2-19 ストーカー

 翌日、海渡は一人で田之上春奈のマンションを訪れた。

 ベランダから西日が差し込んでいる。テーブルの上には臨床生化学と循環器内科と表題された本とノートが置かれていた。

「大学は?」海渡が聞いた。

「はい……後期試験が終わった後なので、授業はしばらくお休みです。でも、講座には来週から出席しようかと思っています―休学も考えたのですが、休学しても学費は発生するので……講座の先生がいろいろと気を使ってくれて……」

「はい。お辛いとは思いますが、その方がいいと思います」

「刑事さん、本当に兄は両親を殺したのでしょうか? 仁菜ちゃんは兄をかばって嘘をついているのでしょうか?」

「鳥海さんが嘘をついていると思うのですか?」

「いえ……でも兄が釈放されてからも、刑事さんがきて仁菜ちゃんについていろいろと聞かれたので?」

「お兄さんはすでに釈放されていますし、現状では、再度裏どり操作をしているだけです」

「でも……」

「すみません。それが自分らの仕事なので」

「私……やはりあの兄が両親を殺すとは思えないんです」

「根拠はありますか? いや、すみません」

「明確な根拠があるわけではありません。兄は短気で、両親ともよく揉めていました。でも、ほんとは気が弱くて……私にはやさしい兄だったので……」

「春菜さん、お兄さんの無実を完全に証明するためにも、三年前のストーカーについて教えて頂けますか?」

 

 春菜に話を聞き、マンションを後にする頃には、すっかり日が落ちて、真っ暗になっていた。

「北さんわかりましたよ」

「春菜から何か聞き出せたのか?」

「はい、例のストーカーですが、春菜さんではなく、理央さんのストーカーでした」

「理央の?」

「はい。以前、春菜さんと理央さんが一緒に買い物していた時、一人の男が理央さんの前に立って『俺はお前を絶対に許さない』と言ったそうです」

「あ? そりゃ物騒だな。顔をみたのか?」

「いえ、その男はサングラスにマスクだったのですが、理央さんにはそれが誰だかわかっている様だったと言っていました」

「そいつが、例のストーカーだと?」

「はい。多分そうだと春菜さんは言っていました。その男が理央さんの前に現れたのは、例の田之上家に現れた不審者事件の後だそうです」

「それでも警察に届けなかったのは?」

「はい。春菜さんも警察に届けるよう言ったらしいのですが、夫に迷惑かけられないから少し待ってくれと言われたようです」

「それで?」

「はい、一週間ほどしてから、春菜さんが理央さんに尋ねたところ、彼女が教えてくれたそうです」一呼吸おいて海渡は続けた「理央さんはその昔、電車の中で痴漢にあいました。そして一人の男が捕まったのですが、一悶着ありました」

「理央はその痴漢男に逆恨みでもされたのか?」

「いえ、痴漢は理央さんのでっち上げだったそうです」

「なに?」

「その男の手を掴んで騒いだそうです」

「なんだってそんな?」

「電車は混んでいました。理央さんはその日、優先席に座っていました。近くには脚の悪そうなお年寄りもいたらしいのですが、理央さんは気づかず、雑誌を読んでいました。その時、目の前に立っていた男性が理央の顔を見て言いました『代わってやれよ?』と」

「いい奴じゃねえか」

「はい。理央さんはそのお年寄りに席を譲りましたが、乗客の前で恥をかかされた事を根に持ち、数日後、再びその男と同じ電車に乗り合わせた際、犯行に及んだそうです」

「で、そいつはどうなった?」

「会社を解雇され、離婚も辞せない状態になったといいます」

「だろうな。で、そいつに恨まれているわけか」

「いえ、大事になってしまった事に心を痛めた理央さんは、事件から一か月後、自ら警察に出頭し、虚偽であったことを告白しました」

「でも男は許さなかった?」

「いえ、ちゃんと謝罪して、当時健在だった彼女のご両親が慰謝料として一千万を支払い、男の会社や家族にも謝罪し、円満に解決したそうです。その男は結婚したばかりで、とても貧乏でしたが、人生も取り戻し、むしろ感謝されたようです」

「それがなぜ?」

「それから二十年以上たって、その男が再び金をせびりに来たと言っていました」

「マジか……」

「で、対面を重んじた田之上和彦は警察には通報せず、その男に五十万円を与え、【二度と理央には近づかない。もし、近づいたら次は警察に通報する】と言う趣旨の念書を書かせたと言っていました。それでその男は納得し、理央さんと和彦さんに謝り、礼を言って立ち去ったそうです」

「それがほんとなら事件性は無いか……でもなぜ、その事を春菜は黙っていた?」

「それは自分も聞いたのですが、理央さんの名誉にかかわることだから隠したかったと言っていました」

「海渡」

「はい」

「一応、その冤罪事件、調べてみろ」

「了解です」

「もし、そいつが犯人なら、政男はただのとばっちりだ」

「ですね」

「だが、相変わらず郡山は政男を強く疑っている」

「政男の犯行について北さんはどう思います?」

「俺には鳥海仁菜が嘘をついているようには見えなかった……だが真実とも言い切れない……なにかモヤモヤが残ったのも事実だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る