第2話

 ファーレがいるゆえに輝いて見えた世界も所詮は夢。現実は僕を含め、輝いているものは少ない。


 夢から覚めて数時間後。朝の陽気に包まれた教室に、僕は静かに足を踏み入れた。


 誰かにおはようと言うこともなく、自席に向かう。が、自席に陣取っているクラスメイトがいて座ることができない。


 退いてほしいって伝えるのは、僕の日々の安寧が崩れる可能性があり、愚策だとわかっている。だから、一々そんなことはしない。


 僕はすっとその場を離れ、校内でも一周してこようかと踵を返す。


 その時ぐいっと強く肩を掴まれ、僕は半ば無理矢理に自席の方を向かされた。


「おーい、厚木来たからそこ退いてくれないかー?」


 耳に入ってきたのは、快活で人に嫌な気を起こさせない爽やかな声。指摘されたクラスメイトたちは「え? あぁ! ごめん、厚木!」と誤りつつその場を去った。


 声の持ち主は僕からすっと離れると、僕の正面少し右側にひょっこりと躍り出た。


「おはよ、奏多」

「……ああ、おはよう。あと、さっきはありがとう」


 僕を上手いこと助けてくれた快活な友人――涼介りょうすけは、ハハッと笑って僕の目を見た。


「いいよ、それくらいのこと。奏多をフォローするのは友人としての宿命だからな」

「宿命って、そんな大げさな」

「奏多に限ってはそうでもないと思うけどなぁ」


 半分冗談、半分呆れといった口調で、涼介は呟いた。常々自覚していることでもあったので、特に反論も抵抗もせず、「確かにな」と同意した。


 僕は昔から、自分の本音を外に出すのが苦手だった。


 人間どうしても、自分の感情を表に出さないほうがいいときがある。もちろんケースバイケースなのだけれど、僕は臨機応変に態度を使い分けることができない性分だった。


 だから、極力思ったことは表に出さない、という方向で統一していた。

 もちろん感謝や謝罪、意見を求められたときなどはそれに応えるけれど。基本的に僕は「好き」や「やめて」を口に出さなかった。


 多少不便でも、総合的に見ればこれが一番楽だから。


「それじゃ、俺ちょっと職員室に行ってくるわ。先生に呼ばれててな」

「ああ、行ってらっしゃい」

「おう!」


 僕は涼介がどこかへ去っていったのを見送ると、席について教室を見渡した。後方の席であることも相まって、クラスメイトの様子がよくわかった。


 ガヤガヤと騒がしい教室の空気に、僕は溶け込んでいない。

 朝から夜を楽しみにしながら、僕は仮眠でもファーレに会えるだろうか、なんてくだらない事を考え目を閉じようとする。


 すると目を閉じ机に伏せようとしたとき、耳馴染みのある声が聞こえた。


「おはよー」

「あっ、おはよう! 久遠くおん!」

「久遠おはよ。ってあんたまたサイダー飲んでんの?」

「好きだからねー。いつでも飲んでいたい」


 顔を上げると、ゆったりとした雰囲気をまとい、それなりに制服を着崩したクラスメイトが、他の女子たちに迎え入れられているのが見えた。久遠、と呼ばれた少女は片手に持ったサイダーのボトルを机に置くと、あっという間に会話の中心となっていった。


 普段周りに興味をほとんど持たない僕でも、彼女のことだけははっきりと覚えていた。


 連城れんじょう久遠くおん。クラスの中でも中心に近い立ち位置にいて、明るくマイペースな性格。評判はよく、色んな人と話しているのをよく見かけた。


 僕が捨てた道を進んでいる彼女のことを、僕はかなり尊敬していた。自分の意見を伝え、我を通すことは、僕には到底できない芸当だった。


 僕はしばらく連城さんのことを見ていたが、はっと気を取り直して頬杖をつき、目を閉じた。なぜか連城さんが来た今では、机に突っ伏すのはよしておこうという気がした。


 かすかな眠気に襲われ、意識がぼやける。遠くからファーレの声が聞こえる、と思ったところでチャイムが鳴り、僕は現実世界に引き戻された。


 先生が入ってきて、日直が「起立」と声を上げる。「お願いします」という声が響き渡った。


 寝ぼけているのだろうか。僕は響き渡った声の中に、ファーレがいたように思ってしまった。

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