17. 二人きりで

 サフィラとクラヴィスは宿をとった。寝台の二つある部屋だ。

 持ち運ばなくてもいい荷物をいったん置き、身軽になってから外へと出る。サフィラは、ちらりと隣を歩くクラヴィスを見あげた。


(浮かれてる)


 彼はいつもより柔らかい表情でサフィラの隣を歩き、あれこれと指さして案内してくれる。あそこの建物の歴史がどうの、名産物のデザートがどうの。

 サフィラは呆れ半分で「観光じゃないんだよ」と、諭すように言った。


「分かっている」


 その割に、さっきからクラヴィスの手はサフィラの手を握ろうとすきを窺っている。サフィラは手を後ろに組んだ。


「じゃあ、はやくその神子の舞が見たいな。何か手がかりになるかもしれないし」

「それは夜明けに奉納されるから、明日朝早く起きて行こう」


 クラヴィスはそれとなくサフィラの腰を抱こうとするが、サフィラは腕でそれを弾く。


「分かった。じゃあ、神子の資料を探そう。どこにあるか知ってる?」

「……知らない」

「じゃあ、図書館はあるかな。あるよね」

「……あったはずだ」


 一転してぶすくれたクラヴィスを連れて、サフィラは島の図書館へと向かった。


 島唯一の図書館もまた、漆喰で塗り固められた白壁が見事な建物だった。眩しい、と目を細めるサフィラの目元に、クラヴィスの手が降りる。


「大丈夫か?」

「うん」


 影に甘えてしぱしぱと目を瞬かせると、目の前に移動したクラヴィスが、ぬっと顔を覗き込んできた。逆光でなんだか怖い。


「目が痛くなったらすぐ言え。影を作ってやる」

「いいよ。そもそも、きみの目は大丈夫なの」

「大丈夫だ」


 サフィラはじっとクラヴィスの瞳を見つめた。その白目が血走っているのを見て、ため息をつく。


「きみだって、眩しくて目が痛いんだろう。ほら、行くよ」


 サフィラはクラヴィスの腕を引っ張って、図書館へと入っていった。その大きなひさしの影に入ると、日差しに焼かれていた肌が少しだけ冷える。


「優しいな」


 嬉しそうな声は無視した。クラヴィスの方が優しい、とは、口が裂けてもサフィラは言わない。

 図書館は石造りで、中はひんやりと冷えていた。採光のための窓はそれほど大きくなく、昼間でも魔法で照明がつけられている。

 サフィラは迷いのない足取りで、歴史の本棚へと辿りついた。


「探すのがはやいな」

「職業柄ね」


 サフィラは軽く言いつつ、本棚に並んだ背表紙を眺めた。この島の歴史についての本を一冊引き抜き、目次を見る。中身をぱらぱらとめくった。閉じる。さらに別の本を開き、目次を見て中身を流し読みして閉じる。以下、繰り返し。


「これがいいな」


 サフィラが本を何冊か選んで読書室へと向かおうとすると、当然という顔でクラヴィスも彼の後についてくる。サフィラは目を丸くしてクラヴィスを見上げ、「一緒に来るの?」と、少し伏目がちに尋ねた。


「当然だ」


 クラヴィスが尋ねると「別にいいのに」とサフィラは首を横に振った。その、と口ごもる。その頬は、少し赤い。


「きみが見ていて楽しいものは、ないと思うよ。退屈だろうから、外で遊んできたほうがいいんじゃないかな」


 気遣う彼に、クラヴィスは蕩けるような笑みを浮かべた。サフィラは、思わず息をのむ。


「サフィラを見ていたい」

「それは気が散るからやめて」


 こうしてクラヴィスをけんもほろろに追い出し、サフィラは一人で読書に没頭することにした。

 ひとりでちいさな読書室に入って、机の上に本を置く。そのまま突っ伏して、耳を手で塞いだ。長く息を吐き出して、ゆっくり脱力する。


(本当に、あの子は……!)


 やたらと、あの蕩けるような笑みが頭から離れない。しばらく悶絶したあと、サフィラはようやく本へと手を伸ばした。


(そんなことはいいから、はやく本を読まないと。待たせても悪いし)


 サフィラは手早くページをめくり、小刻みに目を動かして中身を咀嚼していく。それと同じく、頭の片隅ではクラヴィスのことを考えていた。


(クラヴィスとアウクシリアには、この旅に付き合ってもらっている以上、なんらかの報酬が必要だ)


 ページをめくり、持ってきた手記に書き込み、頭へ落とし込んでいく。視界からの文字情報を次々処理するかたわら、サフィラはぼんやりと物思いにふけった。


(クラヴィスが僕に付き合う必要なんか一個もない。アウクシリアはもっとない。僕はどうすれば、彼らに報いられるんだろう)


 迷いなく資料を読み進めながらも、サフィラの頭の片隅には不安があった。


(……クラヴィス。僕のこと、そんなに大事にしなくていいのに)


 ちいさい頃、泣き虫で身体もちいさかった彼に兄貴風を吹かせただけ。たったそれだけのサフィラに、クラヴィスは執着している。

 サフィラとクラヴィスは釣り合わない。気持ちも、立場も。


 気づけば一冊目を読破していた。二冊目に手を伸ばす。ページを次々めくって読み込んで。夢中になっていると、誰かに肩を叩かれた。


 わっと声を上げて振り向けば、クラヴィスが目を丸くして立っている。


「そんなに驚かなくても」

「ごめん」


 サフィラは頭をかいて、椅子に座り直す。クラヴィスはちらりと机の上をみやりつつ、「昼だ」と端的に伝えた。


「食事に行こう」

「そんなにお腹が減ってるわけじゃないし、僕は」

「いいから行くぞ」


 クラヴィスは問答無用でサフィラを立ち上がらせ、荷物を勝手にまとめた。そしてサフィラの手を引き、歩き出す。


「こういうとき、お前は食事を忘れる。戻ってきてよかった」


 クラヴィスの言葉に、なんとも言えずにサフィラは俯いた。


「……きみだけでも、島を楽しんでいればよかったのに」

「サフィラがいなくちゃ、何も楽しいことなんかない」


 クラヴィスは何のこともなく言い切って、サフィラを見下ろした。自分が随分と、ちいさな存在になった気がしてうつむく。

 

「行こう」


 そう言って、サフィラの幼馴染の、もう泣き虫でも弱くもないクラヴィスは、サフィラの手を引くのだ。

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