2-2 巡査部長と警部補 ①

「あ、自分、運転します」

 海渡かいとが配車係の佐久間からスバルのキーを受け取ろうとした時、北守きたもりが横から手を出してそれを掴み取り、すぐさま歩いて行ってしまった。歩くというよりは小走りに近い速さだ。海渡は佐久間に一礼し、北守の後を追った。

「ちょっ、北守さん、待ってくださいよ」

 海渡が助手席に滑り込み、シートベルトをする前に車は動き出した。

「どちらに行くのですか?」

「パトロール」

 パトロールって―んなことはわかってんだよ。どこに行くかって聞いてんだろが! この眼鏡! 海渡は心の中で叫んだ。

車は港周辺を巡回してから、大網街道に入った。

 もう三十分以上も無言である。海渡が北守と組んで一週間経つが、この人は何も語らない。仕事以外の事では、こちらから話しかけても何も答えてくれないし、もちろん彼から話しかけてくることもない。ただ単にシャイな人なのか? それとも嫌われているのか? 考えるべくもなく後者である事は火を見るよりも明らかだ。

「飴、舐めます?」

 そう言って海渡が飴玉をさしだす「どっちがいいですか? レモンかマスカット」

「いらんわ! ……いりませんよ」

「しかし、露骨に機嫌悪いですよね。てか、その敬語やめてもらえませんか? ほんとやりづらいので」

 北守巡査部長、この人はやり手で検挙率も異常に高い。それ故三年前、当時、所轄の一巡査部長であった彼が、県警本部の刑事部に抜擢されたのだ。若干気難しいところはあるが、面倒見がよく、みんなから北さんと呼ばれている。

 本部長からはそう説明を受けたが……

 それにしても、この男は一向に心を開いてくれない。いわゆる頑固オヤジだ。四十一歳という年齢がオヤジかどうかわからないが、海渡にとってはオヤジである。

 海渡はまだ二十三歳であるが、キャリアゆえ現在の階級は北守より上の警部補。そしてしばらくすれば自動的に警部に昇進する事が約束されている。

 北守巡査部長にとって海渡は一回り半も年下の上司。という事になるが、実際には何もわからない、使えない新人であり、お荷物以外の何物でもない。でもそんなことは本人が一番わかっていることである。

 警察庁に採用され、警察大学校を出たばかりの新人キャリアが現場に配属されるのは、一応、何事も経験。という名目がついてはいるが、実際には建前上そうしているだけのきらいがある。

 現実には一年にも満たない研修で、現場警察官の何がわかるわけでもなく、新人キャリアを押し付けられた現場は迷惑でしかない。ノンキャリだと署長クラスでさえ、将来の上司、に媚びへつらうのである。だが、そんな事はわかっている。海渡はそれをわかった上で経験したいと思っているの

だ。短い時間ではあるが、お互いを尊重し仲良くやっていきたい。本当にそう思っている。だがこのオヤジときたら……

「警部補殿はやはり、東大ですか?」

 場の空気に耐え切れなくなったのか、いきなり北守が口を開いた。

 きたよ、この質問。もう何回も経験したやり取りだ。まあそれでも仕事以外の事で彼が口をきいてくれたのは一歩前進したのかもしれない。

「いえ、自分は京大です」

 いろいろ付け加える事はしなかった。それがここ数か月で学んだ唯一の事と言っても過言ではない。

 東大受験はいまいち自信が無かったとか、京都に住んでみたかったとか、好きな作家さんが京大出身だったとか、私立は学費的に厳しかったとか……どれも本当のことだが、相手の反応はたいてい同じだった。別に自慢しているわけではないが、そうとられてしまうという事が分かったのである。

 高校時代から、海渡は警察官になろうと思っていた。憧れたのは昔の刑事ドラマ、踊る大捜査線。

 それは単なる憧れではなく、本当の正義を実践したいと思ったからだ。その為にはいい大学を出てキャリアになって上に立たなければと思った。だが、その考えは大学に入ったとたん燃え尽きてしまった。正直今、そんなことはどうでもいい。

 ではなぜ警察官僚という道を選んだのか? 他になにも思いつかなかったから……だ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る