3-7 生命保険 2

「北さん、どこ行くんですか? 十時から捜査会議ですよ」

「あ、そんなもん今回はバックレだ! 例の保険会社の担当者と連絡が取れた。これから会いに行くぞ」

「え? いいんですか?」

「いいんだよ、蘇我の連中が正直に情報だすとは限らんし、目新しい報告があれば課長から聞けるだろ。今のとこ、こっちは手詰まりなんだ」

「まあ、そうですが……」

「心配するな、お前は俺が無理やり連れだしたことにしといてやるから。てか、お前は捜査会議に出てもいいぞ」

「心配なんかしていませんよ」


 北守と海渡は長良海上火災の一室で待たされていた。

 しばらくすると、まだ二十代だろう、パンツスーツで長身の女性が現れた。

「お待たせしてすみません」

 彼女は小田切琴春おたぎりことはと名乗り、北守に名刺を渡した。

 二人は立ち上がって挨拶した。

「どうぞお座り下さい」

「課長補佐……ですか」

 北守が名刺と実物を見比べる。

「なにか?」

「いえ、お若いのに立派だと思いまして」

 北守が海渡に相づちを求めたが、海渡は黙っていた。

「昨日も警察の方がいらして、お話しましたが、まだなにか?」

 小田切は怒っているようではなかったが、少しイラついているように見える。

「すみません。私は県警本部の海渡と申します。昨日お伺いしたのは所轄の刑事だと思います」

 海渡が警察バッジを見せた。

「警部補……」

「え?」

「あ、すみません。父方の祖父が昔、警察官だったのですが、長年巡査部長で、退職前に警部補になったと言っていましたから……」

「ああ、はいはい。まあ、私も含め、そんなもんです。最近では、五十五歳くらいになると、お情けで警部補って感じですがね。こいつは若干二十三歳ですが、階級で言ったら私より上です。いわゆるキャリアってやつです」

 北守が頭を掻く。

「キャリア……あなたこそ若いのにご立派で。あっ……すみません」

 そう言って小田切は、バツが悪そうに名刺を海渡に渡した。

「人は見かけで判断しちゃいけないって事です。私こそすみませんでした」

 北守は立ち上がって謝罪した。

「いえ、お気になさらずに」

「県警の刑事は誰でした?」と北守。

「さあ……自己紹介もありませんでしたし」

「もしかしていかついハゲでした?」

 海渡が頭を丸める仕草をする。

「はい。いかついハゲと若い刑事さんのお二人でした。あっ、すみません」

「いいんですよ。ほんとの事ですから」

 北守が笑う。

「正直、少しカチンときました」

「やはり……」と海渡。

「上司を呼んで来いって言われましたから」

「はいはい。あのハゲ、奴なら言いそうだな」

 三人が顔を見合わせて笑った。

「イタッ」

 北守が頬を押さえる。

「北さん、歯医者行きました?」

「いや、まだだ」

「早く歯医者行ってくださいよ。てかインプラントにしたら痛くないですよ」

 海渡が自分の前歯を指で叩く。

「私も三本インプラントなんです」

 小田切が自分の口を指さした。

「え? 自分はクラサレて折られたんですけど、小田切さんも?」

「いやいや」小田切は笑って手を振った「わたしは嚙み合わせが悪くて」

「すみませんが水もらえますか」

 北守が鎮痛剤を飲み込む。「すみませんでした。それじゃ小田切さん、お願いします」

「はい。田之上様の保険契約のお話ですね」

 小田切が資料を開く。

「はい。何度も申し訳ありませんが、もう一度おねがいします」

 基本、北守が質問し、海渡がメモをとっていった。

「実は、契約当時の担当者は既に退職していまして、三年前に私が引き継ぎました。資料もありますし、当時のことも聞いていますので」

「そうでしたか。ではお願いします」

「はい。お二人が保険契約したのは……」小田切が資料を指さす。「六年前の八月ですね」

「二人でここに来たのですか?」

「いえ、田之上和彦様から生命保険に入りたいとの連絡があり、大口の契約でしたので、ご自宅に伺っています」

「自宅で?」

「依頼があったのは、ご存じのように二億もの大口生命保険です。県会議員という事で、信用は問題ありませんが、人柄や、暮らしぶりなどを把握する必要がありますので」

「なぜ田之上はその時期に二億、二人で四億もの生命保険に?」

「はい。夫婦でもめたからと言うことみたいです」

「もめた?」

「その頃、田之上様は不動産等に投資をしていらして、随分と財産を減らしていたようです」

「例のインサイダーか」

「え?」

「あ、いやこっちの話です」

「いえ、確かに当時はそんな噂もあったようですが、うちには関係の無い事です。事前に田之上様の資産をざっと調べたところ、六億円ほどあった預貯金は一億円程に減っていましたが、持ち家だし、その他不動産もお持ちでした」

「問題ないと判断したわけですね?」

「はい」

「御社以外の生命保険には入っていなかったのですか?」

「はい。他社で二千万の保険に加入していましたが、それはまあ平均的な保険でしたし、奥様はその時点でどこにも加入はありませんでした」

「ほう。で、もめていたというのは?」

「はい。奥様は投資に反対していました。投資とはいえ、財産を減らすことに反対だったようです」

「まあ、もっともな意見ですね。実際その数年後、投資分は二束三文になったわけですから」

「はい。もし投資に失敗したらどうするんだと、そう奥様に言われたそうです」

「それでお二人とも保険に?」

「はい。和彦様は、仮に投資がうまくいかなくても、借金しない限り、生活には困らない。それでも文句があるなら生命保険に入る。それなら自分に何かあっても、お前は困らないだろう。と言ったそうです」

「え? でもそれだと理央さんがそんな大口の生命保険に入るメリットがありませんよね? 掛け金も高いだろうし」

「最初は田之上和彦様だけ契約の予定でした。受け取りは奥様で」

「ほう」

「でも、それでは不公平だということで、奥様、理央様にも保険に入って頂く事になったのです。受け取りは和彦様で」

「不公平……夫婦間で不公平?」

 海渡が首をかしげる。

「はい。記録にも残っています。田之上和彦様がそうおっしゃって、奥様も保険に入る事になったようです。個人でも大口保険の場合は細かい記録まで残しますので」

「不公平ねえ……夫婦仲はどうだったのでしょう?」

「わかりませんが、和彦様は奥様に対して、荒い金遣いを叱責していたようです」

「なるほど……それで二人とも保険に」

「はい」

「小田切さんは田之上夫妻に会われたことはあります?」

「はい。引き継ぎの時も、ご自宅にご挨拶に伺いましたから」

「率直にお聞きしますが、どう感じました?」

「どうとは?」

「まあ人柄とか」

「和彦様は……プライドが高い方だと思いました」

「女房は?」

「奥様は……威圧的で怖かったです」

「ありがとうございます。で、田之上の子供達が、犯行に関与していないと証明されれば、保険金は彼らに支払われるのですよね?」

「はい。手続きは必要ですが、奥様の分は継続されていますので」

「え?」

「え?」

「田之上和彦の保険は?」

 北守と海渡が同時に聞き返した。

「田之上和彦様は、ご自分の保険を昨年の十一月に解約しています」

「解約だって?」北守が聞き返す。

「はい。昨日いらした刑事さん達も驚いていました」

「郡山だ! あいつら、こっちに情報隠しやがって……」

 北守が拳を作って立ち上がった。

「北さん、落ち着いて下さい。それより小田切さん。その解約理由は?」

「はい。当面の現金が入用だから。ということでした」

「だが女房の保険は解約しなかった」

「はい。奥様からは連絡がありませんでしたし、解約は和彦様だけということでした」

「マジか……」

「あの野郎、武石に金借りるほど困窮していたのに、女房の保険だけは生かしてたんだ」

「小田切さん、そのことを誰かに……」

「守秘義務があるので誰にも話していません」

 小田切に礼を言って二人は保険会社をあとにした。

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