13. アウレア島の(ちょっとえっちな)夜

 サフィラを抱えたクラヴィスは足取り軽く大通りまで出て、さらに郊外まで歩き、意気揚々と宿屋に入った。


「ちょ、ちょっと待って」


 サフィラはパニックになり、じたばたともがいた。なんだかやたら立派な建物である。連れ込み宿というわけでもない、ちゃんとした宿屋らしい。


「僕に何する気?」

「何をしようかな」


 クラヴィスは飄々とした態度でサフィラをいなし、彼のとった部屋へと向かう。扉を開けると、そこには寝台が二つ置かれていた。

 クラヴィスは、サフィラをそっと片方の寝台へおろす。そして跪いて、物言いたげな瞳でサフィラを見上げた。

 まったく、とサフィラはため息をつく。


「はいはい。確かめていいよ」


 どうぞ、と腕を広げる。クラヴィスはその手を取り、そっと服の裾をまくしあげた。


「傷一つないからね。変なものは飲まされかけたけど……」


 サフィラが口を滑らせると、クラヴィスは「なんだと」と血相を変えてサフィラの顔を覗き込んだ。うわ、と叫ぶサフィラをよそにまくしたてる。


「酒臭いとは思ってたんだ、今すぐ病院へ行くぞ。飲んだものは残ってないか?」

「残ってる、……というか、吐き出したから」


 裾に残った染みを見せると、クラヴィスはそれを凝視する。サフィラはおずおずとクラヴィスの頭に手を置き、撫でた。

 酒でべとついているサフィラの頬に、クラヴィスは顔をすり寄せる。こういうところでどうにも、よくないと分かりつつ、サフィラはクラヴィスを突き放せない。


「まじないで、強かに酔っ払うようにしてあったんだ。だから病院に行っても意味ないし、僕は耐性があるから、大丈夫」


 よしよし、とぎこちない手つきで前髪を払い、額に唇を落とす。この幼馴染は、サフィラが傷つくことを異様に嫌っていた。

 サフィラに傷ひとつ付けば大袈裟に手当てし、癒えるまで寄り添おうとする。


(僕がいなくなったら、この子はどうなってしまうんだろう)


 ふと思う。いいや、とすぐに否定した。


(……クラヴィスの周りには、たくさんの人がいる。僕がいなくなった穴埋めは、そのうちの誰かが、きっとしてくれる)


 クラヴィスはベッドに乗り上げ、サフィラを抱きしめた。きつく力を込めて、だけどサフィラは、それを苦しいとも言えない。


「どこにも行かないで」


 切実な声音に、サフィラは「ごめん」と謝った。


「謝らなくていい。約束してほしい」


 クラヴィスがぐずるように言うから、サフィラは彼を抱きしめ返してやった。

 約束してほしい、という願いには、応えられないから。

 離れないで、とクラヴィスは何度も繰り返す。


「サフィラ。おねがい。はなれないで……」


 とろんとした声。ここでやっと、サフィラは違和感に気づいた。


「きみ、もしかして酔ってる?」

「酔ってない……」


 明かりを灯して顔色を見れば、頬がぽうっと赤らんでいる。瞳は甘えたように潤み、湿った声でサフィラを呼んだ。


「ちゅーしたい」

「そうか。きみ、お酒の臭いで酔っ」


 言いかけたサフィラに、クラヴィスが突進するように抱きしめる。二人してベッドに倒れ込み、「ちゅーしよ」とクラヴィスがねだった。


「口と口で、キスしてみたい……」

「バカバカバカバカ」


 そう言いながら、サフィラの身体の至る所に唇が落とされる。服越しの唇が、胸や腹、首筋に触れる。


(何が困るって、僕が嫌だと思えないことっ……)


 クラヴィスと触れ合っている場所から、熱が広がる。大きな手がサフィラの服の裾にかかり、引っ張った。


「脱いで」

「えっ」

「サフィラは、すぐ隠しごとをする。本当に傷はないのか?」


 その顔が、ものすごくかわいかった。まるで子犬が母犬にするように首を傾げ、擦り寄ってきて。


「ああ、もう、分かった。分かったから」


 サフィラは観念して、上半身の服を取り払うことにした。衣擦れの音が生々しくて、胸がどきどきする。


(そういう、いやらしいのじゃ、ないから……!)


「はい」


 貧相な上半身が晒された。つるりとした身体のかたちを確かめるように、クラヴィスの手が素肌を這う。背筋へ背徳感に近い興奮がぞくぞくと這い上がり、腰が浮きそうだ。

 優しく下腹部を撫でられ、内腿に力が入った。くう、と鼻を鳴らすと、「痛いのか」とクラヴィスが血相を変えて顔を覗き込む。


「い、いたくない」

「でも今」

「なんか、へんなだけ。ごめん、変な声、でちゃった」


 顔を真っ赤にして言えば、クラヴィスの時が止まった。たっぷり二人の間に重苦しい沈黙が流れた後、クラヴィスは大きく息を吸い込む。


「このクソ野郎ッ」


 派手な音を立てて、彼は彼自身を殴った。サフィラが甲高い悲鳴をあげると、彼は立ち上がろうとしてなぜか前屈みになる。


「ぐ、ぐぅ……!」


 サフィラはどうすればいいのか、まるで分からなかった。ひとまずベッドから降りて「どこか痛いの?」と彼の背中をさすると、「やめてくれ」と彼は唸る。


「童貞には刺激が強すぎる」

「ああ、うん。そうだったんだ……」


 いまいち、ひとつひとつに現実感がない。クラヴィス=ミュートロギア、とびきりの美丈夫、二十四歳。サフィラが静かに驚いていると、彼は恨めしげな顔でこちらを見る。


「俺がそうなのは、誰のせいだと……?」

「え?」


 サフィラがきょとんとすると、彼は静かにうなだれた。そのまま床にうずくまる。


「サフィラ。服を、着てほしい」

「なに。いきなり」

「いいから」


 その要求通りサフィラは服を着ようとして、「あ」と声を上げる。


「お酒をかぶったから、水浴びしないと。きみも浴びなよ」

「いいから早く服を着てくれ」


 クラヴィスは静かに床に突っ伏し、祈るように指を組んだ。


「お願いだ、サフィラ。これ以上俺をいじめないでくれ」

「いじめてないよ。何を言っているんだ」


 サフィラは手早く身なりを整え、浴場へと向かう。さっぱりと湯を浴びて戻ってきたときにも、クラヴィスはそのままの体勢だった。

 うわ、と驚けば、彼は低い声で唸る。


「覚えてろよ」

「なにをさ」


 サフィラは勝手に片方のベッドへ寝転がり、寝る体勢を取る。それでも多少の良心の呵責があって、ちらりとクラヴィスの方を見た。


「僕はもう寝るからね。……苦しそうだけど、僕に何かしてほしいこと、ある?」


 クラヴィスはしんどそうに息を吸い込み、吐いた。


「頼む。誘惑するな」

「ん、うん。ごめん……?」


 自分のせいで苦しんでいるらしいクラヴィスを置いて、サフィラは寝返りを打った。


(クラヴィスって、僕のせいで、ああなるんだ……)


 目を瞑っても、どうにも眠れそうにない。クラヴィスもベッドに入ったものの、眠れないようで何度も衣擦れの音が聞こえる。


 こうして、二人の夜は悶々と更けていった。

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