3-8 仮定

 海渡はスバルに乗り込むと同時に大声を出した。「北さん!」

「ああ、そうなってくると、いろいろ考え直さにゃいかんな」

「はい。例えば和彦が妻の保険金殺人をもくろんでいたとして……」

「ああ、あいつは女房に不公平だと言い、彼女の金遣いを良く思っていなかった」

「はい。金に困っているにもかかわらず、妻に掛けられた保険は解約しなかった」

「状況的には真っ黒だな」

「はい。田之上和彦の死因は心不全。となると、犯人が和彦も殺すつもりだった。ていうのには疑問が出てきます」

「整理するぞ! とりあえずだが、和彦が女房の殺害を計画したとしよう」

「はい」

「あの現場から推察するに、必ず共犯者がいる」

「はい。和彦は椅子に縛り付けられていたのですから、それをしたのが共犯者って事になりますね」

「ああ、そうなる。理央を殺したのが、共犯者か和彦なのかは不明だが、理央を強盗か何かに見せかけて殺す」

「はい。妻の理央さんだけが殺されたのでは不自然だから、自分も被害にあったように装ったのでしょう」

「だな。警察には……そうだな、妻は騒いだから殺された。とでも言っておけば辻褄は合う」

「でも、意に反して、自分は心臓発作を起こして死んでしまった……」

「そういう事だろうな。和彦が妻、理央の保険金殺人を目論んだとして、共犯者は誰だ? てことか」

「和彦の交友関係等鑑みて……武石さんって事は? アリバイありませんよね」

「朝だからな、大抵の人間はその時間のアリバイ証明は難しいだろ。だがあいつは、少なくとも人を殺すような奴ではない」

「わかりました。そうなると……議員仲間とは考えにくいし、やはり共犯者は政男か春菜さん。もしくはその両方っていうのが有力ですよね……」

「そうだな―目的は理央に掛けられた和彦受け取りの保険だ。全くの他人は共犯者になるリスクが高すぎる。そもそも和彦が分け前を払うという保証もない」

「でも政男も春菜さんもアリバイがあります」

「どっちのアリバイも百%じゃない。春菜のアリバイは間違いないと思うし、政男のアリバイは鳥海が証言している。だが全ての可能性を潰しておかなきゃならん。無実の証明のためにもな」

「わかりました。ではまず政男が和彦の共犯者だった場合を想定してみましょう、和彦としては政男が逮捕されてしまったら終わりです。ですから、理央殺害に使用したナイフは確実に処分する方法を考えていたでしょう」

「だな。だが意に反して和彦は死んじまった」

「はい。そこで困った政男は、とりあえず急いで逃げてナイフを投棄した」

「一応、辻褄は合う。一応な。その場合、政男のアリバイを証明している鳥海仁菜も共犯ってことになる」

「はい。次に、共犯者は二人。政男と春菜さんが協力した場合です。やはり鳥海さんも共犯ってことになります」

「そういう事になるな」

「でも、政男と春奈さんの二人が共犯者であった場合、政男のナイフがひっかかります。あんな証拠の隠滅をするでしょうか? どう考えても、政男は疑われます。春菜さんや鳥海さんも計画に加わっていたのなら―政男だけであったならまだわかりますが、彼女たちが加わった計画的犯行とは思えません。和彦の指示とも思えないし……そもそも政男が犯人として捕まったら、和彦も春菜さんも終わりです」

「状況を整理しよう、政男と春菜の二人共、共犯。で理央殺害後、和彦が死んじまった。ナイフをどうする?」

「頭のいい春菜さんが管理すると思われます。そもそもあんな場所に捨てるなんてあり得ませんね」

「ああ、だが本当は別の方法を考えていたが、何か突発的な状況が起きたことにより、あの場所に投棄せざるを得なかったのかも知れないだろ」

「でも、あのナイフには指紋がついていたんですよ。ずさんすぎます」

「わかった。とすると、政男と春菜の二人とも共犯って可能性は無いな」

「そう思います」

「では次に、春菜さんが和彦の共犯者だった場合、政男も鳥海さんも本当のことを言っているだけで、事件には関わっていないと考えられます」

「その場合、春菜が政男の犯行に見せかける為に、あのナイフを捨てたってことになる。理央を殺害した後、僅かな血痕を残してナイフを拭く、元にあった政男の指紋をできるだけ自然に残す……」

「そうなりますね」

「それが元々の計画なのか、和彦が死んだが故の春菜の独断なのか」

「整理するぞ。和彦が春菜と組んで理央を殺害したが、本人は死んじまった。さて春菜はどうする? てことだな」

「現実には、政男の指紋のついたナイフが捨てられていたのですから、それをしたのが春菜さんってことになります」

「和彦と春菜が共謀して、政男を犯人に仕立て上げることが元々の計画だったとしたら、政男が捕まり、和彦も春菜も事件に関与していないと証明されれば保険金は和彦に支払われる可能性が高い。和彦が死ねばその相続者は政男と春菜。政男は殺人犯なので勿論保険金は受け取れない。春菜の取り分は半分となるが、支払われる可能性が高い」

「そうなりますね。でも、それが元々の計画ではなかった場合。例えば、犯人を全くの他人にみせかけようとしていたら? その方が可能性は高いと思いますが、その場合でもやはり、和彦が死んでしまったから、春菜さんは政男に罪をきせることを考えた……結果は同じですね」

「どう思う?」

「あり得ませんね」

「俺もそう思う。和彦はたまたま心臓が止まっちまったんだ。本来なら生きていたはず。和彦が春菜と組んで保険金をせしめる為に、出来が悪いとはいえ、息子を犯人に仕立てるかってことだろ? あり得んな」

「ですよね、息子は妻を殺した殺人犯。なんてことになったら、和彦の政治生命も終わってしまいます。よって理央の殺害は、他人の仕業にしなければ意味がない」

「ああ、そう思う。一番可能性があるのは、和彦が死んじまったから、春菜が辰男に罪を着せた。てのだな。そうなると春菜は辰男に恨みを持っていた。もしくは保険金の独り占めを考えた」

「いや、保険金は政男と春菜さんは半々の受け取りになります。どちらかがいなくなったとしてもそれは変わりませんよ」

「あ、そうか」

「てか、春菜さんが理央さんの殺害に賛同するとも思えませんし、そもそも彼女はその時間、長野にいたんです。除外してもいいと思います」

「そりゃそうだが、検察は納得しないだろうな……確実なアリバイがない限り、長野にいたのは替え玉かもと言われりゃそれまでだ。顔が確認できないんじゃ証明にはならん」

 北守が眼鏡を押し上げる。

「替え玉……そうか、その可能性も……でも、自分はそうは思いません」

「俺だってそうは思わんさ、でもまあ、春菜の関与は否定しても問題ないだろう」

「はい。そうなると政男と鳥海さん……」

「じゃあもう一度、和彦と政男が犯行を企てたと仮定してみよう」

「はい」

「政男は午前一時十分に富士見町のキャバクラ、カノンを仁菜と一緒に退店している。これは複数の従業員が証言しているから間違いない」

「はい」

「政男が泥酔していた。というのは鳥海の証言だから、実は演技だったということになる」

「ですね」

「二人がタクシーに乗り込むところは誰も見ていないので、この時点での鳥海の証言もあてにならない」

「はい。でもカノンから鳥海さんのアパートも、和彦の自宅も徒歩では無理ですし、彼らは車を持っていません。レンタカーという手もありますが、足が付きやすいので、やはりタクシーは使ったと思います」

「そうだな、なにもアパートの真ん前や、自宅の前で降りる事もないからな」

「はい」

「だが疑問が残る。政男と鳥海がカノンを出たのは午前一時十分、死亡推定時刻は翌朝の七時前後だ。時間が空きすぎている。なぜ深夜のうちに事を済まさなかった?」

「わかりません。そうせざるを得ない事情があった。もしくはなにか想定外の事が起きて、その時間になってしまったのでしょう。深夜より、早朝のほうが明らかにリスクは高いですからね」

「……まあ、その件は一旦おいて置こう」

「はい」

「まず、最初に和彦もしくは政男が理央にスタンガンをあてて意識を飛ばす」

「はい。彼女の首にはスタンガンの痕がありました」

「ここでも疑問だ。理央の首には二か所スタンガンの痕があったが、和彦にその痕はなかった」

「はい、二か所というのは、一回で気絶しなかったか、もしくは途中でもう一回、それを使う必要があった。という事になりますね」

「和彦にスタンガンの痕がなかったのは、奴が首謀者とみれば納得だな」

「はい。警察にそのことを問い詰められたら、理央のその姿を見せられてナイフで脅されたとか、何とでも言い訳は可能でしょう」

「ああ、そもそも和彦は心臓に持病を持っている。スタンガンなんかあてられたら逝っちまうだろう」

「ですね。辻褄は合います」

「次に、気絶している理央を裸にして椅子に拘束する。この作業は和彦と政男の二人でやっただろう」

「はい。そう思います。一人でやるには相当な体力と手間がいりますから、二人で協力したはずです」

「理央が目を覚ましていたかどうか? それは不明だが、その状態で理央は頬を張られ、挙句の果てに刺し殺された」

「はい。刺したのは政男か、それとも和彦か、それはわかりませんね……、刺創から判断することは不可能だと思います」

「和彦の額と頭の傷は? どう説明する」

「理央はあれだけ、頬を張られているんです。和彦だけ無傷というのは怪しいでしょう」

「そうだな。よりリアリティを出すために。てことか」

「はい」

「問題は、和彦の心臓発作がいつおきたかだが、とりあえず、理央殺害の後ってことでいいな」

「はい。まあ、いいと思います」

「いずれにしろ、政男は和彦も理央と同じように拘束し、家に鍵はかけずに逃走する」

「そう考えられるな」

「鳥海仁菜はその時どうしていたのでしょう?」

「少なくとも、現場に鳥海がいた痕跡はなかった」

「家にいたって事ですかね」

「鳥海も頭がいい。仮に現場にいたとして、痕跡を残すとは思えんが」

「鳥海さんは朝十時頃、大学で友人に目撃されています。現場から彼女の大学までは、最短ルートで一時間。よって、彼女のアリバイはありません」

「そういうことにはなるな」

「で、北さん、どう思います?」

「あり得んな」

「はい。自分もそう思います」

「お前が言っていた春菜と同じ状況だ。獣医大といえば医大に次ぐ難関だ。いくら金に困っていたからといって、営利目的の殺人に手を貸すとは思えない。リスクが高すぎる。そんなバカな女には見えなかった」

「はい。そもそも、この仮定では政男のナイフの件を無視しています。政男が犯人で鳥海さんが共犯だった場合、あのナイフをあんなずさんな形で、あんな場所に投棄するとは思えません。少なくとも、鳥海さんがそんな事をさせるとは思えない。もっと確実な処分方法を提示すると思います」

「だな。てことは、とりあえず和彦が理央の保険金目当てで起こした殺人。ていうのは否定か」

「はい。和彦は本当に保険金殺人を目論んでいたのかもしれません。ですがそれは今回じゃない」

「その前に死んじまったってことか」

 車はとっくに、県警本部の駐車場に着いていた。二人は長いこと車内で話していたようだ。

「生命保険のおかげで、随分面倒くさい話になってきましたね」

「だな。一服してからもう一度考え直すか」

「はい」

「お前何飲む?」

 北守が自動販売機の前で小銭を取り出した。

「あ、じゃああったかいミルクティーで」

「ミルクティー? 刑事はみんな、珈琲以外飲まないって知らないのか?」

「え? マジっすか?」

「マジだよ」

 そう言って北守はミルクティーの後にレモンティーを押した。

「え? て、レモンティー押してるじゃないですか」

「嘘に決まってるだろ。ほらよ」

「ありがとうございます」

「刑事ドラマでレモンティー飲んでいるデカ見たことあるか? みんな揃って珈琲飲みやがって」

「あ、それわかります。自分も真似して缶珈琲買うことあるんですが、やっぱりミルクティーの方が美味しいです」

「あと煙草な。昔の刑事ドラマなんて百%デカは喫煙者だった。憧れて吸い始めたんだが、これがもう中毒だ。今更止めろって? そんなの無理に決まってんだろ」

「自分は中学三年の頃から粋がって吸い始めたんです。まあせいぜい三、四日に一本とかだったのですが、大学に入ってから習慣性がついてしまいました。煙草は覚せい剤より離脱が難しいっていいますからね」

「ああ、それにしても、煙草吸ってるキャリアなんて見たことねえな」

「自分もです」

「今の世の中、喫煙者は出世もできなくなってきている。多勢に無勢だ。お前は今のうちに止めとくんだな」

「まあ……はい。真摯に受け止めさせていただきます」

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