2-3 巡査部長と警部補 ②

「その警部補殿っていうのも止めてもらえませんか? 海渡で結構です」

 海渡が北守の目を見て行った。

「俺は前回の昇進試験に落ちた……お前らとは人種が違う……一応……」

 チッ 海渡は心の中で舌打ちした。

「一応ですよね、自分でもわかっていますよ。北守さんにとって自分は、ただのお荷物だってことくらい。でもしょうがないじゃないですか……課長から組めって言われたんですから……仲良くしてくれなくてもいいですから、普通に接してくださいよ」

 そう言って、海渡が頭を下げる。

「なんかお前は……違うみたいだな」

「え? 何が違うんですか?」

「以前、所轄にいた時に担当した新人キャリアは、それはそれは俺様だった。館山にいたときの署長も俺様キャリアだった」

 北守がため息をついてから続けた「だが、俺は彼らに敵対意識を持っているわけではない。お前もそうだが、東大や京大というトップの大学を出て、更に国家公務員試験にパスし、警察庁に採用されたエリート。そこまでの努力は想像を絶するものだろう。俺なんて三流大の出だが、それでも泣きながら受験勉強をしたもんだ……おまえらが俺様になっても仕方ないと思っている。だがな……好きにはなれない」

「北守さん……ありがとうございます」

 彼がここまで言ってくれたので、自分も話しておこうと海渡は思った。

「関係ない話ですが―警察でこの話をするのは初めてですが、実は自分、中学時代はグレていました。三年生の時、タイマン張って前歯を折られた事があります」

 海渡が『イー』して前歯を見せる。「これ二本、インプラントなんです」

 北守が驚いた顔で海渡を見つめる。

「北守さん、前、前見てください」

「すまん。――で?」

「で?」海渡が聞き返す。

「勝ったのか? 負けたのか? そのタイマン」

 そう聞いた北守の顔は、海渡以外の同僚に見せるそれだった。

「負けました。圧倒的な力の差ってやつです。しかも自分は卑怯な手を使ったのに負けたんです」

 そう言って海渡が目を閉じる。

「卑怯?」

「はい。卑怯です。当時自分は、かなり調子に乗っていて、数人の仲間、というか舎弟がいました。他校にも数人」

「他校にもか? そりゃまた……」

 もう一度、北守が海渡の顔をまじまじと覗き込む。

「はい。自分、当時はそこそこ有名で、他校にもファン的な……まあ味方? 的なのが何人かいたんです」

「マジか……人は見かけによらないな……」そう言って北守が眼鏡を押し上げる。

「はい。で、他校の仲間、というかファンが『そいつにクラされた』と、自分に言いつけにきたんです」

「クラサレタ?」

「ああ、地元の方言です。クラされたってのは、まあ、暴力でやられたってことです。ブッ飛ばされたって言ったほうが分かりやすいですね」

「方言って、お前たしか自己紹介で、東京出身って言ってなかったか?」

「はい。江東区ですが、自分の小中学校時代は父親が転勤族で、大阪、広島、長野と数年ごとに点々としていました」

「そりゃ大変だったな。で?」

「で?」

「クラサレタ後だ」

「あ、はい。キレた自分はタイマンを条件にそいつを呼び出し、五人程で袋にしました」

「それじゃタイマンじゃないだろ?」

「はい。自分は最初からそうするつもりでした。噂からして、勝ち目がないのはわかっていたんで」

「そりゃまた……」

「でしょ? メッチャ卑怯ですよね。でも帰ろうとした時、そいつがよろよろと立ち上がり、自分にタイマンを求めてきました。で、ボロボロのそいつに自分は負けました」

「まあ、たしかに卑怯っちゃ卑怯だが、若いって事だな。お互い様だったんじゃないか?」

「いえ、違います。そいつは正義の為、わかりやすく言うと、理不尽な目にあわされた見ず知らずの他人のために喧嘩をしていたんです……でも自分は、自己の優越と利益の為に暴力を使っていました」

「お前はその昔、青春ドラマの悪役だったって事か」

「はい。ガチの悪役です」

 車は大網街道を右折し、市原方面に向かった。

「どこに行くんですか?」

「大森台を抜けて、緑署まで」

「北守さん。やっと、行先教えてくれましたね」

 海渡は心の中でガッツポーズをした。

「で、タイマン張ったそいつと友情でも芽生えたか?」

「あ、いえ、自分、そのすぐ後に引っ越しまして―なのでそいつとは、そのタイマンが最初で最後でした――学校も違ったし、本名も知りません。たしかクモって呼ばれていました」

 そういえば、あいつ、鞄にスパイダーマンのフィギュアを着けていたっけ……どうでもいい記憶がよみがえってくる。

「でもちょっと気になって、東京に引っ越してから元舎弟に、そいつのこと聞いてみたんですが、そいつも引っ越したみたいで、行先はわかりませんでした」

「今は個人情報保護の時代だからな。俺の学生時代は、学校のしおりに親の名前や職業、住所電話番号まで載っていたもんだ」

「今じゃ考えられませんね―自分が偉くなったらあのクモ、特権使って探してみようと思っています。」

「あ?」

 北守がまた海渡の方に振り向く。

「北守さん。ここ、笑うとこです」

「それにしても、今時まだタイマン張る奴なんていたんだな」

「それだけ田舎だったって事ですかね」

「――お前、なんで警察官になろうと思った?」

「恥ずかしいですが、正義の側に立ちたいと思ったんです」

「…………」

「てのは嘘で、踊る大捜査線。が自分の憧れでした」

「踊る? あの踊る? 青島刑事の?」北守が聞き返す。

「はい。再放送で見てはまりました。自分は室井管理官派ですが」

「はは、だろうな」

 その時、スピーカーから緊急無線が入ってきた。

「本部より緊急入電。蘇我そが警察署管内で殺人事件発生。現場は―マルガイは―」

「まじか! すぐそこだ!」

 北守の雰囲気が一気に変わった。

「連中が押し寄せて来る前に乗り込むぞ!」

「はい! て、連中って誰ですか?」

「所轄だよ! あそこの連中は特に本部を毛嫌いしているから厄介だ」

 不謹慎ではあったが、海渡は高揚した。この状況を待ち望んでいたのだ。殺人の現場など誰でもそう経験できるものではない。

 二人の乗ったスバルS4はサイレンの大音量と共に、けたたましくホイルスピンをさせ、現場に向かってUターンした。


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