3-16 山崎美知佳 ②
その数日後、美知佳は田之上夫婦に事前連絡し、春菜も同席のうえ、田之上家にて面談を実施した。
美知佳は、なぜ春菜が進学を拒んでいるのか両親に聞いたが、彼等の返答は、わからない。だった。春菜に聞くと、別に理由は無い。もう勉強することに飽きただけと答えた。じゃあ進学しないでどうするの? と春菜に聞くと、別に考えていないが、適当に就職すると答えた。すると理央が、「わたし、手作りのアクセサリーショップをやろうかと思っているの。そうしたら春菜ちゃんにも手伝ってもらえるわね」と言い。それはいいと和彦も賛成した。
「いや、ちょっと待って下さい。うちは県内でもトップの進学校です。その中でも春菜さんは上位の成績を収めています。なのに……」
美知佳の言葉を和彦が遮った。「ねえ先生、それは先生の価値観でしょ? 要は春菜の意思です。そのほうが大切じゃありませんか? 私達は春菜の意思を尊重しているのです。第三者にとやかく言われる筋合いはないと思いますが?」
和彦は舐めるように美知佳の身体に目を這わせていった。その視線を胸のあたりで一旦止め、しばらく凝視してから、彼女の顔を睨みつけた。
だが、ひるむことなく美知佳は続けた。「実は……私がこちらにお伺いしたのは……先日の職員会議で春菜さんの件が議題になりまして……」
「え?」
和彦の顔色が変わった。
「最初は進路指導と数学、そして英語担当の教師が、あり得ない! と言い始めて、しまいには校長まで出てきて議論になったのです」
「なんで……」
「前代未聞なのです。当校の進学希望者は毎年百%です。そして、そのほとんどが有名大学に進学していきます。そんな中でも成績優秀者の春菜さんが進学を希望しないっていうのは何か家庭に問題があるのではないかと、三年生の親御さんの間でも話題になっているそうです……」
美知佳はできるだけ深刻そうに話した。
「な……何を根拠にそんなこと! うちが、うちがおかしいとでもいいたいのか!」
和彦が真っ赤になって怒鳴った。
「誰がそんなこと言ってるのよ! 誰なの! 名前を教えなさいよ!」
理央も興奮して本性を現した。「あなたもそう思っているの」
「いえ、私はそんなこと微塵も思っていません。ご主人は県議の先生であられるし、奥様もご立派です。先日も親子仲良くパーティーに行かれていたし。お子様に対して充分な愛情をかけておられると思います」
「その通りだ」
和彦が腕を組んでふんぞり返る。
「でも、何も知らない第三者は、とかくそういう噂に敏感です。以前は経済的理由で進学を断念されるご家庭もありましたが、優秀な生徒には奨学金制度だってあります」一息ついて美知佳は続けた。「少なくとも田之上様のおたくは経済的にも余裕があり、社会的地位も高い。なのに、何故? と勘繰りたくなるのだと思います」
「ムカつく! そんなのうちの勝手でしょ!」
理央がテーブルを叩いて怒鳴る。
美知佳は理央の言葉を無視して続けた。「私は他人ですし、お父様がおっしゃる通り、春菜さんの意思は大切だと思います。ですが彼女はまだ十七歳です。社会を知りません。どうかお父様、お母さま、もう一度親子で話し合ってみてはいかがでしょうか?」
和彦は腕を組んだまま考え込んでいたが、理央が口を開いた。「大きなお世話です! これは私達親子の問題です。それを決めるのは私達です! ねえ貴方」
最後に理央は和彦に向かって猫撫で声を発した。
「実は……」
美知佳はすこし勿体着けた。
「実はなんだ?」
和彦がすごむ。
「はい。実は校長が心配していまして」
「あ? 校長が?」
「はい、ひょっとしたら春菜さんは何か心を患っているのではないかと?」
田之上夫婦の顔色が変わった。
「お前、春菜がおかしいと? そう言うのか?」
「いえ、そうは言っていません。校長は、思春期によくあるうつ病ではないかと言っていました。一度診療内科を受診してみたらどうかと。いえ、深刻な意味ではありません。たまたま千葉県立総合病院の院長が校長の友人みたいで、その院長の専門が心療内科なのです。話の流れで、その院長はいつでも診察してやると言ったそうです」
「な……」
話の内容はでっちあげだが、院長の専門が診療内科で、校長の友人というのは嘘ではない。
「この面談の後、結果を校長に報告しなければならないので……」
美知佳は困ったように、下を向いた。
和彦はしばらく腕を組んだまま考えているようであったが、意を決したように、その口を開いた「春菜、お前本当に大学に行きたくないのか?」
「貴方!」理央は怒鳴り、そのあとすぐ猫撫で声になった「春菜ちゃん、気にしなくていいのよ」
「理央。お前は黙っていなさい。私が聞いているのだ」
「私は……別に……心の病気とか……そんなんじゃないです。でも……」
「でも?」
美知佳が即す。
「なんかこんな大事になると思っていなくて……」
「春菜、どうなんだ? 大学に行くのも悪くないぞ。勿論、俺だって一流の大学を出ているからわかる」
「あなた!」
「だから、お前は黙っていろ!」
「なんですって!」
理央を無視して和彦が言った。「春菜、お前はまだ十七才だ。たしかに世間のことをまるでわかっちゃいない年齢だ。大学に行きなさい」
「あなた!」
和彦は理央を睨めつけた。
「そのかわり、行くなら中途半端は許さん。どうする? 覚悟はあるか」
理央が黙って和彦を睨み続けている。
「春菜、大学に行きなさい」
もう一度、和彦が言った。
「え? あ、はい。お父さんがそう言うなら……」
「だが中途半端は許さん。どうせ行くなら一流だ。東大くらい狙ってみろ」
「だったら……私、医学部に行く」
「え?」
「ただ大学行っても、その後どうしたらわからないし。でも医者になったら、将来、お父さんとお母さんの役にも立つし」
「医者か、まあいいだろう」
「あなた!」
「だから、お前は黙っていろ! 俺の立場も考えろ! そもそもお前が――」
「あなた!」
さっきにも増して大きな声で理央が叫んだ。
その声にハッとして和彦が黙り込んだ。
「お父様、ありがとうございます。春菜さんもよく決心してくれたわ。そうしたら私は今から校長に連絡します」
そう言った美知佳を理央は睨みつけていたが、美知佳は気にせずに続けた。「やはりお父様は偉大です。私の言葉では春菜さんに響かなかったみたいですので」
「まあ、親子だからな」
和彦は椅子にふんぞり返り、満足そうに頷いた。
「奥様は? お嬢さんの進学に反対ですか?」
美知佳はスマートフォンを持ったまま言った。
和彦が理央を睨みつける。
「春菜が……春奈ちゃんがそう決めたのなら……反対する理由は無いわ」
その言葉を聞くとすぐに、美知佳は校長に電話した。
「はい――はい――お父様が説得してくださいました――はい医学部への進学を希望しています――はい――奥様も賛成されています――はい――はい――失礼いたします」
その場で校長に電話したのは、美知佳の作戦だった。こうすることにより、後で撤回されること防ぐのが狙いだった。
山崎美知佳は親子面談までの経緯と、その結果まで、思い出せる全てを話した。と同時にまた泣き崩れた。
「あれで、あれで終わりじゃなかったんです。そんなこと私にはわかっていたんです」
「終わりじゃない?」
海渡にも想像はついたが、あえて聞いた。
「田之上夫妻は……あの人たちは異常でした……春菜さんは……あの人たちを殺したのですか?」
「わかりません……」
「私は春菜さんを助けることができなかった……いや、しなかったのです……あの人たちが異常だと知っていたのに」
「山崎先生は充分以上のことをされたと思いますよ」
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