3-12 春菜の過去 ①

 上田駅にほど近いファミリーレストランで海渡はミルクティーを飲みながら待っていた。約束の時間にはまだ十分ほどある。

 約束の五分前に現れた女性が店内をきょろきょろ見回している。立ち上がった海渡に気が付いた女性が近くに来て恐る恐る口を開いた。「あの……」

 そう口を開いた子は、背が高く大人びていた。若い子には違いないが二十歳には見えない。だが、事前に話した通り、長い髪をポニーテールにして緑色のマフラーをしている。間違いないだろう。

高峰綾乃たかみねあやのさんですか?」

「はい」

 彼女が返事をした。

「わざわざお呼びだてしてすみません。千葉県警の海渡です」

 バッジを見せて名刺を渡す。

 彼女との話は思った以上にはずんだ。

「あたし、刑事さんってもっと怖いイメージがあったので」

 そう言った彼女は目の前に座るあまり歳の違わない海渡にすぐ打ち解けた。

「自分は童顔ですから、刑事には向いていないってよく言われます」

「いえ、この前にきた刑事さんは、とっても威圧感があったので……」

 たしかこの子に話を聞いたのは長野県警だったはずだが、どこの世界も刑事ってのはそういうものなのかと海渡は思った。

「お疲れのところすみませんね」

 高峰綾乃さんは現在、上田にある看護専門学校に通っている。今日は授業が午前中に終わるとの事で、アポイントがとれた。

 また同じことを聞くが、と断り海渡はテーブルの上に出したボイスレコーダーをタップした。


「はい、仁菜ちゃんのことはよく覚えています」

「私のひとつ上です」

「週に一回、父のいない日は学校から直接、園に行っていました」

「はい、私が三年生で、仁菜ちゃんが四年生でした」

「父は工場勤務で、朝が早いので午後四時には家に帰ってきていました。でも、たまにある遅番の日は、直接、母のいる園に行っていました」

「仲がよかったのは仁菜ちゃんだけです。仁菜ちゃん以外に歳の近い子は男の子だったし」

「いえ、どういった経緯で、とかは知りません。母も話さなかったし、私もまだ小学校の低学年だったので、園には沢山子供達がいて、楽しそうだな。くらいにしか思っていませんでした」

「はい、みんな仲よかったと思います」

「小学生は十人くらい。低学年の子が多かったです。途中で増えた子も減った子もいたのでよく覚えていません」

「はい、里親が決まった子だと思います」

「私が母に連れられて初めて園に行った時はもう仁菜ちゃんはいました」

「小学三年の時です。それまで、父は遅番がなかったので」

「その時、中学生はいなかったと思います」

「すみません。よく覚えていません。大人になってから母に聞いたのですが、小学生のうちに里親が決まらないと難しいって言っていました」

「はい、大抵は」

「中学生と高校生の受け入れはしていなかったみたいです」

「はい、母の話では、里親が決まらなくて中学生まで園にいる子は、あまりいなかったみたいです」

「でも園で高校生? を見たことがあったので、大人になってから母に聞いたことがあるのですが、当時、園長や母はボランティアで家出少女? の世話もしていたみたいです」

「いえ、知りません。でも女の子は心配だからって言っていました」

「仁菜ちゃんは、六年生の時に里親が決まって、卒園していきました。私も五年生になったので、その頃から園には行かなくなりました」

「はい、私が週一回、園に行っていたのは二年弱くらいですね、高学年になってからは、母のいる園に行く必要もなくなったし、なにより仁菜ちゃんがいなくなったから、行く理由がなくなりました」

「はい、園では仁菜ちゃん以外とはほとんど遊んだことはありません」

「仁菜ちゃんの卒園後、小学生の時、何回か手紙のやり取りをしましたが、それっきりです」

希星きららちゃんのことですよね。正直、希星ちゃんのことはあまりよく覚えていないんです」

「でも、三人で遊んだこともありました」

「あ、そういえば希星ちゃんは中学生でした」

「はい。私がいた時、中学生になっても園にいたのは希星ちゃんだけだったと思います」

「はい。仁菜ちゃんは希星ちゃんのことをお姉ちゃんって呼んでいたから、最初は本当のお姉さんだと思っていました」

「どんな子だったか……なんか近寄りがたいというか……」

「いえ、希星ちゃんは仁菜ちゃんとしか話をしていなかったと思います。私が仁菜ちゃんと遊んでいるときは、いつも本を読んでいたと思います」

「でも、仁菜ちゃんはいつも希星ちゃんの話をするので、気になって、こんにちはって希星ちゃんに挨拶したんです」

「はい。凄く大人びていました」

「はい、希星ちゃんは誰とも遊ばず、いつも一人で本を読んでいました」

「挨拶? あ、はい、その時希星ちゃんは、仁菜ちゃんと仲良くしてくれてありがとう。て言いました」

「はい、それからは、園であった時は、希星ちゃんから挨拶をしてくれるようになりました」

「えっと、私が見るかぎり、希星ちゃんが仲良く話していたのは仁菜ちゃんだけだったと思います」

「でも……そういえば四年? か五年生の男の子がよく希星ちゃんになついていたような……」

「たしかジン君って呼ばれていました」

「仁菜ちゃんが卒園の日は私も母と一緒に園に行きました」

「はい。里親さんが迎えに来た日です」

「その時、希星ちゃんが仁菜ちゃんを抱きしめて泣いていました」

「よかったねって言っていたと思います」

「はい。里親さんが決まったからだと思います」

「ジン君もいました」

「高校生くらいのお姉さんも何人かいました」

「今思えば、あの人たちは家出少女だったのかもしれません」

「よく覚えていません」

「何人か、高校生くらいの女の人を見ました。園に入り浸っていた高校生もけっこういたみたいです」

「いえ、写真とかは無いです。母はまだ園にいる時から軽い認知調が始まって、携帯も何度も無くしちゃって……」


 海渡はボイスレコーダーを止めてから礼を言った。

「因みにですが、皆さんにお伺いしているので、気を悪くしないで下さい」

「はい」

「二月二十七日、の夕方から夜は何をしていましたか?」

「金曜日ですよね。その時間は家にいました」

「家の人は?」

「母はいました。父は金曜の夜は大抵飲みに行くので」

「では、二月二十八日、朝六時から八時くらいまで、何をしていました?」

「家で寝ていました」

「そうですか」

「その日は土曜日なので学校もないし、バイトも入っていなかったので、家でゴロゴロしていました」

「家にはお母さんと?」

「はい。父は出勤でしたし、母は……でもどっちみち親族の証言はダメなのでしたっけ?」

「あ、はい、まあ参考程度です。でも、そもそも貴女のことは、はなから疑っているわけではありませんので、気にしないで下さい」


 高峰綾乃と別れた後、海渡は役所に向かった。当時の茶臼山児童園に入園していた児童について聞く予定だ。

 蘇我の刑事たちは春菜を疑っている。もし春菜の証言が嘘なら、彼女は替え玉を使ったはずである。春菜がどんなお願いをしたのかわからないが、少なくとも殺人のアリバイ工作である。相当親密な人物。もしくはお金で雇われたプロ……。


 夕方までには、春菜が園に在籍していた期間と被っていた園児のリストを手に入れることができた。そこには岡田仁菜を含め、十一人の小学生の名前があった。

 だが、茶臼山児童園は現在閉園されていて、過去の資料は残っていない。更に、当時を知る園長は亡くなっているし、高峰美知恵さんは話の出来る状態ではない……。鳥海仁菜を除く残り十人の消息を追うのは困難を極めるだろう。そもそも、そんな面倒なことのために長野県警が動いてくれるとは思えない……これまでか……

 三分程、思案してから海渡はスマートフォンをタップした。

「あ、梓川署長、海渡です――」

 これ以上、梓川警視に仮を作りたくはなかったが仕方がない。

その日海渡は長野駅に近接するビジネスホテルで一泊した。翌日は長野で春菜が通っていた小学校の教師。当時の担任に話を聞いた。

 事前にアポイントをとっていたので、話は早かった。

 希星は小学校時代、その名前のせいで虐めにあっていた。そのことで担任は何度も希星の自宅を訪れたが、母親はいつも上の空で、全く興味がなさそうだったという。

 友達は誰もいなかったようである。だが、小学四年生の時、希星を虐めていたリーダー格の子とその取り巻きを彼女は完膚なきまでに打ちのめした。といっても、小学生のやったことなので、大きな怪我をさせたわけでは無い。だが、相手の親数人が学校に乗り込んできたことがあった。その時、希星の母親は呼び出しに応じなかった。

 あの親、腐った親にしてこの子あり。と言って希星を罵ったその親たちに対して、希星は全く引かなかった。その時の希星の言葉を担任は鮮明に覚えていた。

 わたしのお父さんは、わたしが六歳の時、わたしとお母さんを捨てて、女の人とどこかに行ってしまいました。お母さんも、お母さんの恋人も働いていません。二人共お酒を飲んでわたしを殴ります。わたしの家はとても貧乏で、服も買ってもらえません。おばさんが言うように、腐った親だと思います。でも、それがわたしの親なんです。それをわたしがどうかできますか? 貧乏なのはわたしのせいですか? わたしの名前もそんな親がつけた名前です。わたしだってこんな名前は嫌です。おばさんがわたしの名前を変えてくれますか? あの親と、この名前のせいでわたしは、○○ちゃん(その親の子供)とその子分に何年も虐められてきました。わたしは○○ちゃんにも、その子分達にも謝るつもりはありません。警察に行くなら行ってもいいです。

 雲母希星はそう言い放って部屋を出ていったという。

 その翌年、彼女の母親は刺殺された。担任の話では、母親がいなくなってからの希星は、前にも増して大人びていったという。

 結論をいえば、小学校時代、希星に友達はいなかったということだ。


 次に海渡は希星の通っていた中学の担任に会って話を聞いた。

 希星の中学時代の担任も彼女のことをよく覚えていた。

 最初、希星はその名前のことで虐めにあっていた。虐めは陰湿で、担任もしばらく気づかなかったという。だが、二年生になった頃、希星はキレた。元担任の川村浩はそう表現した。

 それまでも希星の成績は良く、上位ではあったが、急に一番を取るようになった。運動もしかり。そして彼女を虐めていた生徒を上級生も含め、一人ずつ制圧し、二年生の秋には、誰も彼女を虐める者はいなくなった。それどころか、文武両道で美人な彼女のファンクラブまでできたという。だが問題もあった。彼女は町で他校のヤンキーと喧嘩し、何度も警察のやっかいになっていた。

 それはどういうことか? と海渡が聞くと、しばらく間をおいてから川村が言った。「鬱憤うっぷんだったんじゃないでしょうかね」

「鬱憤?」

「彼女は何年も抑圧された時を過ごしてきた……」

 川村は窓の外を見つめながら続けた。「彼女はこの辺りでは、――中学生の間では有名な存在でした。だから、他校のヤンキーにもよく絡まれていたみたいです」

「ヤンキーって、中学生の? 女の子の?」

「そうです。当時この辺りにはまだ、いわゆるスケバンってのがけっこういましてね。女子高生になると、万引きや売りやったり、その金で遊んだりするのですが、まだ中学生のうちは、たむろして、煙草吸ったり喧嘩したりの、昔ながらの不良って感じで……」

「あ、まあわかります」

「ですよね。刑事さんですもんね」

 川村は軽く笑ってから続けた。「とにかく、希星は喧嘩してよく補導されていました。ご存じのように希星に両親はいませんから、その都度、私と茶臼山児童園の園長が彼女を引き取りに警察に行きました。大抵はたいした理由のない喧嘩でしたが、彼女はカツアゲされていた子なんかも助けていたようです」

「助けていた?」

「いや、ほんとかどうかわかりませんが、当時、希星に助けられたという子が警察にきて、そう言ったそうです」

「どこの警察署ですか? 当時、担当した警察官を覚えていますか?」

「篠ノ井警察署です。いつも同じ人ではありませんでしたし、担当された方は覚えていません」

「わかりました。ありがとうございます」

「刑事さん」

「はい」

「希星は、里親を殺したのでしょうか?」

「いえ、わかりません。ですが、自分は彼女ではないと考えています。先生はどう思われますか?」

「わかりません。ですが、もし希星が犯人なら、それ相応の理由があると思います」

「相応の理由?」

「はい。お金とかでは無いと思います」

「それは自分もそう思いますが……」

「もし希星が犯人だとして、本当に犯人だったとしたら、その事件が計画的なものだったら……」

「計画的なものだったら?」

 海渡は身を乗り出した。

「彼女は、捕まらないかもしれません……あの子はそんなバカじゃない」

 この川村という教師の気持ちが理解できた。海渡は礼を言って立ち上がった。が、部屋を出る前もう一度、川村に向き直った。

「最後に一つ聞かせて下さい」

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