終章

 その男に初めて会った時、開口一番で心配された。

「あの、大丈夫ですか? どこかお加減でも悪いのでは? 茶でも飲みますか? いや、水の方が」

 どうやら自分の顔色は最悪だったらしい。向かい合って座った相手は何よりもこちらの体調を気に掛けた。

「また今度にしますか? 近場ならこちらから伺うことも出来ますが」

「いえ…」

 王都・芙蓉芯は近場には分類されないだろう。この滄珠の地へは、近くに来る用があったから寄ったに過ぎない。依頼はしたいが、出来上がったものを受け取りに来れるか、は詳細を聞かなければ判断できない部分がある。

 銀細工の簪を頼むと「『賢夫人への贈り物』ですね」と頷いていた。装飾品を扱う者たちの間では有名な逸話だそうだ。自分も知っていた。王城の書庫で読んだことがある。

 話をしていくと、懸念していた受け取りの問題はどうにかなりそうだった。出来上がりの時期に、自分も相手も近くの地域にそれぞれ用がある。そこで落ち合うことに決まった。

 名前と住所を問われて、いつもの偽名と先日訪ねたとある住所を答えた。まさか自分の住所を、王城だと明かす訳にもいくまい。

 納期と、肝心の簪の意匠と、価格。

それらを話し合い、男がまとめていく。二十代後半のようだが、仕事をしている時の生き生きとした表情は幼い子どものようにも見える。

 と、本当に子どもの声が聞こえた。扉の方から。

「父様」

「父様、お仕事終わった?」

 幼子が二人、扉を開けて顔を覗かせる。女の子とその子より小さい男の子だ。…途端に気が重くなる。

 簪を贈りたい女性と、彼女の遺された息子を思い出した。彼は、この子どもたちと同じくらいの歳だ。間違いなく幼い。なのに、母親を喪ったのだ。

「まだだ。お前たち、戻ってなさい。お客様に失礼だろ?」

 男は窘める口調で、子どもたちを追い返そうとした。

「えー? だって、母様は瑤喜にばっかり構ってるんだもん」

「白の母様も遊んでくれないんだもん」

 拗ねながらも甘えてくる子どもたちに、男は立ち上がる。扉の方に近付き、二人の頭をそれぞれ撫でた。

「母様が産まれたばかりの妹に構うのは当然だろ? 白の母様も弟か妹がお腹に居るんだ。今はゆっくり休んでないといけない時なんだ。分かるな?」

 優しい顔は父親の顔だった。…自分はそんな顔をしたことが無いだろう。

「はぁい」

「分かった」

 聞き分けよく大人しく、子どもたちが頷く。

「よし。父様はもう少し仕事があるから。終わったら、遊ぼう」

「うん!」

「約束!」

 打って変わって、子どもたちは賑やかに笑った。軽やかに走り去って行く。

「申し訳ない。お騒がせしました」

「いや…」

「って、更に顔色悪くなってません? 医者を呼びましょうか?」

「いえ。本当に大丈夫ですから。お気遣い無く」

「でも…」

 それ以上、心配されることに耐えられなかった。話題を変える。

「お子様が、産まれるのですか」

 触れたい話では無かったが、一番自然な流れだと思った。

「え。ああ、はい。妾の子です」

 気負いも衒いも感じ取れなかった。事実を在りのままに。

「妾…」

「皆知ってることですし。三人の子は妻との子ですが、次の子は妾の子です。この世で一番、愛されている子ですよ」

 心の臓が、音を立てる。何かを感じた。共感か、反感か。その、どちらもか。

「妻も子供たちも、とても楽しみにしてくれています。産まれてくるのが待ち遠しいと。…上の子二人は、少しやきもちもあるみたいですが。でも、基本的には良いお姉ちゃんとお兄ちゃんになろうと頑張ってますよ」

 男はやはり、父親の顔をしていた。


 その後、男と直接会うことは無かった。簪を受け取る時は遣いを出した。…会いたくない、と思ってしまったから。


 心持ちが違うのだろうか。

 自分は果南を娶った二十二の時も、それが義務だと思い、それ以上の感情は持たなかった。子が出来ないことも深く考えなかった。王位は王族の誰かが継げば良い、となおざりだった。王位に恋着はしなかったが、それは惰性で継いだものだったからだろう。

 政も果南が時折うるさいから、その都度、手を打っただけで、それが大きな問題にならなかったのは偶然で幸運だったのだろう。悪政と誹られることは無かったが、誇れるようなものでも無かった筈だ。寧ろ、頭の良い果南が王になれば良い、とも思っていた。

 王位を継いで、その後しばらくして、自分が四十代に差し掛かった頃だったか。この身が荷王家の血を継いでいないことと、先代が正しい血統の者たちを殺そうと画策し、実行したと知った。

 そして、果南は荷王家の血を継いでいることを思い出して、彼女との間に子が無いことを呪った。天罰か何かだと思った。

 堪え切れず、果南に全てをぶちまけた。血筋のことも、父の犯した罪のことも。彼女は黙って聞いていた。そして、その上で笑い、いつも通りにお茶を淹れてくれた。

『嫁いだ時から、私の役目は貴方の一番の味方であることよ。貴方の血筋なんてどうだって良いし、罪があるというのなら共に背負うわ』

 彼女は強く、自分は愚かだった。天罰と言うには、子を望んでいながら子の無い夫婦に失礼だった。

 あの男も強かった。他者を案じ、自分の家族を迷いなく愛せる者。自分とは違い過ぎて、だからこそ再び会いたくは無かった。玉座に居ながら居場所の無い自分が悔しく情けなかった。直視したくなくて、逃げたのだ。簪を注文したくせに。あの簪は贖罪であり、何より敬意であるのに、それを作ってくれる人間から逃げるなど。

 果南はそんな自分の話を聞いてくれた。愚かである、ということは否定しなかったが、寄り添ってくれた。いつしか自分は心から果南を愛していた。



 人生の終わりを意識するようになった頃。

 あの時の子どもが王城にやって来た。正統な血筋の、守らなくてはならない子ども。簪がその手に渡るように遺言状を書こうと思った。情けないが、自分が生きているうちは直接の対面など出来そうにも無かった。その場面を考えるだけで、挙動不審になる己が見える。文さえ、己が死して後に、その手に渡ることを想うので精一杯だ。

 ふと思い出す。

 この世で一番、愛されている子。…本当だろうか。

 滄珠の地に人をやって調べさせてみる。あの後、妾と妻とがそれぞれ娘を産み、五人兄弟となった子どもたちは仲良く暮らしているという。妾の子がお菓子を食べなくなって、父親である男が妻や他の子どもたちに叱られたという件は、果南と共に笑った。

 幸せな子どもは、あの時の子どもの味方になってくれるだろうか。つい、未来を託したくなる。遺言状に、あの男と子どもの名を書いた。



 あの時の子どもを見掛けると、見守ってしまう癖が付いた。やはり、話しかけたりすることは無理だったが。

 そして幸せな子どもが妃となって、王城に来た。

 実際に会った果南は、『期待以上だった』と太鼓判を押した。自分は笑顔で指輪にまつわる話を聞いた。

 その後、自分は倒れた。

 持ち直した時、付き添ってくれていてこちらを覗き込んだ果南に、何を言うべきかちょっと悩んで。結局その時は何も言わなかった。上手く発声出来なかったのもあるが、絶対の味方の彼女には伝わっていると思ったから。


 そして、その日が来る。

 部屋で横になっていても、窓から清々しい風が来るのが分かる日だった。

 目を閉じた。

「…淳風様」

 愛しい妻に見守られて、子どもたちに託したい未来があって。後悔が無いとは言わないが、それなりの上出来な人生だった。


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瓏ノ国ノ逸話 @sakimi

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