2-5 理央と早苗 1

 男は嫌いだ。桶川理央おけがわりおは中学生の頃、全ての男は世の中からいなくなればいいと思っていた。

 家は貧乏だった。生活できないほどというわけではなかったが、小学校四年生の時、友達のお誕生日会に呼ばれた時、うすうす気づいてはいたが、貧富の差を目の当たりにした。

 何部屋もある一軒家。花のある庭、居間にはソファーと大きなテレビ、冷蔵庫もうちの二倍の大きさはあった。別の子はマンションに住んでいたがやはり綺麗な家だった。

 わたしのうちは、うちと呼べるようなところではなかった。二階建てのボロアパートの一室。家の中もほぼ、ごみ屋敷だった。

 母との二人暮らしだったが、母はほとんど働いていなかった。たまにスナックでアルバイトをしていたが、生活保護を受けていた。

 わたしの父が誰なのか、母にもわからないという。そういう母だった。

 でも幼い頃、わたしは母が嫌いではなかった。とりわけ愛情をもらったわけでも、優しくされたわけでもないが、母は母だった。

 男がくる時は、露骨に邪見にされた。男がアパートに来ると、母は私に自分の腕時計と千円札を握らせた。「二時間くらい外で遊んでおいで」それが決まり文句だった。雨の日も、雪の日も、それは変わりなかった。でもさすがに、夜に追い出されることはなかった。夜に男が来た時は、母と連れ立ってどこかに出かけて行った。たいていはその晩、帰ってくることはなかった。男はだいたい半年から一年の間隔で入れ替わった。

 中学生になってからはそれが二千円に増えた。そのお金を少しずつためて、たまに漫画喫茶や友達とカラオケボックスに行った。それはむしろ家にいるよりずっと楽しかった。

 ある日、家に帰ると母の男がいた。一人だった。母は今日、仕事だと伝えると、その男は、知ってる。と答えた。わたしはその男に犯された。そして事後、母には内緒だと耳うちされた。もちろんそんな行為は初めてだったし、ショックで何時間も泣いた。

 さんざん迷った挙句、母に打ち明けた。その一週間後、母はわたしに一万円札を握らせた。「あの男とは別れた。わずかだが金もとってやった」

 母があの男からいくら貰ったのか知らないが、私に一万円をくれるという事は十万円くらいかなと思った。その日、母は焼肉に連れて行ってくれた。

 それからしばらく、母が男を連れ込むことはなかった。かといって母は優しくなったわけでもなく、今までとなんら変わりはなかった。でも、わたしは嬉しかった。母がわたしのことを気遣ってくれている。そう思った。だが、半年ほど経つと、母はまた男を連れてくるようになった。

 中学三年の秋、わたしはまた母の男に犯された。母に言うと、ひっぱたかれた。「お前が誘ったんだろ」と言われた。

 その時は涙も出なかった。死のうと思った。でも死ねなかった。それから中学卒業まで母とはほとんど口をきかずに過ごした。

 高校には行かせてもらえないと思っていた。だが母から「高校はどうするんだ」と聞かれた時、「行きたい」と答えた。公立なら行ってもいい。交通費は自分でなんとかしろと言われた。その日、わたしは母に謝った。なんで母に謝ったのかわからなかったが、母は「ああ」とだけ答えた。

 高校時代はアルバイトに明け暮れた。母は小遣いどころか学校までの交通費もくれなかったので、ファーストフードでアルバイトをした。ほぼ毎日、シフトに入った。部活にも入らず、友達もほとんどできなかった。それでも、人並みに高校くらいは。という思いで頑張った。

 高校を卒業した後はホームセンターで働いた。給料は残業を含めて手取り十五万を切ったが、念願の一人暮らしを始めた。母のいない暮らしはこんなに快適だったのだ。と痛感した。

 就職して二年ほど経ったある日、通勤電車の中で及川早苗おいかわさなえをみた。高校の同級生で同じクラスの子だった。

 電車はそこそこ混んでいた。早苗は車両内を見回すと、スーツ姿の中年男性の隣に立った。次の停車駅のアナウンスが流れた時、早苗は男の手を掴んで『痴漢!』と叫んだ。どう見ても男は痴漢などしていなかった。

 スーツの男性は「違う! やってない!」と連呼していたが、周りにいた乗客が「駅員よべ」と騒ぎ、女性の乗客が早苗に声をかけていた。早苗は、「大丈夫です」と答え、電車が停まると、男の手を引いて降りて行った。わたしはどうしようか考えたが、あのリーマンを救ってやる義理もないし、そんなことをしていたら、遅刻してしまうので、その時は見て見ぬふりをした。そもそも、男なんてみんな心の奥底では女を凌辱することしか考えていない。どんなに取り繕ったってわたしにはわかっている。わたしは二人の男にレイプされた。それ以外でも、母の男達やバイト先の上司もわたしをいやらしい目で見た。高校時代は何度も痴漢にあった。でもその都度我慢していた。今思えばなんて初心うぶだったのだろう。早苗の行為には目から鱗だったが、理央はあのリーマンが可哀そうとは思わなかった。

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