3-13 春菜の過去 ②

 翌日、篠ノ井署と、当時の警官が移動になっている北長野署に行って、雲母希星について聞いたが川村浩から聞いた以上のことはわからなかった。ただ、希星には喧嘩以外の補導履歴は無かった。

 また、当時、茶臼山児童園に入り浸っていた家出女子高生は数人いたとのことだったが、親から捜索願が出ていたり、犯罪でも犯していない限り、記録はないと言われた。まあ当然だろう。無理言って調べてもらったが、やはり記録は無かった。

 その夜、海渡が長野駅近くのビジネスホテルで夕食を取っている時、梓川警視から電話があった。明日、軽井沢署の今野という警部に話を聞けという。例の茶臼山児童園のリストについて調べてくれたのだ。さすがに仕事が早い。やはり権力は必要だと再認識させられた。

 警視が送ってくれたメールを開くと、希星と同時期、茶臼山児童園にいた園児達の消息が記されていた。岡田仁菜を除く十人のうち、新潟に二人、その他、岐阜、石川、群馬、山口、に一人ずつ、あと、窃盗を繰り返して府中刑務所に服役している者が一人。全ての裏をとったわけでは無いが、彼等は、その地理的要因から、春菜の替え玉ができたとは考えにくい。

 残る三人は長野にいた。彼らのアリバイは証明できていない。替え玉は女性とは限らない。男でも、女装すれば可能ではある。

 木村紗枝きむらさえ、長野市在住、十八歳、信濃部品勤務。川島研かわしまけん、更埴市在住、十九歳、オカノ美容室勤務。青木仁あおきひとし、上田市在住、二十歳、フリーター。

 青木仁……アオキヒトシ。ヒトシという字はジンとも読める。彼が、先日、高峰綾乃さんが言っていたジン君で間違いないだろう。

 十人全員に話を聞くか? いや、限られた時間でそれは不可能だ。そもそも今自分がしていることに意味があるのだろうか? こんなうわべだけの調査で春菜の交友関係が全てわかるとは思えない。海渡は川村浩が言っていた言葉を思い出した。あの子はそんなバカじゃない。――その通りだと思った。もし春菜が替え玉を使ったのだとしたら、自分達がいくら調べても、わからない人物を使うだろう。つまり、この調査は徒労に終わるということだ。だが、他に当てはない。とりあえず自分にできることをやるしかない。

 時間に限りがあるので、海渡は長野駅から新幹線を利用した。軽井沢駅のホームに降り立つと、雪こそ降っていなかったが、長野より数段寒い。ダウンジャケットのファスナーを首元まで上げて、軽井沢警察署に向かった。

 既に梓川警視から連絡が言っているようで、海渡はすぐ、会議室に案内された。今野という警部は定年近い年齢だが、長年、警察官をやっているというオーラを醸し出していた。どことなくうちの課長と似ている。

 今野は北信地方の警察署に勤務経験はなく、茶臼山児童園のことも、よく知らなかったが、例の三人について調べてくれていた。

 まだ三十二歳の梓川警視とどういう関係なのだろう? 海渡が聞くまえに本人が教えてくれた。今野の大先輩が梓川警視の父親だという。そう言えば、彼の父親もキャリアではなかったが警察官だったと聞いたことがある。たしか、警視の地元は長野県、伊那市だと聞いた気がする。

 警部から渡されたのは暖かい缶珈琲だった。やはり刑事は珈琲なのか……海渡は礼をいってプルトップを引いた。

 今野は海渡が調べようと思っていたことを調べていてくれた。長野在住の三人のうち、川島研は二月二十八、朝から美容室に出勤していたので、春菜の替え玉にはなり得なかった。木村紗枝と青木仁については、土曜日ということもあり、アリバイは無い。

 そして、青木仁という男については、よく知っていると言った。三年前、バイクの窃盗と暴走行為で補導したことがあり、話を聞きたいなら連絡を取ると言ってくれた。今は厚生して、専門学校に行くためにアルバイトをしているという。海渡は今野に礼を言って軽井沢署を後にした。

 軽井沢駅から信越線に乗り、佐久まで行った。約束の約二十分前に国道十八号線沿いの珈琲ショップに着いた。三月だというのにチラチラと雪が舞っている。気温が低いのだろう、アスファルトに落ちた雪は溶けずにフワフワと舞い上がる。その様子を見ながら、海渡は一昨日、川村から聞いた最後の言葉を思い出していた。


「刑事……さん? ですか?」

 急に声をかけられて海渡は驚いた。目の前には髪を金髪に染め、左耳と左目尻にピアスをした少年が立っていた。二十のはずだから少年ではないけれど。でも童顔の彼は十五歳くらいにも見える。

「はい。千葉県警の海渡です。青木仁さんですか?」

「やっぱ刑事さんなんだ。マジ驚きっす。こんなかっこいい刑事さんがいるとは思わなくて」

 お世辞はいいからと、興奮する青木を椅子に座らせ、海渡はボイスレコーダーのスイッチを押した。

「はい。ジンって呼ばれてました」

「あ、はい。俺のオヤジDVで、いっつも俺と母ちゃんは殴られてて、でもオヤジ、いきなり死んじまったんすよ。パチ屋で心臓止まって」

「いえ、全然平気っす。んで親父が死んでほっとしてたら、母ちゃんも死んじまって」

「あ、すみません。思い出したらちょっと悲しくなっちまって」

「いえ、全然大丈夫っす。えっと母ちゃんは親父に殴られた後遺症だったみたいです。んで茶臼山児童園に」

「まあ、最低のオヤジっすね。だから俺は、家族ができても絶対、暴力は振るわないって決めてます」

「いえ、俺こんなんだから、里親決まらなくて、中学出てから住み込みで働いてます」

「あ、はい中三まで茶臼山にいました」

「今は近くの修理工場でバイト兼見習いしてます」

「はい。やっと金貯まったんで、来春には小諸の専門いくんすよ」

「整備士です」

「希星ちゃんですよね、覚えてますよ。よく宿題とか手伝ってもらったんで」

「確かに仁菜ちゃんと一番仲が良かったけど、他の子の勉強とかも見てました。希星ちゃん、頭良かったから」

「仁菜ちゃんはおとなしかったです。いつも希星ちゃんと一緒にいたかな」

「希星ちゃんは可愛いし、頭いいし、そのくせ喧嘩とかも強くて、園のみんなから慕われてました」

「学校で虐められると、しかえししてくれたり」

「はい。誰にも優しくて、んで強かったです」

「可愛くなってんだろうな。そうだ写真とかあったら見せて下さいよ」

「マジか……メチャメチャ綺麗になってんじゃん」

「いえ、全員じゃないけど、園の奴らとはたまに連絡とってます。仲良かった奴だけですが」

「仁菜ちゃんとはここ二年くらい音信普通です」

「希星ちゃんは、彼女が園を出ていってから、まったくです。他の皆も、希星ちゃんとは連絡をとっていないって言ってました」

「はい、だから仁菜ちゃんに聞いたことあるんですよ。そしたら、そん時は仁菜ちゃんとも連絡とってなかったみたいです」

「でも、そうなのかなって」

「いや、昔のことを思い出したくないとか、隠したい人もいるじゃないですか、だからそうなのかなって。希星ちゃんは、なんか偉い人のとこに貰われていったみたいだから」

「いや、全然。彼女が幸せならいいっす」

「高峰綾乃?……」

「ああ、アヤちゃんね、おばちゃんの娘の、あんま口きいたことないけど、覚えてはいますよ。仁菜ちゃんや希星と遊んでましたね」

「木村紗枝?」

「あ、さっちゃん。さっちゃんには嫌われてたから、連絡はとってません」

「川島研? ケンね。美容師ですよ。ここ一年はケンとも会ってないっすね」

「仁菜ちゃんの卒園の日? はい、覚えてますよ」

「さっちゃん泣いてたな」

「高校生?」

「ああ、はいはい、あおいちゃんと留美るみちゃんかなあ。いたなあ」

「家出少女? ていうのかな、園長が、家出した中高生をたまに、泊めてたんすけど、葵ちゃんと留美ちゃんはしょっちゅう来てました」

「仁菜ちゃんも葵ちゃんや留美ちゃんにはなついてましたよ」

「部屋数は少なかったんで、仲いい子どうしって感じでした。勿論、男子と女子は別れてましたけど、希星ちゃんと仁菜ちゃんは同じ部屋でした。仁菜ちゃんがいなくなってからは希星ちゃんが一人で使ってました」

「留美ちゃん? 髪とか染めてて、しょっちゅう家出してたみたいですよ」

「葵ちゃんはメチャメチャ怖い人でした」

「いや、そういう意味じゃなくて、強いんですよ。スパルタっていうのかな、泣いてる子には泣くなって怒鳴るし、俺にも喧嘩を教えてくれました」

「はい、希星ちゃんにも喧嘩の仕方を教えてました。希星ちゃんが喧嘩強かったのは葵ちゃんのおかげだと思います」

「頭もよくて、あの希星ちゃんに勉強も教えてました」

「たぶん、オヤジがDVなんじゃないかと思いました」

「俺がオヤジのこと話したら、自分も同じだって抱いてくれて、頭撫でてくれて」

「葵ちゃんかあ、懐かしいなあ」

「いえ、苗字とかは知りません。あの頃、女子高生は何人か園に入り浸っていたし、みんなあだ名や名前で呼んでたんで」

「リリ、とか洋子とか美香ちゃんて子もいたなあ」

「いや、たぶん高校卒業したから? 来なくなりました」

「いや、連絡先とかわかりません。刑事さん、わかったら教えてくださいよ」

「それが無理ならこれ、俺の電話とラインなんで、見つけたら葵ちゃんに渡してください」

「二月二十八日? 土曜だから午前中は寝てましたね。」

「前日? ちょっと待って下さい。ああ、金曜は歯痛くて休みました」

「病院? いってないです。痛み止め飲んだらよくなったんで」

「てか、今思ったんすけど、なんで刑事さんが希星ちゃんのことを?」

「え? なんかやったんすか?」

「もし、希星ちゃんが、なんかやったんなら……きっと、どうしようもない理由があったか、誰かの為にやったんだと思います」

「そういう子なんです。希星ちゃんは」

 その後、海渡は木村紗枝と会ったが、彼女もアリバイは無かった。


 千葉に戻ったのは夜八時を回っていたが、海渡は春菜に連絡し、千葉駅前の珈琲ショップで待ち合わせをした。

 海渡は茶臼山児童園の子供たちについて春菜にたずねた。どうして園の子たちとはその後連絡を取らなかったのか? 覚えている子の事、家出高校生のことなどを尋ねた。

「あの園ではわたしが入った時からわたしが一番年上だったんです」

「はい。受け入れは小学生のみでした。私は五年生の冬に園に入りましたから」

「小さい子のほうが早く里親がみつかるので」

「年単位で一緒だった子はそんなに多くないし、みんな小さかったので」

「はい。小中学生の頃の四歳から七歳くらい年下って、もう、幼児じゃないですか」

「だいたい一人で過ごしていました。でも仁菜ちゃんとは仲良かったです」

「歳の差は三つだったので。でも、仁菜ちゃんもわたしより後からきて、先に里親さんが決まりました」

「園の子たちは仲良かったです。でもわたしはみんなとは少し歳が離れていたので、一緒に遊んだりとかはしませんでした」

「はい。仁菜ちゃんとも自然に疎遠になりました。でも、彼女が大学生になって、連絡をもらった時は嬉しかったです」

「高峰綾乃。アヤちゃんですね。おばちゃんの娘さんです。よく仁菜ちゃんと遊んでいました」

「木村紗枝? 誰だろう……さっちゃんかな? 低学年の子でした」

「川島研……ケンちゃですね。ちっちゃい子でおとなしかったと思います」

「青木仁? ヒトシ……ああ、ジン君はよく覚えています。乱暴な子でした。でもなんか憎めなくて、仁菜ちゃんと同じ学年です。ジン君とは一番長かったです。三年くらい? 一緒だったと思います」

「高校生の人? けっこう沢山きていました」

「三人くらいは覚えていますよ」

「留美さんと葵さんと洋子さん」

「はい。よく園にきていました。何回か私たちの部屋にも泊まった事があるので」

「懐かしいです」

「はい。会えるなら会いたいです」

「いえ、連絡先とか知らないし、苗字も知りません」

「その三人には、柔道とか勉強とか教えてもらったこともあります」

 春菜は淡々と海渡の質問に答えていったが、その表情が一貫して淋しそうだったのが少し気になった。


 翌日、海渡は長野での成果を、成果という程の成果はえられなかったが、報告書にまとめた。

 海渡は椅子に座って、しばらくぼうっと天井を眺め、自分の過去を振り返っていた。

「なに、腑抜けた顔してんだ」

 北守が海渡の顔を覗き込む。

「あ、すみません……」

「昨日、春菜の母校、千葉中央高校の教師と元クラスメイト数人に話を聞いてきた」

「で、どうでした?」

「ああ、お前の報告書にあった春菜とはずいぶん違う印象だった」

「具体的には?」

「当時の担任、山崎美知佳と進路指導の大垣明彦、それから、春菜と同じクラスだった生徒数人。全員が口をそろえて、地味な子だったと言っていた」

「地味?」

「アルバムを見せてもらったが、髪を後ろに結わえ、伊達眼鏡をかけててな、自ら地味に徹していた。ほんとは可愛いのに、なんであんな恰好をするんだろうって、みんな言っていた」

「友達は?」

「全くいなかった。部活にも入っていなかったし、男女ともに、春菜は人を避けていた。近づかないでくれ。そういうオーラが出ていたと。高校時代、少なくとも、まともな会話をしたクラスメイトはいなかったようだ」

「どういう事ですか?」

「わからん。それに、高三の六月、進路指導にて春菜は大学に進学しないと言ったらしい」

「え? 千葉中央高っていったら、県でも有数の進学校ですよ。毎年何人も東大合格者をだしているし、就職希望なんて0%のはずですよ」

「そんなことは俺だって知っているさ。当時、春菜はクラスのなかでも上位だった。泡食った担任が急遽、田之上に連絡をしたそうだ」

「で?」

「ああ、そこなんだが、両親そろって、進学しないのは本人の希望だから、それを尊重するって言ったそうだ」北守がテーブルを指で叩いてから続けた「で、もう一度、進路指導の大垣が、春菜を呼び出して理由を聞くと、春菜はただ、うつむくだけだった。で、お前だったら頑張れば東大だって夢じゃないし、医学部だって行けるって言うと、涙を流し、小さな声で、ほんとは行きたい。て言ったそうだ」

「え? どういう事ですか?」

「可能性は三つ」

「三つ?」

「ああ、まず一として、その頃、既に田之上は財産のほとんどを使い果たしていて、金がなかった。だから春菜は親に迷惑をかけない為に自ら進学を辞退した。二、金がないので進学はさせられないと、親から頼まれた。三、それ以外の理由」

「いや、でもそれって、確かに、以前のように溢れるほどの資金は無かったのかもしませんが、その当時はまだ、田之上夫婦は余裕のある生活をしていたし、現金以外でも彼等のアクセサリーや時計、ゴルフ道具だけでも数千万はありましたよ。さらに言えば、その二年後に、理央は仮想通貨で一億使って……」

「話は最後まで聞け。まあ結論から言ったら、答えは三だ」

 北守が頭を掻く。

「それ以外の理由……」

「ああ、理由はわからん。大垣から報告を受けた担任の山崎が、春菜を呼んで問いただしたが、春菜は、『ほんとは大学に行きたい』って大垣に言ったことを絶対、両親に言わないでほしいと訴えた。もし言ったら、自分は自殺すると」

「え?」

「山崎は絶対に両親には言わないからと春菜を説得して、家庭訪問を実施した。で、その結果、春菜は受験を決めた」

「え? いやいやいや話がみえませんよ」

「俺だってわからんさ、山崎美知佳は、それだけ言って口を閉ざしちまった」

「そんなの、なにかあるに決まってますよね!」

 海渡がテーブルを叩いて立ち上がる。

「そんなことはわかってる!」

 北守もテーブルを叩いたとき、彼のスマホが鳴った。

「あ、先生、はい……はい……わかりました。ありがとうございます」

 北守が海渡の肩を叩き、親指を立てた。「山崎美知佳からだ。出かけるぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る