同居人ができたら料理をすることになった


「彩音ちゃん、今日は何か予定ある?」

「いえ、何にも……」

 まあ、そんなまともには考えてないか。

「俺も予定無いからな……ああそうだ、基本的に俺のスペースには自由に入っていいよ。本とか読みたければ持ってっていいし……」

「ああ、わかりました」

 とりあえず、食べ終わったサンドイッチの袋をごみ箱に捨て、コップを軽く洗う。大きく伸びをすると、俺はPCの前に戻った。

 彩音ちゃんは自分のスペースに引き上げていく。

 俺にとっては何でもない日常だけど、ここに一人増えるだけで、こうも違うものなのか。なんかこう、部屋の中に彩りが増えたみたいな感じだ。

 俺は今、すごい幸せかもしれない。


「……彩音ちゃん、今幸せ?」

「……はい!」

 彩音ちゃんからは、満面の笑顔が帰ってきた。



 ……こんなものかな。

 一章分が書きあがったので、俺はPCの電源を切る。スマホの時計は午前11時。

 さて、昼食を調達しないといけない。

 さすがにまたコンビニ弁当、というのはどうだろう。

 俺一人ならいいんだけど、彩音ちゃんにもそれを強いるわけにはいかない。

「彩音ちゃんってさ……」

「はい?」

 彩音ちゃんの声が仕切りの向こうから聞こえる。相変わらず読書してるのだろうか。

「好きな食べ物とか、あるの?」

「うんと……ええと……」

「あ、いや、無いなら別にいいんだけど……じゃあ、普段は何を食べてたの?」

「時間無かったので、コンビニ弁当とか、カップラーメンとか……あ、和食が食べたいです」

「和食?」

「はい、コンクールとかの終わりには、いつも洋食のレストランだったので……」

 確かに、ピアノのコンサートヘ行ったら、お高く留まった衣装だから、入るとしたらフレンチの店とか、そんな感じになるのかなあ。

 改めて、彩音ちゃんの生活がピアノを中心に回ってたことを、ひしひしと感じさせる。

「……じゃあ、和食頑張ってみるよ」

 俺は、自分に言い聞かせるように家を出て行った。



 近所のスーパーに来る。正直、久しぶりだ。

 一応一人暮らしするということで、ご飯の炊き方ぐらいは母から教わってきたのだが……まともな料理というのは、ほとんどしたことがない。

 大学の近くには、そこそこ安くて上手い飯屋がいくつかあるし、レトルト食品とかを使ってれば、そこそこバリエーションも保たれる。

 しかしせっかくだから、彩音ちゃんにちゃんとした家庭料理を食べさせてあげたいという気持ちが上回る。

 俺の母は、とても上手いとまでは言えないけど、それなりに料理ができる人だ。

 おふくろの味、というのを身をもって体験してる俺には、それがない人、というのが少し可哀想にさえ思えてくる。

 ……俺は彩音ちゃんに、自信を持って「食べて」と言えるものを作れるのか?

 スーパーの入り口に、たくさんのレシピカードが並んでいる。

 『夕飯の献立におすすめ!』か……昼食前からもう夕食のことを考えるなんて、主婦の人はすごいな。

 とりあえず目についたのを数枚取っていく。

 野菜コーナーに行くと、ナス、キュウリ、トマト……夏野菜が幅を利かせている。はっきり言って、トマト買って薄く切って出すだけでもおかずになるよな……

 手元のレシピカードも参考にしつつ、料理に使えそうなのを選ぶ。

 麺コーナーに、『炒めるだけの具材つき焼きそばセット』なんてあったから、これを昼食にしてしまおうと思う。

 夕飯も見据えて、またもう何回か料理するだろうと考えたら、予想以上の出費になってしまった。



 スーパーでこんなに買うことになるとは思わなかった。両手いっぱいにレジ袋をぶら下げ、俺は帰宅する。

「ただいまー」

「おかえりなさい……わっ、そんなに買って大丈夫ですか」

「平気平気、まとめ買いしただけだよ」

 買った中身を冷蔵庫にしまう。

 あらかた整理が終わると、台所の前に立つ。


 ……よし。

 焼きそばセットを取り出す。袋の裏に小さく説明書き。まずフライパンに油を引いて……

 久しぶりに取り出すフライパン。一応軽く水洗いしてから、サラダ油を入れる。火を点け、付随してる野菜や肉を入れる。

 炒める音が、部屋全体に響く。

 この俺が、料理をすることになると、いったいいつ予想できただろう。

 彩音ちゃんヘの見栄を張ってるだけだとしても、結構な進歩ではないか?

 野菜の色が変わってきたら、麺を投入し、水を少し加えて蒸す。

 ……水、どんぐらいだろう。具体的な量はどこにも書かれてない。

 とりあえず、手元のコップを水道水でいっぱいにして麺の上にかける。

 ……すぐ蒸発してしまった。足りないのだろうか。もう一回……うわ、すごい水蒸気だ。

 粉末状のソースをかける。素早くかき混ぜる。熱い。よく考えたらずっと強火だ。

 これを炎天下の中延々やっている屋台のおじさん……頭が下がる思いだ。全体にソースが回ったら……もういいかな。

 平皿を取り出して、適当に半分に取り分ける。

「彩音ちゃん、お昼だよ」

「はい!」


 さて、俺の初めてのまともな自炊料理は、果たしてどんな出来なのだろう。茶色くなった麺を口に運ぶ。

 ……やわらかい。

「彩音ちゃん、麺ふにゃふにゃしてない?」

 彩音ちゃんは、ぱっとこちらに顔を向け、申し訳なさそうに縦にうなずいた。

 ……だよな、水を入れすぎた。

 よく食べてみると、野菜は火が通ってないのか硬いし、なんか麺はちょいちょい焦げてるし……

「彩音ちゃん、大丈夫? 不味い?」


 ……

 やっぱし、無理して自炊すべきではなかったのか。

「……いえ、ありがとうございます。とっても、おいしいです」

 ……うまいお世辞だ。でも、嬉しい。

「……ありがとう」

 彩音ちゃんは、俺の言葉が理解できなかったかのように、きょとんとした表情を浮かべた。

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