4-6 郷愁
政男の起訴が決まった翌日、海渡は春菜のマンションを訪れた。
春菜は海渡にミルクティーを入れてくれた。
「え?」
「嫌いですか? ミルクティー。以前飲んでいるのを見かけましたので」
「大好きです。ありがとうございます」
「今日は何か?」
「あ、いえ……生命保険、残念でしたね」
田之上理央に掛けられていた生命保険だが、理央殺害において、和彦の関与が否定できない。という保険会社の判断で、保険金の支払いはされなかった。
「いえ、元々知らなかったことですし、あんな人達からお金をもらったみたいで気分悪いので、むしろせいせいしています」
「でも……」
「大丈夫です。弁護士さんに相談して今、相続放棄の手続きをしています。認められれば借金は抱えなくてすみます」
「弁護士?」
海渡は今日、二つの理由でここに来た。一つは弁護士の紹介。もう一つは、どうしても確認したいことがあったからだ。
「はい。北守さんが紹介してくださいました。費用もほぼ無料で」
「そうだったのですか。それはよかった」
あの眼鏡め。海渡は胸の内で軽く舌打ちした。
「でも、無一文になるんじゃないですか?」
「そんなのどうって事ありません。卒業まであと二年。なんとかなります」
「そうですか。ならよかったです」
海渡は春菜の部屋を見回し、それを見つけた。それはリュックにつけられたキーホルダーだった。「それ、昔も鞄につけていましたよね?」海渡がリュックを指さす。「スパイダーマンのキーホルダー」
春菜はにっこりと微笑んだ「懐かしいでしょ? いつから気づいていたのですか?」
「え? いつからって、あなたの中学の、担任の先生に聞いたんです。彼の話を聞いているうちにもしかしたら? と思って、彼女は不良連中からなんて呼ばれていたかって聞いたんです。そしたらクモと……」
「川村先生ですね。キラキララ、最悪な名前でしたから、苗字の雲母から一字とってクモにしたんです。中学の時、何人かの不良女子に囲まれて名前のことでバカにされました。まあそれはいつものことだったのですが、キレたわたしは全員を倒して、今度その名前で呼んだら殺す! わたしのことはクモと呼べ! て言ったのですが、それが広まりました」
「クモだからスパイダーマン……自分はそれしかあなたのことは知りませんでした」
「春菜さんはいつから?……気づいて……。」
「最初からです。貴方に名刺をもらった日です」
「え? なんで?」
「左利きでしたよね? 私と同じ。時計を右にしていましたし」
「そんなことだけで?」
「いえ、あの時わたし、あなたと同じ中学の子に、あなたの名前を聞いたんです。そしたら、海渡香織だって」
「え? そうだったんだ……」
「はい。タイマンのはずが数人に袋にされたのですから」そう言って春菜は笑った「で、いつか仕返ししてやろうと思い、その名前を頭に刻んだんです」
「え?」
「大丈夫ですよ。仕返しなんてしませんから。あの日見たあなたは頼もしかった。警察官になって……しかも警部補なんて、キャリアじゃないですか。女のくせに」そう言ってまた春菜は笑った「なんとなくですが、面影があったのでわかりました。前歯は凄く綺麗でインプラントぽかったし」
「マジか……」
「わたし、他人事なのに嬉しくて、最後にタイマン張った女の子が、今、刑事として自分の前に現れた。それも凄く立派になって」
「いやいやいや、どうして言ってくれなかったんですか?」
「わたしのことなんて絶対忘れていると思っていましたから」
「忘れませんよ……あの頃、自分もすこしは腕に覚えがあったのに……卑怯な真似をしたにもかかわらずボロ負けでしたから」
「あの頃が一番楽しかった」
春菜の言葉には重みがあった。
「でも、これからじゃないですか」
「ですね」
そう言って春菜が笑った。
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