2-1 キャリア

「ほんとにやって無いって言ってんだろ! おい! ふざけんな!」

 上総北かずさきた警察署、中央玄関の真ん中で、スーツ姿の中年男が制服警官二人に両腕をつかまれてわめいている。

「放せよ! お前らほんと訴えるからな!」

「お前、証拠上がってるんだから大人しくしろ!」

そう言って私服の捜査員がスーツ男の目の前にスマホをかざす。

「いや、だから! それ、やらせだって言ってんだろ! 俺ははめられたんだよ!」

「わかったわかった、話聞いてやるから大人しくしろ!」

「だから、弁護士呼べ!」

 署内中に聞こえるほどの大声で、男は怒鳴り散らした。


「何があったのですか?」

 海渡かいとが、野次馬に来ていた生安の女性職員に聞いた。

「なんか痴漢みたいですよ」

「痴漢?」

「常習だって、元々生安がマークしていた男らしいですよ」

「へえ~」


「海渡! ここにいたのか、後で俺の部屋に来い」

「あ、はい。了解しました」


 海渡は署長室の前に立ち、他の部屋より少しだけ立派なドアをノックした。

「入れ」

「失礼します」

 一礼して、部屋にはいる。

「まあ楽にしろ」

 上総北署の署長は梓川健吾あずさがわけんご警視。若干三十二歳、キャリアの中でもエリート中のエリートである彼は、この若さで一警察署の署長である。

 現場の警察官にとって三十二歳という年齢は、まだまだ駆け出しの新人という扱いである。四十でやっと一人前とする考え方もある。ノンキャリの場合、三十二歳という年齢は巡査か巡査長、どんなに頑張っても巡査部長である。そんなわけで、所轄におけるキャリア署長に対する風当たりは想像に難しくない。

「海渡、そこに座ってまあ楽にしてくれ」

 梓川が海渡を呼び捨てにするのは、この空間の中にあって唯一、気を許せる戦友だからだ。勿論、海渡もそれに気づいている。

「そういえば署長、さっきの騒ぎ、あれ、なんですか? 痴漢とか言ってましたが」

「ああ、あれな、総武線での常習犯で、生活安全課が目を着けていた男みたいだな」

「現行犯? ですよね」

「だろうな」

「だろうなって」海渡が聞き返す。

「まあ、俺にはあまり詳しいことは教えてもらえない……結果の報告をうけるだけだ」

「そんな……」

「それより、総武線はおかしな輩が多いみたいだから、お前も気をつけろよ。て、お前は大丈夫か、たしか車通勤だったな」

「はい。そもそも自分は電車嫌いなので、もっぱら車です」

「車か、そのほうが安全だな。俺が電車で通っていた頃は、片手でつり革につかまって、もう片手にはバックか文庫本を必ず持っていたよ。仮に無実でも、痴漢ってのは間違われただけでも、下手したら人生終わるからな」

「男は辛いっすね」

「とにかく満員電車には乗っちゃだめだ。リスクしかない」

 そう言って梓川が頷く。

「まあでも、痴漢冤罪は絶対ダメですが、ほんとにやってる奴は死んでもかまわないって思いますけどね」

「はは、警察官としてその言葉は心にしまっておけ」

 ブンブンブンパラパラパラと暴走族が通り、すぐさまサイレンの音が鳴り響く。その爆音とサイレンの音で一時会話が中断した。

「千葉ってもんだろ」

 梓川が立ち上がって窓の外を覗く「ここらではまあ、半分日常化したイベントだ。あいつら、お前とたいして歳かわらないぞ」

 梓川が窓の外に向けて顎をしゃくる。

「ですね。で、署長、御用というのは?」

「そうだった、お前、来週から本部に移動だ」

「え? 移動ってまだ自分ここに来たばかりですが?」

「お前、上から目をつけられたのかもな」

「え?」

「てのは冗談で県警本部、刑事部での研修だ。お前希望していただろ?」

「はい」

「少し俺のコネを使って、お前を推薦したらOKがでた」

「ありがとうございます」

「しかしお前も物好きだな」

「まあ自分、一度は経験しておきたいんで」

「俺もそんな時期あったなあ」

「てか、署長。いいんですか? 自分がいなくなっても泣かずにやっていけますか?」

「海渡、言うようになったな。心配するな、俺は後半年で本庁に戻る。そしたらもう現場とはオサラバさ。あと半年の我慢。どうってことはない」

「それはおめでとうございます」

「本音はお前に対する貸しだ。将来の為の地盤は今からってな」

「了解です。いずれ借りはお返しします」


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