2-7 北守と武石 ②

 通されたのは質素な部屋だったが、ソファーは立派な革張りの代物だった。

「武石、このソファーは持ってきたんだな」

 北守はそう言うと、進められてもいないのに、どっかりと腰を下ろした。

「誰かさん達のおかげでな! 今時、一等地に事務所なんか構えてらんねえだろ!」

「あれは蘇我の四課だろ。まあ、俺も少しは手伝ったが」

「てめえ、一ぺん殺すぞ」

「まあそう言うな、その代わり、富士見町のハングレ潰してやったろ」

「……で、北守、貴様なんの用だ」

「まあ焦るな」

 そう言って北守がピーナッツパイの箱をテーブルの上に置いた「お茶請けだ」

「百万くらいは包んであるんだろうな?」

 武石が包みを開けている時、北守が海渡に耳打ちした『女房の死亡は伏せておけ』

 ピーナッツパイの箱には何の仕掛けも、金もない事を確認すると、武石は舌打ちしてから、パイの袋を開けた。

「いいから茶ぐらい出せ」

 北守はそう言ったが、本当にお茶が出てきて海渡は驚いた。

「灰皿は?」

 北守がたばこに火をつける。点けてから海渡の方を覗く。海渡はポケットからアイコスを取り出して見せた。

「なんだ、お前も吸うのか、なら遠慮するな」

「遠慮しろ! 俺は禁煙したんだ!」

 武石が北守から煙草を奪い取り、床に落として踏みつけた。

チッと舌打ちしてから北守が言った「田之上和彦が殺された」

「何! いつ?」

「今日だ。けさの七時頃。武石、お前どこにいた? そこの連中も全員アリバイ出せ」

「貴様! 俺が殺したってか? ふざけんなよ」

「てのは冗談だ。だが田之上が殺されたのはほんとだ」そう言って北守はお茶をすすり、海渡に向かって顎をしゃくった。

「はい。田之上和彦さんは本日、遺体で発見されました」

「ほんとに殺人なのか?」

 海渡が北守を見ると、彼が頷いたので続けた「刺殺です」

「畜生! 俺はあいつの女房に金貸してんだ」

 武石が肩を落とす。

「いくら?」

「一千万」

「じゃあ女房から取り立てればいいだろ」

「どうだかな。田之上は富津の開発投資に金をつぎ込んで飛んだ。今、あの家に金があるとは思えない」

「富津って、千葉と東京で進めていたあれか? カジノのある何とかリゾート」北守が聞く。

「富津、セントラル、シーリゾート」海渡が言った。

「そうだ」

「武石、詳しく聞かせろ!」

 北守が声を荒げる。

「教えてもいいが北守、俺になんの得がある?」

 武石の顔がヤクザのそれになる。

 チッ 北守が舌打ちする「今度、栄町のソープを摘発する。オーナーは元ヤクザあがりだが、ずいぶん昔に引退し、現在どこの傘下にも属していない。跡継ぎも後継者もいない。元々大して利益のない店だ。摘発されたら店は潰れるだろう。オーナーの年齢からいって、物件は手放すだろうな。二束三文で」

「…………」

 北守が海渡を見る。

「自分は何も聞いていません」

「歳は? オーナーの」武石が聞く。

「七十二」

「店の名は? ガサはいつだ?」

「さあ……」北守がとぼける。

「……いいだろう」

 武石が話し始めた。

「田之上は十年程前から、インサイダーでカジノリゾートの情報を掴み、あのあたりの土地を買収し始めた。知っての通り、通常なら、あのあたりの土地に価値はない。くれると言っても断るような土地だ。それをいい事に奴は、ばんばん買いあさった。山一つ百万とかでな。中には先祖から伝わる土地だから売れない。という者もいたが、そんな時はヤクザを使って脅し取った。さすがにこれ以上は目を着けられる。というところまで買い漁った田之上は、ペーパーカンパニーを作って更に買った」

「いくらくらい使った?」

「奴は親から引き継いだ財産持ちだ。五、六億? は持っていただろうが、そのほとんどを使っちまったんじゃないか?」

「百万の山でか?」

「いや、それだけじゃない。市街地の土地や、小さな店舗もいくつか買収していた」

「武石、お前は知っていたのか? 買ったのか?」

「知らなかった。これは後で聞いた話だ。田之上とはそこまでの仲じゃない。そもそも奴が儲け話を人に教えるはずが無い」

「で?」

「リゾート構想が発表され、土地が動き始めると、田之上の資産は一気に数十億になった」

「だがなくなった」海渡が口を開いた。

「ああ、そうだ。県知事と都知事が変わり、構想は白紙になった」

「典型的な自業自得だな」北守が言った。

「昨年、十一月だったかな、田之上が俺のところに来た。必ず返すから三千、いや二千でいいから貸してくれと言ってきた。金が無いわけじゃない。女房がコインで損して、一時的に現金が必要になったと言っていた」

「貸したのか?」

「勿論断ったさ。だが女房までが泣いて頼むから、女房に免じて一千万貸してやった。捨てるつもりでな」

「お前のところまで来たってことは、ほんとに財産擦っちまったんだな」

「ああ、だが富津の大地主だ。今は少しずつ回収しているって噂もある。まあ相変わらず汚い手を使っているとは思うが」

「武石さん、担保は? 取らなかったんですか? その土地とか」と海渡。

「山林は貰ったところで、管理に金がかかるだけだ」

「だろうな。俺の従弟も、君津の山林を二百万で売りに出して、今七十万まで下げたが、それでも買い手がつかんって嘆いていた。まあ場所にもよるけどな」

「そういうことだ。で、俺が富津の土地を断ると、八ヶ岳に、抵当権のついていない別荘があるから、それでと言われたが、調べたらそいつも価値のない代物で、土地は富津の山と同様だし、建物はマイナス評価……典型的なバブルの負の遺産だった」武石はそう言うと深呼吸し、続けた「売れるように持っていくのに三百万程かかるが、土地の評価額は二百万そこそこ……もらうだけ赤字の代物だから断ったさ」

「武石、お前、田之上に弱みでも握られていたのか?」

「バカ言うな。知っての通り田之上は力のある議員だ。いや、だった。というほうが正しい。だが、昔、うちの会社も儲けさせてもらった事がある。その時の恩だ。―だが言っておくが、あいつはクズだ」

「みたいだな……ちなみに女房も殺されていた」

「なんだと! 貴様……まあいい――やはり一千万……回収は不可能か……」

「で、奴を恨んでいた人物は? 誰か知らんか?」

 北守が火のついていない煙草を武石に突きつける。

「は? 田之上を恨んでいた奴だと? ごまんといるだろうよ! あいつは議員を盾に無理難題を押し付ける。金に汚い。そもそも態度がでかい。嫌っても、好く奴はいないだろう」

 そう言って武石が掌をふる。

「えらい言いようだな。でも、そんな奴が毎回当選しているぞ」

「田之上の後援会長は深山雅史だ」

「深山雅史ってミヤマスーパーの社長か?」

 ミヤマスーパーは、千葉県を中心に二十数店舗を手掛ける食料品スーパーの大手である。

「ああそうだ、ミヤマスーパー二代目。ミヤマスーパーの現社長。あいつの人脈は大きい。田之上は深山の持つパイプ。その組織票で議員を続けていられるといっても過言じゃない」

「そんな大物がなぜ田之上と?」

「親父の代からのつきあいらしい。田之上和彦の親も県会議員だった。たしか知事や国政選挙にも出馬経験がある……落選だったようだが」

「そこまでの力でもないってことか。だがミヤマスーパーの社長っていったら大金持ちだろ? 田之上はなぜ深山に金を借りなかった? それとも既に借りているのか?」

 北守がテーブルを指で叩く。

「いや、それはちょっと前までの話だ。最近じゃ赤字店舗だらけで、今はしょぼいらしいぞ。銀行からも数億の融資を受けているが、返済で一杯いっぱい、商売を辞めたって噂もある」

 そう言うと武石は北守から煙草を奪い取り、しばらく口にくわえてから、投げ捨てた「そういえば、田之上が、関西系の卸売り問屋がどうのって言ってたような……」武石が首を傾げる。

「武石さん、その卸問屋の名は?」海渡が聞く。

「たしか、ドマンとかドロンとか……」

「たぶんドマーニです。自分の家の近くのスーパーがミヤマからドマーニに変わりました」

「そうか、奴は深山という金ずるを失って、この俺に―元ヤクザに金を借りにきたのか……俺のとこに来るって事は、当然、銀行やらノンバンクやらからも借りていて、これ以上は無理と言われたんだろう」

「って事は、田之上和彦は相当追い詰められていたって事だ」北守が言った。

「金銭面でも組織票でも深山雅史が、あてにならないとすると次の選挙は絶望的……」

 そう言うと海渡は冷たくなったお茶を飲んだ。

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