12. アウレア家の宴

 上演後の宴には、サフィラと劇団員、メトゥスの成人した親族たちのみが参加した。フェキレは未成年であるため欠席である。

 サフィラのさかずきに、なみなみと甘い香りを漂わせる酒が注がれる。おのおのの杯が掲げられ、メトゥスが乾杯の音頭をとった。

 あちこちで杯のぶつかる軽快な音が響く。サフィラは酒で唇を湿らせ、密かに眉をしかめた。


(やっぱり、魔力の痕跡がある。何かまじないをかけたんだろうな。それに、かなり酒精が濃い。……これ、まずいぞ)


 すぐに杯を置き、料理へと手を伸ばす。肉や魚を中心とした宴会料理が並べられ、皆酒を片手に話や食事に興じていた。

 サフィラは遠慮なく手を伸ばし、骨付きの鶏肉を頬張る。その脂っぽい旨味に舌鼓を打つ彼に、メトゥスが話しかけた。


「サフィラくん、飲んでいるかな」

「ええ、まあ」


 曖昧に濁すサフィラをよそに、メトゥスは杯の中身を覗きこむ。


「その割には減っていないじゃないか」


 咎めるように言って、彼はサフィラに杯を握らせた。飲め、ということらしい。

 さて、とサフィラは辺りに視線を走らせる。酒を飲み、気分を明るくして語らう男女。豪勢な料理を頬張り、贅を尽くす彼ら。

 目の前の男へと目を向ける。その瞳は明かりに照らされ、てらてらと光っていた。


「さあ」


 サフィラは、杯を傾けた。口に含み、喉仏を上下させる。途端にメトゥスはにんまりと笑い、サフィラの背中を叩いた。


「いい飲みっぷりだ。さあ、もっと」


 さらに杯へと注がれる。サフィラは口元を拭くふりをして、頬に含んでいた酒を吐き出した。口に含んだだけでも酩酊しそうなくらい、濃い酒だ。


「いえ。もう酔ってしまったようなので、僕はこれで」

「そんなこと言わず。さあ、さあ」


 ふむ、とサフィラは少し考え込むそぶりを見せた。


「このお酒、とても強いみたいですね。なんてお酒なんですか?」


 ちびちびと口に含む素振りを見せれば、「うちの酒だよ」とメトゥスは言った。


「売れ筋でね。宴会で出すと、みんな喜んでくれるんだ」

「そうなんですね。飲んだことのない味がしたので、少し驚きました」


 周りを見れば、参加者たちは杯に酒をなみなみと注いでいた。それを酌み交わし、飲み下し、深く酩酊していく。

 サフィラはそれほど酒に弱いわけではない。また、まがりなりにも魔法使いであるため、まじないへの耐性もある。

 それでも、思考が鈍っていくのを感じた。深いことを考えられなくなって、愉快な気分になる。

 もちろんそれらはすべて、まやかしなのだが。


「サフィラくん、紹介しよう。うちの娘だ」


 メトゥスが若く美しい女性を呼び寄せる。ぺこりとサフィラに会釈をした。その瞳はうるみ、頬は熱っぽく赤らんでいる。

 背後で嬌声が聞こえた。サフィラが振り返ると、男女が絡み合っている。なるほど、とどこか冷静な部分が納得した。


 つまり、そういう「お誘い」らしい。


「どうだい。妻に似て、美しい娘なんだ。君も気に入っただろう」


 そうして、メトゥスの娘がサフィラの首筋に腕を回す。身体が近づき、しっとりと潤んだ瞳がサフィラを捉える。そして。


 サフィラが手を叩いた瞬間、その姿は霞のように消えた。


「あ、幻覚だったんだ」


 サフィラが呟くと、メトゥスがうろたえる。


「な、なんだと……!」


 やれやれ、とサフィラは身体を楽にするように膝を立てる。少しふらつきはするが、問題はない。


「お酒にかかっていたまじないはこれですね。僕に幻覚魔法をかけて、どうするつもりだったんですか?」


 尋ねるサフィラをよそに、メトゥスはサフィラの杯を取り上げた。そしてサフィラの首根っこを掴み、無理やり飲ませようとする。


「やめ、っ」


 暴れるサフィラの顔に酒がかかる。サフィラは咄嗟に身体を丸め、受け身を取ろうとして。びしゃりと冷たい酒がかかり、そして。

 こちらへ一直線に駆けてくる、誰かの足音がした。あっと思った次の瞬間には、メトゥスの頬に誰かの拳がめり込む。


「クラヴィス!」


 怒りを全身にみなぎらせながら、クラヴィスが立っていた。杯は派手に転がり、サフィラは咳き込みながらクラヴィスを見あげる。


「サフィラ。俺はちゃんと『待て』ができたぞ」


 少し拗ねたような顔で、クラヴィスが立っていた。サフィラは涙目になりつつ、「ありがとう」と身体の力を抜く。助けが来たのに安心して、やっと自分の呼吸が浅かったことに気づいた。


「今、アウクシリアが騎士団を呼んでいる」


 倒れ伏していたメトゥスは、不格好にのたうちまわりながら身体を起こす。


「やれるもんならやってみろ」


 引きつった笑みを浮かべながら、クラヴィスを指差した。


「ここらの騎士は買収済みだ、お前の方が俺を殴った罪で捕まるんだぞ……!」


 ふーん、とクラヴィスはいかにも興味なさげな返事をした。


「それはどうかな」


 クラヴィスの言葉に、メトゥスが顔をしかめた瞬間。扉が蹴破られ、大勢の騎士たちが入ってくる。


 その中には、白い騎士の鎧をまとったアウクシリアもいた。サフィラは驚いて、声も出せずに固まる。


「捕えろ! 泥酔してる奴らは保護しろ!」


 アウクシリアの号令ひとつで、騎士たちは会場の中へと散った。泥酔した宴の参加者を介抱し、酔わせて襲おうとした者を捕える。

 突然始まった捕物に、宴会場は混乱に陥った。


「ば、ば、バカな」


 わなわなと震えるメトゥスに、アタクシリアが吐き捨てる。


「それはこっちのセリフだ。堕落しちまったこっちの奴らは自業自得だが、おかげで隣の島から騎士の連中を引っ張ってくるハメになった」


 アウクシリアは、すごい人だったのかもしれない。そっとクラヴィスが耳打ちした。


「ノドゥス卿の同期の中でも、出世頭の実力者だったらしい。冒険心のまま騎士団を辞めていなければ、今頃支部長だったとか」

「す、すごいね」


 その間にもメトゥスは捕らえられ、床に倒される。頭を上げることもできないメトゥスは、サフィラをぎらついた目で見つめた。

 アウクシリアは、冷酷な声でメトゥスに告げる。


「魔力がこもった材料をもとにまじないのかかった違法な酒を密造し、流通させ、多くの人を傷つけた。裁くのは俺じゃねぇが、お前は確実にブタ箱行きだ」


 その言葉に、メトゥスはなぜかサフィラを怒鳴りつける。濁った白目は血走って、唾を飛ばしながら叫んだ。


「ラティオの息子、よくもやってくれたな……! 大人しく俺の手にかかればよかったものを!」

「僕はサフィラという名前ですよ」


 どうも、彼はサフィラを親の付属物として見ている節があった。サフィラは彼の前に座り込み、尋ねる。


「あなた、本当に父と友人だったんですか?」

「そうに決まっているだろう」


 吠えるメトゥス。彼を拘束している騎士が、さらに力を込めて彼を床へと押し付けた。ぐう、と声を上げる彼に構わず、サフィラはさらに問い詰める。


「その割には、あなたは僕たちの所在を知らなかった。ミュートロギア家にはちゃんと知らせていたから、父の性格からして意図的にしたんでしょう」

「クッ、クルトゥーラは俺を歓迎していただろう! 彼女は、彼女はッ……!」

「あなたは、父のラティオの友人なんですよね?」


 サフィラが淡々と問い詰めると、メトゥスは顔を真っ赤にして唸る。サフィラの中で邪推に近い推測が組み上がり、あ、と声が出た。


「あなた、うちの母に気があったんですか?」

「違う! お前の母親が、俺に気があったんだ! 俺が住所を教えられなかったのも、お前の父が俺に嫉妬したからだ!」


 一息にがなりたてるメトゥス。サフィラは一瞬言葉に詰まった後、憐れむようにメトゥスへ言った。


「うちの母があなたにどんな態度を取っていたかは知りませんが、母が愛した男は、父ただ一人ですよ」


 は? と、気の抜けた顔をするメトゥス。その間抜け面へとどめを刺すように、はっきりとした口調で言う。


「母が弱音を吐ける相手は、生涯父だけでした。……僕たちの引っ越し先を教えられなかったのは、そういうことでしょうね」


 母親そっくりの顔で微笑み、サフィラはメトゥスから顔を背けた。メトゥスは呆けたように口を開き、されるがままに引っ立てられている。


「フェキレくんは無事?」

「心配すんな、もう安全な場所で保護してるぜ」


 アウクシリアは胸を叩き、クラヴィスは「フェキレくん?」と眉をひそめる。


「サフィラ。まさかとは思うが、浮気か?」

「十歳近く年下の子どもに、なんて疑いをかけるんだよ」


 サフィラはクラヴィスを呆れたように見上げる。クラヴィスは少し嬉しそうに微笑んだ。弾んだ声で言う。


「そうだよな。サフィラには俺という者がいるから、浮気なんてしない」

「待って待って、そういう意味じゃない、それは違う」


 動揺で身体がよろけた。クラヴィスはそれを難なく支えるどころか、軽々と横抱きにする。


「こらーっ!」


 真っ赤になってじたばたと暴れるサフィラの頬に口付けをして、クラヴィスは去っていった。騎士たちは賑やかな口笛や歓声で、二人を見送る。


「若いって、いいなァ!」


 アウクシリアはメトゥスを縛り上げながら、しみじみと言った。

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