4-2 理由 ②

「北さん……自分、まだ頭の整理がつかなくて」

「俺だってそうだ。とりあえず俺は鳥海良一と大輔に会ってくる。お前はこれ持って千葉医大の山野先生の意見を聞いてこい。あの人は口が堅いし信用できる」

 北守から渡されたのは、岡田澄子の解剖所見だった。

「わかりました。でもこれって……」

「ああ、知り合いを通して秘密裏に手に入れた。まだ上には報告するな」

「わかってます」

 山野先生の見解は、わからない。だった。でも解剖所見から推察すると、刺したのはたぶん男性だろうと言った。傷は肝臓と横隔膜を切り裂いていた。死因は出血多量。即死ではないが、刺されてから生きていた時間は数分だろうとのことだった。

 現場には激しく争った形跡があった。立った状態で刺されたのならば、刺創の位置からして、背の低い小学生では不自然だと言った。床に倒れてから刺されたと仮定しても、刺創の深さから、力の弱い小4の女の子では、やはり不自然だと言った。だが、断言はできないとの事だった。


 やはり田之上夫婦の殺害は春菜の犯行なのだろうか? 海渡の頭の中には青木仁の言葉がこだましていた。誰かの為に……

 理央がどうやってあの写真を入手したのかわからないが、本人が撮ったものと仮定したら、彼女はあの現場で犯行を目撃していたことになる。

 田之上夫妻が春菜を養女にしたのは、その事件から三年後だ。すでに岡田仁菜は鳥海家の養女になっている。

 田之上夫婦は春菜を手にいれたかった。それは例の写真、あのおぞましい写真から推察できる。

 田之上は岡田澄子殺害現場の写真を使って、仁菜と仲の良かった春菜を脅して養女にした……欲しかったのは仁菜ではなく春菜であったことは明らかだ。

 あの写真を使って脅し、養女にしたのか? それとも養女にしてからあの写真を使って彼女を凌辱していたのか? どちらが先かわからないが、それは重要ではない。あの写真を使って春菜が脅されていたかもしれない。という事が重要なのだ。

 春菜の存在。及び春菜と仁菜の関係を田之上はどうやって知り得たのだろう? いろいろな推測は立つが、それも重要ではない。

 最初に春菜を脅したのはたぶん理央だと思われる。あの写真は理央のパソコンに保存されていた。理央は自分の携帯電話で撮影したのだろう。彼女は鳥海良一と岡田仁菜、どちらが岡田澄子を殺したのか見ていた可能性が高い。だが、どちらが殺したかは問題じゃない。仁菜が母親を殺すところを見た。と言ってあの写真を見せれば誰だって信じる……

 理央はあの写真を警察に提出しなかった。それは春菜を脅すため? いや違う。岡田澄子が殺された時点では春菜と仁菜に接点はない。と言うことは、たまたま持っていた写真が後にうまく活用できた。と考えるのが自然だろう。

 理央はあんな写真をどうやって撮ったのだろう? 偶然、現場に居合わせたから撮ったのか? いや、岡田澄子殺害事件の資料を見るかぎり、偶然はあり得ない。岡田澄子と田之上理央にはなにか接点があったのか? いずれにしろ、あの女のことだ。後ろめたい理由であの現場にいたことは間違いないだろう。あの写真は屋外から室内を撮影したもの、盗撮だ。しかも事件の起きた時間は深夜。外は大雪だった。彼女は元々岡田家を覗いていたと考えられる。

 田之上理央と岡田澄子にはどんな関係があったのだろう? それとも良一と? 気にはなるが、この件は深追いしても、あまり意味がないだろう。


 翌日、海渡と北守はお互いの持つ情報を共有した。

 北守の話によると、鳥海良一は七日前、諏訪総合病院で息を引き取っていた。腎不全だった。葬儀は家族だけで済ませたという。仁菜は既に千葉に帰ったところだった。

 鳥海大輔の父、良一が事業に失敗し、その直後に母が亡くなった。母が亡くなった原因は病気の発見の遅れであったが、大輔は父を恨んだ。その為、大学卒業以来、父親とは連絡をとっていなかった。だが、父の隣家で起きた殺人事件を期に父親との関係を修復し、諏訪に呼び寄せた。そして、父親から岡田仁菜の話を聞き、不憫に思い、妻も大賛成したことから、仁菜を養女に迎えたのだという。

 良一は死ぬ前に何か言い残していなかったか? と聞いてみたが、話していたのは、妻と息子夫婦に対する謝罪と感謝の言葉。最後に仁菜を頼む。という事だけであったという。

 もしかしたら田之上理央に脅されていたのではないか? それとなく聞いてみたが、そんなそぶりは無かった。

 だが、鳥海仁菜が嘘をついていることが分かった。

 鳥海大輔は身体を壊し現在休職しているが、順調に回復し、来月からは仕事に復帰する予定だという。妻の典子も、確かに膝に持病があるが、生活には支障がなかった。

 良一も長年、入退院を繰り返していたが、鳥海家は決して食うにも困る生活ではなかった。

 典子の実家が財産持ちで、彼女はその一部を相続していたのだ。裕福とはいえないが、世間一般的な家庭だった。仁菜にも平均的な額の仕送りをし、学費も払っていた。

 だが、もっと仕送りを増やす。と言った親に対し、仁菜は充分すぎる。と言ってその申し出を断っていた。とにかく、自分達には勿体ない、とても優しくていい子だと言っていた。

 因みに、彼女は奨学金も受けてはいなかった。


「北さん、例の話と写真は?」

「勿論、見せていないし、話しちゃいない。ただ、それとなくカマかけてみたが、岡田澄子の刺殺事件については、警察発表した事柄しか知らなかった」

「そうですか。てことは良一も仁菜さんも話していないってことですね」

「ああ、鳥海大輔も典子も嘘をついているようには見えなかった」

「理央が接近したこともない……」

「ああ、なかった」

「でも仁菜さんが嘘を……なんで実家がお金に困っているなんて言ったのでしょう」

「キャバクラでバイトしていることの言い訳だろう」

「あ、そうか。でも、なんでそんなにお金が欲しいのでしょう? 彼女は学費も払ってもらっているし、仕送りだって貰っている。でも、決して贅沢な暮らしをしているわけでもなく、むしろ質素な暮らしぶりです」

「男とか? ホストとか」

「北さん、そう思います?」

「思わん」

「誰かに脅されているとか? 金銭を要求……って理央?」

「俺もそれは考えたが、たぶんないだろう。仁菜を脅したところで大した金にはならん。金目当てなら鳥海大輔を脅すだろう。良一は金を持っていなかったからな」

「そうしたら、仁菜さんの金の使い道を調べないとですね」

「ああ、それは郡山に頼んである。勿論写真のことは話してない」

 こうなってくると、鳥海仁菜が田之上夫婦殺害事件に全く関与していない。とは思えない。

「田之上夫妻は……仁菜さんも脅して春菜さんみたいに……」

「いや、それはないだろう。あれは春菜を拘束しておくための切り札だ。下手に仁菜を脅して、自首でもされたらおしまいだろ? 少なくとも鳥海仁菜がその事実を知ったら春菜の為に自首するだろう。母親を刺したのが、自分だろうが、良一だろうが」

「そうですね……」

「鳥海に自首でもされたら、田之上夫婦は終わりだ」

「ですね。終わりどころじゃありませんね」

「お前が春菜の立場だったとして、高校生で義理の両親からあんな目にあったらどうする? 殺し以外で」

「警察に届けるか、いやそれができなければ親の金盗んで家出しますね」

「だろ。親からひどく虐待されてたり、凌辱されてた連中は、ある程度の年齢になったら大抵、家を出る。どんな生活したって、その方がマシだからな」

「ですね」

「そうしなかったって事は、脅されていたからだ。だが、社会的地位のある和彦とその妻が、自分の娘をリベンジポルノで脅すとは考えられない」

「つまり、あの写真は田之上にとって最重要アイテムだったってわけですね」

「そういうことだ」

「てか海渡、あの写真のこと、大丈夫だろうな」

「勿論です。山野先生以外、誰にも話していません」

「ならいい。因みにだが……」

「なんですか?」

「あの大野ってハッカー、奴は現在、執行猶予中だ」

「え、マジっすか……」

「いいか、誰にも言うなよ。春菜の写真のこともだ」

「わかってます。でも、春菜さんの写真に映っていた連中……許せないですね」

「俺だって許せないさ」

「実はもう一度家の中を探したら、記録メディアが見つかったとか、そういう言い訳たちませんか?」

「それは最終手段だ」

「はい」

 春菜が田之上を殺している可能性は高くなった。そして鳥海仁菜も共犯の可能性が浮上した。だが、わからない。鳥海仁菜は辰男のアリバイを証明している。

「もし本当に春菜が両親を殺害していたのだとしたら。―実際には理央の殺害だけだが、それに仁菜も関与しているとしたら、彼女達の罪を少しでも軽くするためには自首させなきゃならない。なにか決定的な証拠が出てしまう前に」

「わかってます」

「裁判になればあの写真は役に立つ」

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