3-1 生命保険 1

 もう一度、海渡は頭の中で整理してみた。

 鳥海仁菜が嘘をついていたとして、物証は指紋のついたナイフ。だが疑問が残る。政男が犯行に自分のナイフを使うだろうか? 指紋や血の拭き方もずさんだったし、何よりあんな目立つところ、保育園近くの雑木林なんかにに捨てるだろうか? でも、そうせざるを得ない状況、例えば巡回中の警官がいたとか? 

 調べたところ、あのあたりは駅からさほど離れていないし、近場には整備された比較的大きな公園、松葉公園があり、裕福な家が多い。通りからは死角になるため、空き巣の被害が多い地域だ。そこで定期的に警官が巡回しているという。あの日は深夜三時半、午前中は六時半と十一時に巡回していたことが駅前交番の記録に残っている。時間的には犯行後、あの道を通っても、警官には遭遇しないはずだ。だが、なぜそんなルートを通った? 郡山巡査部長の話によると、田之上家の周りは住宅街で、どこにも人の目がある。半径二キロ圏内で、公園を除くと比較的人目に付きにくく、凶器を捨てるならあの場所しかないという。

 そこを抜けて通りに出てしまえば、もう逃走ルートはわからない。路線バスや電車など、朝の通勤ラッシュに重なるため、調べようがない。もしかしたらそれを狙って、あの時間に犯行を計画したのかもしれない。

 政男の部屋には何本も、カスタムナイフが飾られていた。真犯人がそれを使ったという可能性は否定できない。それに、政男が犯人の場合、母親を全裸にして殺すだろうか? 殺してから全裸にしたのならまだわかるが、鑑識の報告だと、理央は全裸で拘束された状態。つまり遺体発見当時の状態で刺されたとされている。

 田之上和彦の死因は不明……解剖所見は心不全。まあ、他に原因が無い時の死因と言っても過言じゃない。和彦は糖尿病で高血圧、更に狭心症の持病があった。そこに極度の肉体的及び精神的なストレスを受けたのだ。更に、妻が殺されるというショック―心臓が止まってしまっても不思議ではない。―いや、ひょっとしたら和彦の方が理央より先に死んだのかもしれないが、それは犯人しか知り得ない。

 少なくとも犯人が手を下すまでもなく勝手に逝ってしまった。―その可能性が一番高いだろう。そもそも病理医の所見が急性心不全だ。異常な薬物も検出されなかったし、そこは疑う余地はないだろう。

 犯人は和彦も殺すつもりだったのだろうか? 殺す前にたまたま心臓発作を起こして死んでしまったのか? 和彦も殺すつもりだったのだろう。というのが今のところ、警察の見解だし、自分もそう思う。 

 あとは政男の証言。証言の内容自体は辻褄があっている。だが、あいつがそんな上手い嘘をつけるだろうか? いや、前もって計画していたのなら可能だ。そもそも、泥酔していたというのも演技かもしれない。そうなってくると、鳥海仁菜は嘘をついている事になるし、必然的に政男の共犯者ということになる。彼女はお金を必要としていた。もう少ししっかりと政男との関係、及び、証言の裏どりをする必要があるだろう。


 そんな時、捜査本部に大きな衝撃が走った。田之上和彦と理央は生命保険に加入していた

事がわかったのだ。受取人はそれぞれ妻と夫になっていたが、夫婦共に亡き今、保険金は子供達に渡る可能性が高い。金額はそれぞれ二億円で、合計四億円。

 政男は犯人ではなく、仮に真犯人が逮捕されなかったとしても、田之上兄弟が事件に関与していないと証明されれば、保険金は政男と春菜に支払われる可能性が高い。

 政男が犯人であった場合、勿論政男は受け取ることができないが、春菜に関しては、保険会社の調査次第という事になる。彼女が全く事件に関与していないと証明されれば、保険金を受け取れる可能性がでてくる。

 勿論、支払いに関しては保険会社の判断だが、現段階で春菜は保険金を受け取れる可能性があることは間違いない。


「おいおいおいおい……」課長が禁煙パイポを振りかざしながら、北守に向かう「田之上兄弟は生命保険の事を知っていたのか?」

「二人とも知らなかったと言っています」

「なんだか雲行きが怪しくなってきたな……仮にだ、あの兄弟が生命保険の事を知っていて、両親の殺害を企てたとして……」

「課長!」

 海渡が怒鳴る。

「海渡、まあ聞け、下手すりゃ四億どころか殺人罪になるんだ。そんなリスクを負うと思うか?」

 そう言って課長が海渡にパイポを向ける。

「考えにくいと思います」海渡が言った。

「だが、一応考えておくに越した事はない。仮に子供達の犯行だとしよう。兄弟二人で協力した場合――この場合、鳥海は嘘をついている。次に政男が犯人であった場合。やはり鳥海は嘘をついている。では春菜が犯人であった場合、政男のナイフを投棄していることから、彼女はその罪を兄にきせた事になる。で、鳥海は本当のことを言っている」

「そうなるな」

 そう言って課長が海渡にパイポを向ける。「海渡、どうだ?」

「まあ……そうなりますね」

「で、聞くが? 可能性は? あるとしたらどれだ?」課長が言った。

「…………」

 海渡は黙っている。

「保険金殺人て事なら、政男の単独ってのには無理があると思います。あいつは頭が悪い。目先の金や、怒りで犯行を犯したのならわかりますが、そんな事を計画できる知恵があるとは思えません」北守が言った。

「鳥海の入れ知恵だとしたら?」と課長。

「いや、俺が接見した感じじゃ、可能性は低いと思います」

「じゃあ兄弟二人で協力ってのは?」

「いえ、それも……いくら春菜が賢いといっても、あんなアホ兄貴と組んだらたちまちばれちまいます。賢いからこそ、組まないと思いますが」

「海渡は? どう思う?」

「自分も……そう思います」

「じゃあ春菜の単独犯の可能性は?」

「無いと思います」海渡が言った。

「根拠は?」

「はい。まず生命保険ですが、隠していたっていずれ分かることです。よって、彼女が知らなかったという事は事実だと思います」

「でも、春菜は医学生だ。いくら国立だといってもそれなりに金はかかるだろう。両親は破産に近い状況だった。それに親子関係がよかったというのは春菜の自己申告だろ? 彼女は養女だった。どうだ? 疑ってみる余地は無いか?」と課長。

「無いと思います。ですが、彼女の潔白の為、きっちり調べてみます」

 そう言って海渡が課長を睨んだ。

「その意気だ」

 課長がパイポを海渡に向けた。

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