第4話

 夢の内容が現実に影響することは、これまでにも何度かあった。それでも、ここまで影響を受けたのは、今回が初めてのことであった。


「……奏多、昨日徹夜しただろ」

「してない」

「いや、でも」

「してない」


 昼休み。適当に涼介と話しながら弁当にありついていると、涼介が心配そうに僕の顔を覗き込んできた。しっかりと睡眠をとっているのに、睡眠不足を疑われるとは。

 夢のせいで疲れるなんて、皮肉が効いている。


「……ちょっと寝覚めが悪くてさ。そのせいで調子が悪いんだと思う」

「そっか」


 涼介はすんなりと僕の言い訳を聞き流すと、弁当に視線を戻した。僕は機械的に弁当を口に運びながら、昨夜のことをまた思い返していた。

 ファーレは僕に、現実を見ろ、と伝えてきた。それは造作もないことのように見えて、想像以上に厳しい。

 僕はぼんやりと遠くを見るように、周りで楽しそうにはしゃぐクラスメイトたちを見やった。

 昼休みであることが影響しているのだろう、様々な場所でそれぞれが、会話に花を咲かせている。

 会話をしているという点においては、僕と涼介でも同じことが言えそうだけれど、そうではない。

 僕たちがしているのは世間話。対して多数のクラスメイトたちがしているのは恋愛話――いわゆる恋バナというやつだった。

 恋バナに交ざった経験は、僕にはない。

 僕はこれまで好きになった人が一人もいなかった上に、相談を受けて適切な返しをすることができない。それゆえ恋愛絡みの話をする機会が訪れなかったのだ。

 僕としては別に恋バナをしたいわけではないので、このままでも構わない。仮に交じったとしても、ファーレのことを表沙汰にはしたくないから、どうせなにも話せないだろうし。周りから見ているくらいが僕にはちょうどよかった。

 呆然と聞こえてくる話し声に耳を澄ましていると、目ざとく涼介が反応してきた。


「なんだ? 奏多、恋バナしたいのか?」

「いいや、まったく」

「そうか……?」


 疑わしげに涼介は僕の顔を覗き込んでくる。珍しく興味津々といった目付きをした涼介は、しばらく一人でぶつふつと何やら呟いていた。


「……もしかして奏多、好きな人でもできたのか?」


 そして発せられた答えに、僕は思わず吹き出しそうになってしまった。あまりに唐突すぎて、理解が追いつかない。

 慌てて涼介は弁明を挟んできた。


「いやな、寝不足気味だったし、いきなり物思いにふけりだすし。恋の病にでも悩まされているのかなぁ、と」


 普段涼介は必要以上に僕のテリトリーに入ってこない。それなのにやけに積極的に絡んでくるということは、僕は僕が思っているよりも遥かに心配されるような状態なのかもしれない。

 気を引き締め、涼介に向き直る。


「涼介、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい」

「もちろん。どうした?」


 涼介相手に相談なんて、人生で初めてのことだった。面談に望んでいるかのように体が緊張している。

 涼介なら信頼できるため、多少無理なシチュエーションでも深掘りはしてこないだろうし、下手に口外することもしないだろう。ゆえにファーレとのあれこれを一般化して伝えれば、多少のアドバイスを得られるかもしれない、と考えていた。

 ただ、今はファーレとの関係に兆しを見いだせるような何かが欲しかった。

 深く息を吸い、僕は慎重に言葉を選びながら、質問を練り上げた。


「好きになるって、どういうことだと思う」

「まるで禅問答だな」


 涼介は少し眉間にシワを寄せると、おどけたように呟いた。僕は「涼介なりの答えでいいから」とフォローを入れると、涼介の返事を待った。クラスの喧騒が大きく聞こえる。

 しばらく涼介は腕組みをして黙り込むと、僕に質問を投げかけてきた。


「奏多は、誰かを好きになりたいのか?」

「いや。多分もうすでに相手のことが好き、なんだと思うんだよ。でも当の本人に、この感情をやんわりと否定されたというか」

「……あぁ、なるほどね」


 涼介は虚空に視線を彷徨わせながら、僕の話を聞いていた。やがて意を決したように顔を上げると、その一言を僕に告げた。


「それはな、モラトリアムってやつだ」

「……は?」

「恋のモラトリアム。奏多はその子のことが好きだと思ってても、実際のところはまだそうじゃないんだろ。つまり今は、恋の準備期間ってことだ」


 本当に好きなんだけどな、と返しそうになったが、ふと思いとどまった。確かに恋していると思っていたが、他でもないファーレが――僕の頭の中の存在が違うと訴えているのだ。

 恋していると思っていながら、はたまた恋はしていないとも思っている。どっちつかずの矛盾した思考。

 その事に気がついてしまった後では、そう易々やすやすと「恋している」なんて、言えなかった。

 涼介は言いたいことを言い終わったのか、満足げに微笑むと、そのまま席をたった。程なくして、予鈴が鳴り響いた。

 僕は急いで弁当を食べ終わると、次の授業の用意をする。すべてが無事終わった頃合いに、本鈴がなり、授業が始まった。

 授業中、僕の頭の中ではずっと、『モラトリアム』の六文字がぐるぐると回っていた。

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