2-4 現場
現着すると、若い制服警官が、ドラマでよく見る黄色のテープを張り巡らしているとろだった。
彼は海渡達がスバルから降りると同時に敬礼し「ご苦労様です」そう言って走り寄ってきた「自分は駅前交番の新城と申します」
「本部の北守だ」
北守がバッジをみせる。
「ご苦労様です」
新城が再び北守に敬礼してから、いぶかしげに海渡を見やる。
もう慣れっこだった。見た目童顔で、若い海渡はどこに行っても、そういう目でみられる。胸ポケットからバッジを出して彼に見せる。
「し、失礼しました!」
若い制服警官は、まるで飛び跳ねたエビのように一歩下がり、直立不動で敬礼した。
玄関で帽子、手袋、スリッパなどを身に着けていると、さっきとは別の制服警官が現れた。
「ご苦労様です」駅前交番の高川です。「通報者は現在、班長が保護しています」
「保護?」
「はい、この家のお嬢さんで、かなり動揺していましたので班長が付き添っています。二階の突き当りの部屋です」
そう言って高川が二人をリビングに案内した。
「君達が最初?」北守が尋ねる。
「はい。我々が現着したとき、この家のお嬢さんが居間に立っていました。彼女が通報者です。現場は保持しています」
「ご苦労」
北守がそう言うと、高川は敬礼し、部屋を出て行った。
「よし! 一番乗りだ!」
そう言って北守が部屋中をゆっくりと見渡す「連中が来る前に、ゆっくり観察しておけ」
「はい」
「何でもいい。とにかく、よく観察するんだ」
「はい」
「そして何かおかしいことがあるか? 矛盾点はないか? 考えながら観察しろ」
「はい」
現場は、海渡の想像を遥かに凌駕していた。殺人事件と聞いて、喜んだ自分に罰を与えてやりたい。
部屋は尿と汚物の臭いで充満していた。決して耐えられない臭いではなかったが、海渡はえずいてしまった。
急いで窓を開けようとした時、北守に強く腕をつかまれた。
そうだ! 現場保持……鑑識が到着して写真を撮るまでは窓も開けられない。
「すみません……」
海渡は自分が素人であることを認識させられた。
遺体はダイニングテーブルに向かい合って座っていた。
二人とも、椅子に座った状態で拘束されていた。拘束に使用されているのは、銀色のテープ、たぶんダクトテープだろう。ダクトテープはそれぞれの口にも貼られていた。
二人とも、まったく同じ様相で拘束されている。股を開いて、椅子にふんぞり返っているようなポーズである。
女性は全裸で、男性はパジャマ姿だ。
女性の胸部からはおびただしい量の出血がみられる。
まるでホラー映画の一シーンを見ているようである。
男性の額にはナイフで切られたと思われる傷があり、女性の顔は腫れあがっていた。いずれにしろ、どちらも身動き取れない状態で刺されたのだろう。
いや、刺し傷があるのは女性のほうだけだ。男性はみたところ額にわずかな切り傷があるだけである。どういう事だ?
その時、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。その不協和音からして二台や三台ではなさそうだ。
「お前、早く通報者に話を聞いてこい! もう連中が来ちまった」
北守がそう言って上を指さす。
「え? 自分が?」
「ああ、お前のほうが適任だ、二階の奥。俺はもう少し確認することがある」
「あ、はい」
「ぼやぼやするな! 俺がここで足止めできるのはせいぜい五分だ! 急げ!」
階段をかけ上がると、奥のドアの前に制服警官が立っていた。海渡がバッジを見せると彼は敬礼し「ご苦労様です」そう言ってから、ドアをノックした。
部屋の中には二人の女性がいた。通報者と思われる若い女性と警察官。海渡がバッジをみせると、女性警官が立ち上がって自己紹介した「私は駅前派出所の班長、近藤です」
「こちらが通報者ですね」
「はい。かなり動揺していましたが、少し落ち着いてきましたので、もう大丈夫だと思います。彼女が家に帰ってきたとき、玄関の鍵は開いていたそうです」
「わかりました。代わります」
「はい。お願いします」
そう言うと近藤は敬礼して出て行った。
女性はベッドに座って、泣いていた。
「自分は海渡と申します。とてもお辛いとは思うけれど、いくつか教えてください」
女性は目を真っ赤にして泣きはらしていた。小刻みに身体が震えている。可愛い子だ。薄い藤色のコート、首にはベージュのマフラー。ショックで上着も脱げていないのだろう。コートとマフラー、そして彼女の顔にも血の跡がついている。
「あなたが第一発見者ですか?」
「はい」
小さく彼女が頷く。
「時間は覚えていますか?」
「すぐ……110番通報しました」
「その……殺されているのは」
「父と母です……」
「貴女のお名前と年齢を教えてください」
「
「ご両親とは同居ですか?」
「はい」
「他にどなたか同居の方はいらっしゃいますか?」
「兄がいます……」
「お兄さんは? 仕事ですか?」
「いえ……兄は家を空けることが多く、いつ帰ってくるかわかりません」
「今、どちらにいるかわかりませんか? 連絡は?」
「わかりません。まだ連絡はしていません」
「遺体に触れましたか?」
「はい」
「お二人ともに?」
「はい……抱きしめました」
「動かしたりは?」
「していません。抱きしめただけです。動かしてもいないし、他には何も触っていません」
「本当に?」
「私、医学生なんです。法医学の授業も受けたばかりです……でも……抱きしめてしまいました……ごめんなさい……」
「そうだったんですか」
「死んでいました」
彼女が声を上げて泣き始めた。
「鍵は、玄関の鍵は閉まっていたのですか?」
「はい。閉まっていました」
「どこか窓が開いてたとか、壊されていたとかは?」
「なかったと聞きました」
「鍵は何本。だれが持っていますか?」
「家族全員と予備が一本」
「予備の鍵は確認しましたか?」
「はい。さっき警察の方が確認してくれました……ちゃんとありました」
「ご両親……この事件に心当たりはありますか? 怪しい人物とか」
「わかりません……」
「この後、ここには大勢の刑事がやってきます。中には威圧的な人もいるでしょう」
「…………」
春菜は下を向いてだまっている。
「お父さん、お母さんは勿論、お兄さんや貴女の交友関係や人柄まで調べられます」
「でしょうね……」
「勿論、言いたくない事は言わなくて結構です。ですが……いやでも……」
海渡は知っていた。特に大きな事件や、殺人事件の場合、事件解決という大義名分の元、被害者やその家族は詳細なプライバシーまで、とことん調べられる。
「もし、今話しておきたい事があったら、私に言ってください。私はあなたの味方です」
そう言って海渡は、春菜に飴を渡した。
「父は……私はよく知りませんが、いわゆるその筋の人との付き合いがあったようです……母は派手で、他人からは……あまり良いイメージでは無いと思います……」
春菜が涙をぬぐって続ける「でも私にとっては、とても大切な両親です」
「わかります……」
「私の本当の父は私が小学二年生の時、家を出ていきました。母は五年生の時、亡くなりました。虐待を受けていたので、悲しくはありませんでした」
そう言うと春菜は立ち上がって、マフラーを外し、コートを脱いだ。
「私は施設で暮らすことになりましが、親元にいる時よりずっと幸せでした。これは火傷の跡です。小学生の時、母の愛人から……」
春菜が髪をかき上げ、海渡にうなじを見せる。
「親戚もなく生意気で、里親も決まらなかった私は、中学を卒業したら働くつもりでした……ですが、中学三年の時、今の両親に引き取ってもらえたんです」
「そんなことが……」
春菜の意外な過去に海渡は驚いた。
「勉強は嫌いじゃありませんでした。勉強が将来の人生を左右する事も、うすうす感じていました。ですが、私にはそのチャンスは無いものとあきらめていたのです」
春菜は涙をぬぐってから続けた「田之上家の養女となった私は、高校に通わせてもらい、今はこうして医大生です。他人が何と言おうと、私は両親を愛しています。犯人を……許さない」
そう言うと春菜は泣き崩れた。
「話してくれてありがとうございます」
海渡がそういった時、部屋のドアがノックもせずに開けられた。
「おいおいおいおい。頼みますよほんとに、何やってんですか勝手に! いくら本部のキャリア様だからって、われわれをコケにしてもらっちゃ困ります」
いかにも、といういかつい中年刑事が、そう言って海渡の肩を叩き、廊下の方に親指を指し伸ばした。出ていけという事だろう。
てめ! クラすぞ! このハゲ! 海渡は心の中でそう叫びながら、名刺を春菜に渡した。
「おいおい、言うそばからなに余計な事……」
中年刑事はそう言ったが、春菜は海渡の名刺を握りしめて頭を下げた。
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