2-16 鳥海仁菜の証言

 海渡と北守は春菜が泊っている市内のウィークリーマンションを訪れた。蘇我署の刑事より先に話を聞きたかった二人は、さっそく鳥海仁菜とりうみになに連絡をとったのだ。彼女は本日、春菜のマンションに来ているという事だった。

 事件後、現場の検証や清掃で、しばらくあの家に住む事が難しい故、北守が気を利かせ、警察と交流のある業者に話をつけ、日割りのマンションを格安で紹介したのだ。

 出迎えた春菜は明らかにやつれていた。

「ご苦労様です」

 春菜が二人を部屋に招いた。

 事件当日はセーターを着ていたので気づかなかったが、春菜の左腕には大きな傷跡があった。

「その傷……」と海渡。

「え? ああこれですか? 昔、長野にいた頃、母から受けた虐待の痕です」

「すみません……」

「いえ、気にしてないので大丈夫です。生活に支障はありませんし」

「そうでしたか……嫌な事を思い出させてしまってすみません」

「大丈夫ですよ。えっと、鳥海さんですよね。来てますよ」

 

 キャバ嬢と聞いていたが、鳥海仁菜は質素で、どちらかというと地味な女性だった。彼女は丁寧に挨拶し、その場に座った。

 北守に肘でこずかれたので、海渡が先に口を開いた「お話をお伺いする前に、春菜さん。お二人の関係を教えてください」

「はい、彼女は私の友人で三つ年下です。中学時代からの付き合いです。高校は離れてしまったけれど、大学が近く、ここ二年程前からは、たまに会って食事したり買い物をしたりする仲です。兄の事は私が彼女に紹介しました」

「わかりました。それでは鳥海さんにお話しをお聞きしますが、これからの会話は録音させていただきます。プライベートな事もお伺いしますが、言いたくない事は言わなくてけっこうです」 海渡が言った。

「はい。わかりました」鳥海が頷く。


 基本、海渡が質問したが、たまに北守も口をはさんだ。

「お願いします」

「大丈夫です」

「ありがとうございます」

「見えませんよね」

「はい、よく言われます。でも、こんな私でも化粧をすれば、それなりに化けれるんです」

「キャバはお金の為です」

「二年前、大学に入学してすぐ父が入院しまして……」

「脳梗塞です」

「命に別状はありません。車いすの生活ですが、今はリハビリができるまでに回復はしています」

「いえ、仕事の復帰はできていません」

「それ以降、母が頑張ってくれたんですけど、その母も昨年、膝を痛めてあまり働けなくなってしまったもので……」

「父は市役所の職員なので、生活に困らない程度のお金は入るって言っていました」

「祖父は昔、一人暮らしをしていたのですが、病気が見つかったので、父が諏訪に呼び寄せました。今は入院しています」

「諏訪市です。長野県の」

「はい。実家です」

「実際はかなり苦しい生活だと思います。それでも、奨学金で足りない分の学費は払ってもらっているし、大丈夫だからいらないと言っても、毎月、いくらか送金してくれます」

「はい。一時は大学を辞めようかとも思ったのですが……」

「両親が無理してくれているのを考えると……」

「東京科学大学の二年生です」

「いえ、まだ四年あります」

「獣医学部です」

「千葉にですか?」

「最初は都内に住んでいましたが、こっちの方が全然安くて綺麗だったので、すぐに引っ越しました。春菜さんも近くにいましたし」

「いえ、交通費を含めても安いです。大学までは一時間ほどですし」

「東京だと安いアパートは結局、大学から離れていましたから、通学時間は三十分以上かかっていました」

「政男さんの事は、千葉に引っ越してすぐ、蘇我のご自宅にお邪魔した時、春菜さんから紹介されました」

「一昨年前です」

「はい。お父様の秘書をされていると聞きました」

「いえ、お仕事の事はわかりません」

「はい、最初はあまり良いイメージはなかったのですが、ほんとは優しくて思いやりのある人だなって思いました」

「私、ぽっちゃりな人が好きなんです」

「いいえ、お付き合いはしていませんが、お店ではよく指名していただいています。春菜さんが、リサのお店に行ってあげてって、頼んでくれたからだと思います」

「あ、リサというのは源氏名です」

「政男さんですか? いつも沢山お金を使ってくれました。そういう意味ではモテる方だったと思います」

「はい、お酒を飲むと少し荒っぽくなる事もありましたけど――」

「いえ、本当に酔うとすぐ寝てしまうし、私のお店では、警察沙汰とかはありませんでした」「はい、そこまで困ったことはありませんでした」

「はい?」

「いえ、身体の関係はありません。求められたこともありません」

「時別なおつきあいもしていません」

「わかりません」

「私ですか? 勿論、嫌いなタイプではありません」

「春菜さんの友達。という事で気を使ってくれているのか、お店にくると必ず指名して下さいます」

「はい。いい人です。少なくとも私にとっては」

「わかりました」

「はい、政男さんは二月二十七日の夜十時位に、お店にきました」

「一人でした」

「はい。いつもお一人です」

「週一、二回、いらっしゃっていました」

「たいていは水曜と金曜です」

「はい、すでにかなりお酒を飲んでいました」

「ラスト一時間前でしたが、政男さんは酔いつぶれていましたので、大丈夫ですか? と声をかけたら『帰る』とおっしゃったので、一緒にお店の前の通りまで行きました」

「お店は二時までです」

「タクシーの運転手さんにも手伝ってもらって乗せたのですが、そのまま完全に寝込んでしまったので、運転手さんも困ってしまって……私もお店をあがって、一緒に乗りました」

「はい、春菜さんのお兄さんだし、私にとっても太客――いえ、大切なお客様ですから」

「春菜さんに電話とメールをしましたが、繋がりませんでした」

「はい、そうです。深夜一時を回っていましたし、その日は家に帰りたくないと言っていたので……私の判断で政男さんをアパートに連れて行きました」

「いえ、初めてです」

「政男さんじゃなかったら、そんな事しません!」

「はい。よく寝ていました」

「翌日は土曜でしたが、大学に行く予定があったので、伝言をして、朝八時四十分に家を出ました。その時、政男さんはまだ寝ていました」

「いえ、私は寝ていません。課題のレポートを書いていました」

「はい、彼はずっと私の部屋にいました。深夜二時前くらいから、少なくとも朝の八時四十分までは」

「はい、確かです」

「当日の夕方、五時半くらいにアパートに戻った時、政男さんはいませんでした」

「はい、ポストに鍵が入っていました」

「いえ、気が付きませんでした。私、テレビは見ないので……」

「いえ、スマホは持っています。でも、ニュースはあまり見ません……」

「春菜さんのご両親の事も、政男さんの事も、刑事さんから聞いて初めて知りました」

「タクシー会社ですか……たぶん白タクだったと思います」

「あのあたりは、深夜十二時を過ぎると、タクシーはなかなか捕まらなくなるので、ほとんど白タクです」

「タクシーの運転手さん? ――いえ、暗かったし覚えていません」

「運転手は男の人でした。黒い車でした」

「はい、後ろに座ったので四ドアです」

「いえ、セダンかミニバンと言われても……」

「スライドドアではなかったです」

「ならセダンですかね」

「それ以上はわかりません……すみません」


「ありがとうございました」

 海渡がレコーダーを胸ポケットにしまい、頭を下げる。

「申し訳ないが春菜さん、少しだけ席をはずしてもらえませんか?」北守が言った。

「え?」「はい」

 海渡と春菜の声が被る。

 北守が海渡に目配せし、玄関ドアの方に顎をしゃくったので、海渡は春菜を連れ出した。

「すみませんね、ほんの数分なんで」

 北守が春菜に向かって頭を下げる。

「いえ、お気になさらずに」

 そう言うと春菜は海渡と共に出て行った。


 北守が、テーブルをはさんで鳥海仁菜に向きなおる。

「鳥海さん、私達から春菜さんに口外することは決してありませんので、本当のところを教えてもらえませんか?」

「え?」

「本当の事です。お願いします」

 北守が頭を下げる。

「…………」

「本当のところ鳥海さん、あんた政男の事をどう思ってます?」

 北守が中指で軽くテーブルを叩く。

「なぜ私が本当の事を言っていないと?」

「あんた、ぽっちゃりが好きと言ったが、ほんとですか? 政男はぽっちゃりじゃなくデブだ。しかも酒乱ときている。失礼だが、お金以外であいつを好む女性がいるとは……あなたに似つかわしくない」

「それって刑事さん、偏見ですよ。私、頑張っている人なら外見は気にしません」

「それはけっこうな意見だが……じゃあ政男は何を頑張っていました? 女遊びですか?」

「……それは……」

「あんた、さっき政男の事を『太客』と言ってから言い直しましたよね?」

「…………」

「政男は取り調べで、あんたの事を仁菜ではなくリサと言っていた。つまり、あんたは自分の名前を本名で呼ばせていない」

「…………」

 仁菜は黙っている。

「身体の関係もない。そんなあんたが、いくら友人の兄だからといって、政男を部屋に泊めるとはどうも……」

「…………」

「もし、泊めたのが本当なら鳥海さん。あんた政男に何か弱みでも握られてやしませんか?」

 北守がテーブルを指で軽く叩く。 

「いえ、そんな事はありません……でも、やっぱり刑事さんには嘘をつけないようなので本当の事をお話します」

「そうして頂けると助かります」

 北守が眼鏡を押し上げる。

「どう思っているか? ですね――政男さんは、悪い人では無いと思っています」

「それは、裏を返せばいい人でもない? という事ですか?」

「いえ、そういう意味では……正直、政男さんの事はあまり好きではありませんし、肥満体形の方も苦手です。そもそも、政男さんとは好きとか嫌いとかいう感情ではなく……春菜さんには申し訳ありませんが、私にとって政男さんはお金です。お金の関係です」

「ということは?」

「はい、身体の関係はあります。月に一回ホテルに行きます。その代わり週二回の来店と指名を約束していただいています。軽蔑していただいて構いません。でも私は大学を辞めたくない……これ以上両親に負担をかけたくない……」

「お察しします。ですがその……週二回の来店で、あなたにメリットはあるんですか?」

「はい……その日は同伴からラストまでいてもらっています。お店は売り上げで時給が変わりますし、扱いも変わります。」

「来店以外は?」

「いえ、愛人契約とかはしていません……さすがにそれは……」

 仁菜がうつむく。

「お話頂き感謝します。一部の捜査関係者以外、絶対に口外しないと約束します」

 北守が頭を下げる。

「はい。ありがとうございます」

 仁菜も頭を下げた。

「で、あの日の事については? 偽りは無い?」

「はい。私はあの日、政男さんを床に寝かし、布団をかけてからシャワーを浴びました。その後、大学のレポートを仕上げていたのですが、眠さもあって朝七時半くらいまでかかりました」

「徹夜だったということですか?」

「はい。ですから政男さんが朝まで私の部屋にいたのは本当です」

「政男は、その……あなた以外とは?」

「わかりません。でも、他のお店で何人か、私のような契約をしている人はいるかもしれません。彼はお金を持っていましたから」

 そう言うと仁菜はまたうつむいた。

「ここ最近も政男は週二で来店してました?」

「いえ、秋ごろから来ない週もありました」

「契約を解除しようとは思わなかったのですか?」

「それも考えましたが――全く来ないわけではなかったし、来店時の指名はありましたので――」

「メリットのほうが大きかったという事ですか?」

「……まあ、そんな感じです」

「政男はプライベートで、つまりお金以外で付き合っている女がいると思いますか?」

「さあ、わかりません……ですが、あの容姿を好む女性は多くないと思います」

「お店でのトラブルは? ほんとうになかった?」

「なかったと言えば嘘になりますが、大きなお客様だったので、多少の事は店長も目をつぶっていました」

「政男に暴力を振るわれたことは?」

「ありません。」

「政男はあんたを、仁菜さんを特別気に入っていたのでは?」

「わかりません。でも私にとっては、お兄さんというイメージです。恋愛対象ではありませんが、悪い人ではありません」

「わかりました。次に春菜さんについてお聞きします。あなたにとって春菜さんは、どの程度の友達です? 親友?」

「先輩です。頭が良くて、可愛くて、何でもできる先輩です」

「わかりました。じゃあ春菜さんの両親については? どう思います?」

「春菜さんのお父さんにはあった事がありません。お母さんは……とても派手な人だと思いました。でも私が、紅茶が好きだと言ったら、とても美味しいオレンジティーを入れてくれて、いろいろお話しました」

「よい印象だと?」

「はい、とても。人は見た目じゃないって反省しました」

「最後に、犯行が可能だったと仮定して、政男が両親を殺すと思いますか?」

「いえ、あり得ないと思います」

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