檸檬一派
私は一人ぼっちで蜜柑一派を自称している。檸檬一派と敵対しているからである。
離乳食が進み野菜や肉を食べられるようになっても小さな私は食が進まない幼児だったという。その話を思い出すたびに小さな私をかばってあげたい。今も変わらないこの気持ちをまだ表現できない幼い私の代わりに語ってあげたい。肉や野菜が嫌いなわけではない。小島よしおやR藤本は好きだ。だけど恋人や両親と比べてみてほしい。その他と蜜柑の間にはどこか遠くのおもしろい人と肉親との距離と同じような差がある。その証拠に両親が初めてフルーツを私に与えた時に蜜柑を食べて初めて屈託なく笑った。拙く手を叩いて大笑いしたという。そして私は蜜柑という言葉を一番最初に覚えた。母でも父でもない。神でもない。私は蜜柑の加護の下に生を受けた存在なのだ。
そんな私をみんな可愛がってくれた。言うことを聞かない時には蜜柑を交換条件にすればいい。蜜柑さえあげれば何もいらない扱い易い子供だった。蜜柑のことを尋ねれば勝手に楽しくおしゃべりしてくれる。アンパンマンやプリキュアを見なくても良いのだから楽だ。
学校に行ってもおおよそ同じだった。蜜柑を軸に存在する生き物はおもしろい。蜜柑のために泣いたり、蜜柑のためにすべてを捨てたりする。だからからかわれることもあったけど、蜜柑を脅しの道具にする悪には地獄を見せてしまえばいい。小学校1年生の冬には可愛い蜜柑博士として誰からも尊敬されるようになった。
中学校もそうだった。だけど高校から風向きが変わり始めた。檸檬一派の登場が私の蜜柑の暮らしに水を差した。
「檸檬読んで変なキャラ付けしててきめえんだよ。素直に檸檬好きって言っとけよ。センスねえな」
たまにしか学校に来ない素行の悪い女子は私にそういった。髪を金髪にして登校すれば生活指導室に送られることはわかっている。それでも彼女はバカだから金髪のまま登校する。浅黒い肌に濃い化粧をした若い女。学校もバイト先も男も女友達も親も親戚も自分自身もすべての悪口を言う。何も好きなものがないから自分じゃなくなろうと髪を染め化粧をして必死の女。授業を聞いてないふりをして檸檬に心を捉えられ学問や文学という遠い場所に自分を見つけようとしていた女。彼女が大学生の頃にインドに行って人生を探したと聞いた時に私は飛び跳ねて喜んだ。お前の垂れ流した生活排水にこそ浸かれ。荒川を泳げ。沐浴はそういうものだ。やっぱりセンスねえきめえ女だった。
ただ彼女だけではなかった。高校の同級生には私の生来の蜜柑好きは浸透していたが、他はそうではない。例えば副教科の先生。2,3年から始まる授業の教師。私の蜜柑好きを聞くと気分良さそうに梶井基次郎の話をする。
大学生。皆が私に梶井基次郎の話をする。学友も教授もバイト先の人も。檸檬、檸檬。そうして私はやむにやまれずいよいよ檸檬を読んだ。
嫉妬した。悔しかった。
なんで作家がその時にたまたま心を惹かれたモチーフについて書いた話が私の感情を内包しているのだろう。そして私という個人をあたかも作品のフォロワーのような立ち位置にしてしまうのだろう。確かに私の20年間はこの檸檬というたった5,000字の文章の中に存在するのかもしれない。
そう思うような筆致だった。表現とはこういうものなのだった。
私と梶井基次郎との差は人に伝えようとする万全たる意識と努力。
だから私は芸術家になることに決めた。檸檬一派との闘いが始まった。私は後の芸術史に名を残す蜜柑一派の祖になる。すべての知恵持つものに蜜柑を信仰せしめるべく筆をとるのだった。
経済学部を辞めた。退学した。
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