父もお袋も、俺たちがこんな低レベルなケンカをしてるって知ったら呆れるだろうな」
「……少なくとも、ネコには笑われるな」
私はちらって寅吉の方を見てみた。オレンジのしましまのネコは、気持ちよさそうに座布団の上で寝てる。時々尻尾がぱたん、ぱたん、と動いてるだけ。
「こうしよう、俺が不在のときはお前が代理の頭領になるってのはどうだ?」
「おい、そりゃ不公平だ。なんで俺が代理なんだよ」
「じゃあ、俺が代理でお前が正式な頭領って言うつもりか。それこそ不公平だろ」
「……いっそ、山を真っ二つに分けてそれぞれに治めるってのはどうだ?」
多聞丸がいいアイデアを思いついた、という顔をするけど、五郎丸がすぐに首を左右に振った。
「子分がかわいそうだろ。俺たちの都合に子分を巻き込みすぎだろ」
「へえ、兄貴も少しは頭領らしくなったじゃないか。まあ、まだ正式には程遠いけどな」
「お前に言われたくないぞ。まあ、程遠いってのは……俺もそう思うけどな」
二人は揃って晴盟さんを見る。晴盟さんはじっと聞いているだけだ。
「おい、俺たち、どっちも正式な頭領にはなれないってことになりそうだな」
多聞丸がふと、そう言った。
「ああ。この体たらく、親父が見たらぶん殴られてもおかしくないな」
「じゃあ……」
「……お互い半人前で代理の頭領がふさわしい者同士、ネコになめられないよう一緒にやるしかなさそうだな。お前さえ良ければな」
「ああ。兄貴一人じゃちょっと危なっかしいからな。時代は俺みたいな、革新的でモチベーションのあるタヌキが必要なんだよ」
「抜かせ。俺たちは二人でやっとこさ一人前だ。そうだろ?」
「そうみたいだな。少なくとも今は……な?」
あれだけ口げんかして少しはすっきりしたのか、ようやく二人の表情が少しだけ和らいだ。
ちょうどその時、何気ない感じで晴盟さんが口を開く。
「結論は出たか? 伯耆丸の二人の息子は
聡明、というところを強調した晴盟さんの言葉に、二人はタヌキの耳をぴくりと動かして反応する。五郎丸と多聞丸は晴盟さんの方に向き直ると、かしこまった仕草で頭を下げた。
「安倍晴明様、本日はご足労いただきありがとうございました」
「我ら二人、これから協力して神輿山を治めようと思います」
晴盟さんはしたり顔で二人の決意を聞く。
「うむ。その意気やよし。お互いの言い分も分かるが、まずは己が一人ではなくその後ろに多くの仲間がいることを覚えておけ。怒りは敵じゃ」
五郎丸は深呼吸をして息を整えると、神妙にうなずく。
「分かりました。もう少し冷静になって、頭領代理としてふさわしく振る舞いたいと思います」
多門丸も同様にうなずいている。
「ええ。親父に顔向けできるような、二人そろって立派な頭領になりますので、どうぞ見守っていて下さい」
◆
「昨日はすごかったね。晴盟さんが何もしてないのに解決しちゃったよ。本当に式神とか使ってないの? 人の心を変える式神とか、すごいアイデアが出てくる術とか、あるんじゃないの?」
次の日。午前中に神社を訪れた私はさっそく晴盟さんを見つけてそう聞いたけど、晴盟さんは楽しそうに笑うだけなんだ。
「はっはっは、そんな便利なものは持ち合わせておらぬ。人の心をたちどころにねじ曲げる術など、あるわけがなかろう」
あっさりと私の予想は違うって言われちゃった。
でも、ただ晴盟さんが聞いているだけで問題は解決したんだから、本当に不思議。
「それに、恐らく二人の問題は解決してなどおらぬぞ。単にあの二人は見栄を張って私の前で立派な頭領代理を装っただけじゃ。まだまだ二人の争いは続くであろう」
「ダメじゃない、それ。ちゃんと晴盟さん解決してあげないと」
「長きにわたってこじれた問題を解決するには、それなりの時間と根気が必要だぞ。
「晴盟さん、陰陽師っぽいのに式神使ったことないって言ってるもんね……」
「里子よ、陰陽師とはそもそも天文博士であり、仕事は暦を作ることと星を読むことだ。活劇を描いた絵物語に影響を受けすぎだぞ」
晴盟さんは要するに、私がマンガの読みすぎだって言いたいんだろうなあ。
「そして、私は実は陰陽師などではない」
「やっぱりそうなんだ……」
「そもそも、この問題の原因がお互いへの妬みであることは、あの二人を一目見たときに感じてな。裏付けのため寅吉を使って情報を収集したのだ。結果、私の予想が当たっていることが判明してな。だからこそ、昨日はあのように振る舞うことができたというわけよ。何事も準備が肝心。のう寅吉、今回は世話になったな」
晴盟さんは下を向いてそう言う。
「うまいニャー。止まらないニャー」
けれど、寅吉は私が買ってあげた高級猫缶を食べるのに夢中で、完全に晴盟さんを無視している。
「……しかし、私もまだまだ修行が足りないな。文字通りネコの手を借りなければ、持ち込まれた問題の手がかりさえ見つけられぬ。やはり式神の使い方でも学んでみようか?」
猫缶から顔を上げない寅吉を呆れたように見ながら、晴盟さんはそんなことを言う。
「嘘ばっかり。晴盟さんは自分がそういうものを使えないのを、いつも得意そうに言ってるじゃない。寅吉にお願いするときだって楽しそうだったし」
「ふふ、里子はお見通しか。一人で万事を解決しては面白くなかろう。多くの人の手や目が加わるからこそ、思いもよらぬ策が降ってわいてくるというものじゃ。この晴盟、そのための場を整えるのが己の役目と心得ておる」
「何だか格好いいこと言ってるけど、要するに他力本願ってことじゃない」
「他力本願の何が悪い? よいか里子、そもそも他力本願とは、ありがたき
と、晴盟さんが難しい説明をつらつらと言い始めたとき。私のお腹が鳴った。
「あ、そう言えばそろそろ……」
「うむ、昼食の時間だな。今日は呉服屋のすぐ近くに建つ、あの牛丼屋に行ってみたい」
「え? あの牛丼チェーン店? 晴盟さんってファストフード好きなの? っていうか、肉とか平気なんだ」
平安時代の人ってあんまり肉は食べなかったって聞いたことがあるけど、晴盟さんはまったく嫌がる様子がなかった。
「無論じゃ。この時代は実に様々な料理があって退屈しない。どうせならば、今まで食したことがない美味を味わってみたいのでな」
「また私がおごるの?」
私は思わず身構えてしまう。
「里子よ、一ついいことを教えてやろう。昔からこのように言われておる。『金は天下の回りもの』と言ってな、銭は財布の中に大事にしまっておくのではなく、使ってこそ価値があるものなのだ」
「晴盟さんのお金じゃないでしょ! 私のお財布の中のお金は私のものなんだから、使い方に口を出さないでよ!」
「細かいことを気にする娘だな。やれやれ、了見が狭いものだ」
私の必死の抗議に、晴盟さんは理不尽なことを言われたみたいな困った顔をする。
こうして、私と晴盟さんが関わった事件は一つ、幕を下したのでした。
◆
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