3-3 春菜の証言

 田之上春奈のアリバイは今のところ完璧ではない。

 事件の前日、春菜は大学の帰り、上野駅から十七時三十分発の新幹線に乗り長野へ向かったと言っている。理由は母親の事件現場に花を手向ける為だったという。

 春菜の通う大学で、同級生や講座の学生に話を聞いたが、当日、春菜が長野に行ったという事を知っていた人はいなかった。

 そもそも大学ではCBT(共用試験)も後期試験も終わり、四年生である春菜の同級生は、基本、今週から休みに入っている。

 事件の前日、春菜が大学に登校していたのは、彼女が所属している講座で飼育している実験動物の世話をしに行っていたからである。その事は講座に所属する五年生から証言が取れている。

 春菜は自分が疑われたことにショックを受けている様であった。

 以下、海渡の質問に彼女はこう答えている。

『命日だったのですか?』『命日は三月五日ですが、その頃から臨床実習の準備が入ってくるので、その前にいきたかったのです』

『虐待を受けていた母親の為に?』『いけませんか?』

『毎年行っているのですか?』『いえ、事件後、現場に行ったのは昨年が初めてです』

『昨年はいつ?』『今ぐらいの時期だったと思います』

『昨年からどうして急に?』『なんとなくです』

『なんとなく?』『だめですか?』

『二月二十七日の夜に行った理由は?』『意味はありません』

『もともと二月二十八日に長野行きを予定していたのですか?』『いえ、日時を決めていたわけではありません。雪のある時期に行きたかっただけです。あの日、事件のあった日は雪が降っていましたから』


 長野駅に着いた春菜は、長野大通りを北上し善光寺方面に向かった。ネットでの検索だとオフシーズンでもあり、駅から少し離れた場所であれば、どこのホテルも旅館もガラガラだった。昨年もこの時期に訪れたが同様だったという。その為予約はせず、気に入ったお店で夕食を取り、その近くのホテルに泊まることにした。

 春菜は権堂ごんどうまで歩き、アーケードの中に雰囲気の良い蕎麦屋を見つけた。近辺には小さなホテルや旅館が多く立ち並んでいたが、念のため、食事前に予約の電話をしようと、スマホを取り出そうとした。その時、財布が無い事に気がついた。

 春菜は、スマートフォンのケースにいざという時の為に五千円札を入れていたので、それでしのぐ事にした。帰りの切符もスマホケースに挟んでおいたので助かったという。また同じくケースに挟んであるスイカにはまだ二千五百円程入っていた。

 その晩、春菜は外食を諦め、自動販売機でお茶だけ購入し、そこから歩ける範囲で一番安い宿を検索した。そして権堂から二キロ程のところにあるホテルひいらぎをみつけた。地図で確認したが、柊から現場までは四キロ強、充分歩ける距離である。


『なぜ財布を無くしたことを警察に届けなかったのですか?』『届けようと思って権堂の派出所まで行きましたが、お巡りさんは巡回中でいませんでした』

『警官が戻ってくるのを待たなかったのですか?』『使い古しの財布で中には近所のスーパーのスタンプカードしか入っていませんでした。お金は一万円札が二枚と千円札が一枚、後は小銭です。ここでロスする時間、長野での予定と滞在時間、お金が戻ってくる確率など、費用対効果を考えて諦めました』

『カード類は? 一枚も?』『入っていないし、クレジットカード等は、そもそも持っていません』

『財布を無くしたのはどこだったか検討はつきますか?』『わかりません。でも長野駅に着いた時はあったと思います』

 ホテル柊の部屋にはシャワーしかなく、かび臭かったが、一泊税込み三千八百円だった。

 春菜は翌朝七時にチェックアウトし、そこから現場まで歩いた。途中、花屋を見つけたが、まだ開いていなかったし、お金もなかったので諦めた。三十分ほど歩いた時、雪が降ってきた。

 ゆっくり歩いたので現場についたのは八時半くらい。以前、希星と母親は2DKの借家に住んでいた。周りにも同じ造りの借家が七,八軒あったが、現在は、ドラックストアや眼鏡屋などが立ち並んでいた。

 春菜は自分の家があったと思われる場所。現在は駐車場になっているが、その近辺の街灯の元に二十センチ位の小さな雪だるまを作った。春菜は何も持っていなかったが、ポケットを探ると、飴が一つあったので、包み紙を剥がして雪だるまの頭にのせた。現場での滞在時間は二、三分。

 そこから長野駅まで歩こうと思ったが、雪あしが強くなってきたので春菜はタクシーを止めた。会社はわからない。白い色のタクシーだった。タクシーに乗った春菜は『長野駅方面、千二百円分でいけるとこまで』と運転手に伝えた。だが運転手はメーターが千円になった時点で料金を止め、長野駅まで送ってくれた。運転手は白髪の男性だった。

 二月二十八日、長野駅発午前十時十分発の新幹線で帰路についた。

『なぜ、一枚も写真を撮らなかったのですか?』『撮る理由がありません』

『なぜスマホの位置情報をオフに?』『必要ないし、電池の減りが早いのでいつもオフにしています』

『財布の特徴は?』『合皮製で、モスグリーンの二つ折りです。二枚入れていた一万円札のうち一枚は大きく破けていました』

『使えない程にですか?』『わかりませんが、千切れそうでした。そういえば……』

『どうしました?』『破けた一万円札に小さな落書きがありました』

『どんな?』『バイキンマン』

『当日の服装を教えてください』『先日刑事さんが見た通りです。黒いパンツ、薄紫のコート、ベージュのマフラーと帽子、それから紫のエクステをつけていました』

『エクステ?』『これです』

『あの時はつけていませんでしたよね?』『帽子に絡まってしまったので、帰りの新幹線の中で外しました』


 海渡は、春菜との会話を思い出してみた。彼女が長野に行ったのは間違いなさそうだ。だが、それを証明する根拠があまりに薄い。

 ホテルも切符も前もっての予約ではなかった。

 また、コンビニで買い物するだけでも、防犯カメラに映るし、最近だと、たいていのホテルには防犯カメラが付いている。だが春菜は買い物をしていないし、泊ったホテルにカメラが付いていないことは長野県警で確認済みだ。勿論外食もしていないし、誰とも会話をしていない。

 携帯で写真を撮っていたとか、位置情報をつけておけば、アリバイの証明として心強いが、それもない。

 もし、財布を落とした事を届けていたら。それが翌日、二十八日だったら、それだけでアリバイの証明になったはずである。

 海渡の頭には、何とも言えないモヤモヤが残った。

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