最終章ー1 4人 ①

 昨日から降り続く雨で、むき出しの地面はぬかるみ、駐車場には大きな水たまりができていた。

 千葉市緑区の郊外、武石商事が所有する解体屋の事務所。日曜である今日、仕事は休みなので誰もいない。

 北守は、武石から借りた鍵で事務所のドアを開けた。事務所といってもプレハブだが、エアコンもあり、スチールのテーブルと椅子、安っぽいがソファーセットもあった。

「上出来だ」

 北守は今日、自分の独断でこの場所に田之上事件の関係者、四人を呼んだ。

約束の十分前、任意の呼びかけだったが四人全員が集まった。ここにきたということは覚悟を決めてきたのだろう。

 四人はソファーに座り、北守はオフィスチェアに腰をおろした。

 座ったまま北守が言った。

「最初に言っておきますが、ここでの話は非公式です。記録も取りません。ですが正直にお話ください」

 四人はみな頷いた。

 全員の顔を確認してから北守は話始めた。

「先日、田之上政男が起訴されました。否認を続けていますが、まあいずれ有罪判決がくだるでしょう。あのクズが有罪だろうと冤罪だろうと、私の知った事じゃない」

 少しの間をあけて北守は言った。「残念ながら政男は犯人じゃありません」

 四人の顔色は変わらない。覚悟を決めているのだろう。

「あの晩、鳥海さんは店で薬を盛って政男を寝かせた。鳥海さんが白タクだったと思う。と言った車を運転していたのは高岩省吾さん。あなたですね?」

「はい。私です」高岩が頷いた。

「鳥海さんは政男を自分の部屋に寝かせ、朝六時に家を出た。珈琲ショップのラミーズではあえて店員に話しかけて彼の記憶に自分を残した。だが最初、八時四に家を出た。と嘘をついたのは政男に脅されていたからではなく、作戦ですね? そのほうがより自然だから。実家は経済的に困窮しているとか、奨学金をうけているとか、すぐバレる嘘をついたのも、あえてですね? そうすればごく自然に自分は調べられ、そして確実に政男は疑われる。現に、蘇我署の郡山はまんまとあなたの予想通りに動いてくれた」

 仁菜は頷いた。「はい。事件後、政男に連絡を取りました。私に嘘の証言を頼むよう、彼を誘導しました」

「鳥海さん、あなた、あのフェイク写真を信じたんですか?」

「はい……信じてしまいました」

「春菜さんが田之上夫妻から暴行を受けていたことをいつ知りました?」

「知ったのは昨年です……」仁菜が泣き崩れた。

「澄子殺害現場の写真のことは?」

「それも……その時に……」

「その時に、それをネタに春菜さんが凌辱、暴行を受けていることを知ったと」

「はい」

「それを知ったあなたは、自首、いや警察に行こうとは思わなかったんですか? 当時あなたは十歳だ。そして良一は高齢、体調を崩し入院していた。当時の状況を鑑みても寛容な裁定になったと思いますが?」

「はい。もちろん考えました。でもそれだと……」

「まあ言いたいことはわかります。春菜さんもあなたも好奇の目にさらされる。さらに政男の件や高岩さんのこともある。もっと言えば、その写真や、暴行が証明されないかもしれない。そんな画像は無いと言われればそれまでだし、田之上がどう手をまわすかわからない」

「はい……」

「私を暴行していた男の中に、代議士や弁護士といった人もいたみたいだし、理央のグループにも社会的地位の高い人がいました……」と春菜が口をはさむ。

「握りつぶされる可能性もあると」

「はい」

「わかりました。正直に言えば、上からの圧力で捜査が打ち切られることは、ないわけではない」

 春菜は毅然としているが、仁菜は泣いている。

「次に、小田切琴春おたぎりことはさん。この事件、あなたが実行犯ですね?」

「はい。そうです」小田切が頷いた。

「待って下さい! 違うんです!」

 そう叫んだ春菜を小田切が制した。「春菜、もういいのよ」

「小田切さん。あなたの母親は、あなたの高校卒業を待って離婚しています。原因は夫のDV。お父さんは妻だけでなく、娘にも暴行していたんじゃないですか?」

「はい。母も私も暴行を受けていました。両親の離婚後、私と母は、一旦、母の実家がある東京に越しました」

「離婚前の苗字はあおいですね?」

「はい。葵です。葵琴春あおいことはでした」

「でも、どうして私だとわかったのですか?」

「クラサレた」

「え?」

「長野の方言ですね。歯ですよ。海渡が自分のインプラントはクラサレたからだと言った。その時あなた、その意味がわかっていた。聞き返さなかったから」

「それだけで?」

「いえ、一応調べたんです。あの園に来ていた高校生で、春菜さんが覚えているといった留美、洋子、葵を」

「どうやって?」

「その地域の管轄で、当時、高校生の補導記録を調べました。そして平林留美、丸田洋子、葵琴春を見つけました。平林留美は暴走族、丸田洋子は万引き、葵琴春は喧嘩でした。葵ってのは名前だとばかり思っていたから、苦労しました。で、その三人のその後を調べたらあなたにいきついた」

「警察って、やっぱり凄いですね……」

「春菜さんはあなたのことをなんと呼んでいましたか?」

「お姉ちゃんと」

「仁菜さんは?」

「琴姉ちゃんって」

「春菜さんの改名は……」

 北守が言う前に春菜が言った。「二人から一字ずつもらいました」

「話を戻しましょう。小田切さん。あなた、春菜さんが田之上家の養女になってから連絡を取り合ってましたか?」

「いいえ、田之上家の養女になった事は知っていましたが、彼女から連絡はありませんでした。電話番号もわからなかったので、二度手紙を書きましたが、返信はありませんでした。

園長に確認したところ、春菜は里親の元、元気にしている。ということでしたので、それならいいと思っていました」

「春菜さんはその手紙見ました?」

「いいえ、見ていません。理央が処分したのだと思います。仁菜ちゃんからも手紙が来なかったのでおかしいとは思っていました」

「鳥海さんも春菜さんに手紙を?」

「はい。書きました。でも返信がなかったので、園長に……あとは琴ねえと同じです」

「春菜さんは二人に手紙を書かなかったんですか?」

「書きませんでした。二人共、私に関わらせたくなかったので」

「小田切さん、あなたアメリカの大学を出ていますね」

「はい。言い訳ですが……両親の離婚後、私は母と二人でアメリカに渡りました。父から逃げる為でした。どこに逃げても、父が追いかけてきたので」

「逃げるためだったんですか」

「はい。メイン州の小さな町です。私も母も、なんとか日常会話程度には困らなかったので、私は地元の大学に、母はアルバイト、日系企業の事務員として働きました。幸いにして、私の学費を払っても、数年生活できる程度の蓄えはありましたので」

「なぜまた日本に?」

「母が身体を悪くしたので、いえ、大したことは無いのですが、向こうで病院にかかるのは大変ですし、私もできれば日本に戻りたかったので、大学卒業と同時に日本に戻り、長柄海上に就職しました」

「で、千葉に?」

「はい。本社は東京ですが、私は千葉に配属されました」

「では、田之上の担当になったのは?」

「全くの偶然でした。田之上がうちの保険に入っていたのも、私が引き継いだのも」

「小田切さん、春菜さんが暴行されていることを知ったのはいつです?」

「二年前です。正確には二年半」

「というと、田之上に会ってから半年後?」

「はい。引き継ぎの時、ヤバい夫婦だなとは思いました」

「ヤバい?」

「はい。引き継ぎの挨拶に行った時、田之上和彦は、理央が席を立った隙に私を食事に誘い、身体をベタベタと触ってきました。私が、やめて下さい! と言ったら逆切れされて、後日支店長と一緒に謝りに行きました。理央の上から目線もひどかったし、仕事でなければ絶対関わりたくない人たちでした。わたしは春菜が心配になりました。でも、娘にはいい父親、母親っていますよね。実際、彼は支持されたから議員に選ばれたのだろうし。その時はそれくらいにしか思っていませんでした」

「その時、春菜さんとの関係を田之上に話さなかったのですか?」

「はい」

「どうして?」

「先に大事になってしまったので、言い出せなくなりました」

「その後、春菜さんに会いました?」

「いえ、会っていません」

「なぜ会わなかったんです?」

「謝りにいった数日後、些細な事でまた和彦からクレームが入り、私一人でもう一度謝りにいったんです。理央も政男もいない日でした。田之上の家で和彦と話していたのですが、その時、和彦に電話がありました。彼は席を外し、廊下に出たのですが、私は席をたって聞き耳をたてていました。そしたら……また娘を連れていく、だからもう三百融通してくれ。というようなことを言っていました」

「で、何かおかしいと思ったあなたは、田之上のことを調べたんですね?」

「はい。調べれば調べるほど、黒い人たちでした。私は休日や平日の夜を利用し、もはや趣味のように夢中で調べました。ですが、あの夫婦、とくに和彦は非常に守りが堅く、春菜への暴行を確認するまで半年かかりました」

「二年半前、その事実を知ったあなたは、初めて春菜さんに接見した」

「はい。どうしても会わなければと思いました」

「どうやって?」

「春菜の大学に行きました。全てを話すと、春菜はわたしの胸のなかで泣きました」

「それからはよく会っていたんですか?」

「いえ、春菜はスマホを理央に管理されていました。夜間の外出は禁じられていたし、休日も一人での外出は難しかった。なので、会えるのは月に一、二回でした。その時初めて仁菜ちゃんの写真のことを知りました」

「そのことを鳥海さんには?」

「言っていません」

「小田切さん、高岩省吾さんとはいつ?」

「春菜に再開する少し前でした。理央の後をつけて八ヶ岳の別荘に行ったときです」

「高岩さんとは元々顔見知りだったんですか?」

「いいえ、田之上の別荘を見張っていた時、私以外にも別荘を覗いている人がいて、それが高岩さんでした」

「逃げたんです。理央の仲間じゃないかと思って……でも捕まってしまった」高岩が言った。

「でしたね。でも、まあいろいろあってお互いの情報を共有しました。その時、春菜が理央からも暴行を受けていることを高岩さんから聞きました」

「殺害計画をたてたのは誰です?」

「私です」春菜と小田切が同時に答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る