第5話
半ば放心しながら、午後の授業をなんとか乗り切ったあと、一日の終わりの諸連絡。ほとんどの人が惰性で先生の話を聞き流しているなか、僕も同様にして過ごしていると、唐突に先生から大役を任されてしまった。
「実は今日、仕分けを手伝ってほしいプリントがあるんだ。今日の日直は、連城と厚木だな。二人とも、放課後に用事はあるか?」
「いや、ないです」
連城さんが即答する。一瞬戸惑ってしまったものの、僕もすぐに「僕もないです」と返した。
「そうか。じゃあ頼んだぞ。急ぐ必要はないからな」
先生がにこやかな笑顔を浮かべると、そう付け足した。
プリントの仕分け。要するに、雑用。
思わずため息をつきそうになるのを、なんとかして踏みとどまる。本当は、今日は早くやることを済ませて寝るつもりだった。だが、さすがに早く寝たいので帰ります、というのは気が引けたため、言い出すことができなかった。
雑用自体は難しいことではないのだが、そのせいで家に変えるのが遅くなってしまうのは必然だった。
僕は視線を動かし、そっと連城さんを見やる。僕と同様に面倒事を押し付けられたはずの彼女は、僕とは違い嫌そうな顔一つしていなかった。そればかりか、こころなしか楽しげにさえ見える。
さすが連城さんだな、と実感しながら、僕は今日最後の挨拶を口ずさんだ。
先生が去り、教室がにわかに騒がしくなる。うんざりしながら席を立つと、涼介がこちらに歩み寄ってきた。
「奏多。俺、今日は先に帰ることにするわ」
「え? なんで」
「待たせてるって意識させるのも悪いしな。まあそういうことだ」
どういうことなんだよ、と聞こうとするも、その前に背を向けられてしまう。涼介はそれだけ告げると、そそくさとその場を去ってしまった。
急に突き放されてしまい、訳がわからなくなる。
気がつけばクラスメイトたちの大半もいなくなり、教室は閑散としていた。
一人手持ち無沙汰になってしまい、どうするべきかと途方に暮れる。すると、腕いっぱいにプリントを抱えた連城さんが教室に入ってきた。どうやら僕が涼介と話している間に持ってきてくれたらしい。
僕は慌てて連城さんに駆け寄り、プリントを受け取った。ずっしりとした紙の重みが手に伝わってくる。
さすがに申し訳無さが先に立ち、「ごめん、ありがと」と反射的に感謝の意を示していた。
「いやいや、大丈夫だよ。気にしないで」
連城さんはひらひらと手を振ると、柔らかな口調で言った。僕もこれ以上は不毛なやり取りになるだけだろうと見切りをつけ、
プリントを種類別に分けて机の上に並べる。僕と連城はお互いに向かい合うようにして座ると、作業を開始した。
黙々と、プリントをつまみとっては数枚の束にしてまとめる。造作もないことだ。つまんではまとめて。つまんではまとめて……。
もともと僕は作業能率が良く、連城さんも決して作業が遅い方ではなかった。そのため、順調に作業は進んでいった。この調子なら、帰宅時間に大きな影響もでないだろう。
予定通りに事が運びそうで、ほっと胸をなでおろす。
だが、事はそう上手くは運ばなかった。
「ねえ、厚木くん。ちょっと休憩しない?」
「……え?」
「ほら、疲れてきたしさ。そろそろ良い頃合いなんじゃないかな」
疲れてきたって……まだ三十分も経っていないんだけど。
僕が少々呆れていると、連城さんは席を立ち、軽やかな足取りで自分の席へと向かっていった。
連城さんは自席に腰掛けると、サイダーのボトルを取り出し勢いよく蓋を開けた。プシュ、と小気味いい音がなる。連城さんはサイダーを一口飲むと、満足げに微笑んだ。
僕はその様子を眺めながら、ただ作業を続けていた。
もともと他人とかかわらない僕と、マイペースなところがある連城さん。僕たちはお互いになにも話さず、各々のやりたいことをやっていた。静かな教室に、紙がこすれる音だけが響いていた。
しばらくその状態が続き、プリントの束が溜まってきた頃。ふと、紙がこすれる音の中に、かすかな呼吸音が交じっていることに気がついた。
凝り固まった首を回しながら顔を上げると、連城さんが机に伏せ、寝息を立てているのが見えた。
夕日に照らされ、連城さんの顔は
僕はその様子を見届けると、ぐっと伸びをする。なんだか連城さんを見ていると、僕まで眠気を催してきてしまった。
ぽかぽかと居眠りにはちょうどいい室温に、ほどよい疲労。早いことやらなければならないことを終わらせたほうがいいと頭ではわかっていても、本能的な欲求には逆らえなかった。
プリントを押しのけ、机の上にスペースをつくる。
連城さんが寝ているんだから、いいんじゃないか。先生はゆっくりでいいって言ってたし。早く帰りたい理由も寝るためなんだから、むしろこのほうが早くファーレに会えるかもしれないし良策だろ。などと適当な理屈をこね回しながら、僕は机の上に体を預けた。
ふわふわと浮かんでいるような心地になり、シュワシュワとした感覚を覚える。
瞬く間に、僕の意識は海の中へと落ちていった。
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