真奈美は東京に行って、歌の専門学校に通いながら、事務所に勧められたオーディションを受けていた。

最初は書類で落とされることも多かったが、1年もするとオーディションの最終まで残ることが多くなった。事務所の後押しもあって、少しずつイベントの前座でライブに出れるようになったり、YouTubeの動画でも登録者が増えるなど順調に進んできた。

順調にいくようになるともちろんそれを妬む人も出てくる。

DMやコメントでの誹謗中傷が目につくようになってきた。

でも真奈美は全く気にしていなかった。もちろん、気分いいものではないが、人気がでればそうなることは予測できていたし、それだけ自分に魅力があるのだとポジティブに考えるようにしていた。そして何より、支えてくれた友人の存在が大きかった。

専門学校でできた友人で、いつもお互いの愚痴を言いあったり、相談したり、同じ夢をもったかけがえのない存在だった。

ある日TVの企画で新人オーディションが行われることとなり、真奈美と友人は応募した。

書類審査も無事に2人とも合格し、1次審査、2次審査と順調に進んでいった。

次の3次審査が通れば最終審査となる。もちろん最終審査も通って、デビューするのが一番ではあるのだが、最終審査はTVで放映されることになるので、例え最終審査で落ちたとしても自分を売り込むチャンスになる。そのため3次審査に是が非でも通りたいと真奈美は気合が入っていた。3次審査の朝に友人から電話があり、審査の前に会うことになった。きっと友人も気合が入って緊張しているのだろうと、真奈美はお互い頑張ろうというつもりで待ち合わせのカフェに向かった。

カフェにつくと友人はすでに座っていて、なんだかいつもとは違う雰囲気だった。

緊張のせいかと思って他愛のない話をするが、友人の返答は曖昧でいつもと明らかに違う。

もうそろそろ審査会場に向かわなければいけない時間になり、「もう行こう」と真奈美が声をかけると、友人が「お願いがあるの」と言い始めた。

友人のお願いとは、今回のオーディションを辞退してくれというものだった。

「周りのレベルを見ても、真奈美がこのままだと最終に残ると思うの。真奈美さえ辞退してくれれば、私はきっと最終に残れる」

「そんな、それはできないよ。私だって、ここまで努力してきたし」

「今回くらいいいじゃない、いつも真奈美は最終まで残って・・・私は書類で落とされてばっかり、いつも歌すら聞いてもらえない・・・今回初めてここまで残れたの」

「そういわれても・・」

「真奈美なら今回のオーディションでダメでも次の何かでデビューできるでしょ。私は今回にかけてるの」

「私だってこれにかけてるよ。それにそんな私が辞退して勝ち残ってもそんなの意味ないじゃない」

「なんだっていいのよ!残れれば」

友人の聞いたことのない声に、思わず固まってしまう。

「ねぇ・・どうしたの?おかしいよ。いつも私のこと応援してくれてたじゃない」

「ばっかじゃないの・・・応援なんてしてないわよ。あんたにいつもひっどいDM来てたでしょ、あれ私だよ?」

「う、嘘・・・」

「あーもう面倒くさい。あんたが学校の中で一番あんたが才能ありそうだったから、仲いい振りしてただけ。友達なんて思ってないから」

友人はそういうと席をたった。

そこから真奈美は何とか心を落ち着けつつ、審査会場に向かった。

「それでは、伊藤真奈美さん。どうぞ」

審査員に呼ばれて、ステージに立つ。

イントロが流れてくるが頭の中で不協和音になって響く。

声が、言葉が出ない。

真奈美はそのまま過呼吸で倒れてしまった。

それからしばらく経っても、歌が歌えるようにはならなかった。

歌おうとすると言葉に詰まり、何も声が出ない。

何度も何度も友人の友達なんて思ってないという言葉が蘇る。

一緒にカラオケにいったこと、オーディションに落ちて一緒に泣いたこと、お泊り会をしてふざけあったこと、そんなことが思い出されて涙が出るだけだ。

それが原因で事務所を辞めて1からの出直しになっても、それでも歌手になるといって地元を出た手前アルバイトに行きながら病人に通いなんとか必死にやっていた。

それを見かねた母親が地元に引っ張って帰ってきたのだった。


「この話はね、こっちに帰ってきてあの子が一度お酒を飲むことがあってね。お酒なんて飲むような子じゃないからすっかり酔って、泣きながら話してくれたのよ。きっと本人は話したことも覚えてないでしょうね」

母親が寂しそうに目を伏せてコーヒーをスプーンでかき混ぜている。

「もうなんだか意地になっているだけのような気がしてね。あんなに歌が好きな子だったのに、全然楽しそうじゃないんだもの。もう十分頑張ったんじゃないかと私は思ってるんだけど」

「真奈美は、まだ頑張りたいんですかね」

「どうなのかしらね。止め時を待っているような気もするわ、自分でやめるって言えないだけでね」

その日、健吾は家に帰って聞いた話を整理したが、どうすべきか迷っていた。

もう歌をやめるように言うべきなのか、

歌が歌えるように後押しをすべきなのか、

健吾は結論がでないまま、気づいたら眠っていた。

翌日は珍しく5時に目が覚めた。再度寝ようとしたが、飼い犬のゴンが散歩の催促をしてきたので、散歩に出かけることにした。

散歩していると、海が見えてきた。防波堤に誰かがいるのが見える。

(真奈美だ)

真奈美に気づかれないようにゴンを抱き上げると、少し近くまで行って様子をうかがった。

真奈美の口が必死に動いているのが見える。

(歌おうとしている)

健吾は、佐藤の家に走り出した。

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