7. 西へ

 さて。一呼吸置いて、アウクシリアが机の上に地図を広げた。随分と使い込まれており、端がぼろぼろになっている。


「上が北、下が南で、ここがテストゥードー。サフィラ、お前は次にどこへ向かう」

「西へ」


 問われて、サフィラは迷いなく答えた。ただ、その、とすぐに口ごもったが。


「西の方角から海亀テストゥードーがやってきて、くらいしか、確実なことは分かっていなくて……」

「ちょっと待て。まずその海亀のくだりだが、俺はわらべうたくらいの知識しかないぞ」


 あ、とサフィラは声を上げた。


「すみません。一から説明しますね」


 創世の蛇が目覚める時、太陽は海に潜って海亀となる。その海亀は勇者を導き、勇者が蛇を倒したとき、その死体が土地となってその勇者のものとなる。


「わらべうたではこうです。それに加えて、僕の家の伝承では」


 魔物が港に押し寄せ、豊漁になるとき、創世の蛇は現れる。

 日照時間が短くなる。海の満ち引きはなくなり、常に満潮となる。そして月のない夜に、蛇は蘇る。

 また太陽は魂を導き、ともに海の底へと沈み、ともに陸へと昇る。


「……それで、実際に日の出と日の入りの時刻と、潮の満ち引きを調べました」


 サフィラは、メモに書き取ったデータを見せる。


「すると、例年よりも明らかに日が短くなり、海は満ちている」


 むう、とアウクシリアは顔をしかめる。物言いたげな顔ではあるが、サフィラはさらに続けた。


「だから向かうとしたら、西。さらに言うなら、ここです」


 そう言って指さしたのは、地図の西の端。そこに島は描かれていない。

 怪訝な表情で眉根を寄せるクラヴィスをよそに、アウクシリアは唸って顎をさすった。


「海の墓場、か。根拠は?」

「太陽は西へ沈み、そこで海に入るからです」

「は?」


 サフィラは懐から紙を取り出す。できうる限り、石碑に書かれていた文字や図を正確に書き写したものだ。


「僕の実家にあった石碑に描かれていたものです。星座の位置からして、この図は今頃と同じ季節を描いています」


 す、と星図をなぞるように指を動かす。


「そして彼らは東へ向かっていることも、同様に星の位置から分かります。したがって彼らは西から来たと考えられる。しかし、西方大陸からではないはず」

「なぜ」

「海亀は、西方大陸には生息しないから、です」


 サフィラの手首に亀のチャームが揺れる。それは、亀の甲羅から作られていた。


「これはウォルプタース家の当主が、代々身につける幸運のお守りです。海亀の甲羅から作られています」


 チャームを手首ごと差し出して、サフィラは言う。


「それにうちの家に伝わっているのは、泳ぐ太陽である海亀テストゥードーへの信仰です」


 彼の手首に揺れる海亀を、アウクシリアが覗き込む。サフィラは頷き、続けた。


「これほどまでに海亀と縁深い人々が、海亀の生息しない地域からやってきたとは、考えにくい」

「西方大陸ではないのは、分かった。では、海の墓場なのはなぜだ?」


 アウクシリアは、淡々と続ける。まるで見定めるように顎を引いた。


「ここは、海に戻ることを望んだ者たちの死体を葬る場所だ。なんとなくで向かえば、死者の怒りに触れるぞ」


 諭すように、彼は続けた。


「海の女神マーレのもとへ直接行きたい、と考える連中の墓場だ。うかつに向かえば、それこそ生きた連中からも怒られる」


 アウクシリアの言葉に、サフィラは頷いた。彼の主張は、もっともだ。


「重々承知です。でも」


 サフィラは浅く息を吸って、吐いた。緊張をほどくように、手首のチャームに触れる。


「太陽は魂を西の海底に連れて行き、東から陸へと返す。伝承にはそう書いてあるから、ここは間違いなく鍵となる場所なんです」

「なんだそりゃ」


 怪訝な顔をするアウクシリアの目を、サフィラはゆっくりと顔を上げてみつめた。また息を吐いて、吸う。


「もともと、海底は冥界と考えられています。太陽は魂を、現世と冥界で行き来させるんです」


 すらすらと語り始めたサフィラに、アウクシリアは「ゆっくり話せよ」と釘を刺す。サフィラは少しの間黙り、それからまた話し始めた。


「太陽は死者の魂とともに沈み、新しく生まれ変わる魂とともに昇ります」


 サフィラは懸命に考え、言葉を紡ぐ。アウクシリアは感情の読めない眼でサフィラを見つめ、クラヴィスは薄く微笑んでサフィラを見ていた。


「であれば、その沈むところに死者の魂があるはずです。つまり海の墓場周辺には、手がかりがあるかもしれない」


 言い切った。そして二人の顔を見る。


「だから僕の心当たりがあるとすれば、そこだ。ここが一番、それらしい……です」


 手首の引っ込みがつかなくなった。ひょ、と少し肘を引くと、クラヴィスがその手を掴む。そして指が絡められ、握った。


「じゃあ、俺はそこに行きたい」


 彼の迷いのない言葉に、サフィラは手を振りほどけずに目を丸くする。アウクシリアはしばらく唸った後、「まあ、いいや」と頭を掻いた。


「行ってみるとするか。真っすぐ向かえば、一週間くらいで着くだろう」


 よおし、とアウクシリアが膝を叩く。椅子を引いて立ち上がった。


「出るぞ。ここは俺が奢ってやろう」

「えっ」


 出るか、の「で」の辺りで財布を取り出していたサフィラの口から間抜けな声が漏れる。クラヴィスはといえば、目を瞬かせていた。


「いいのか?」

「いいっていいって。ま、恩は売っとくから、後で三倍にして返してくれ」


 アウクシリアはやはり豪快に笑って、食事代を支払った。サフィラとクラヴィスは顔を見合わせ、その背中を追う。


 こうして彼らは再び帆を張り、西へと進む航海を始めた。

 海風が頬を撫で、鼻腔いっぱいに海の香りが満ちる。潮風でべたつく髪をなびかせる。遠目にクジラが潮を吹いた。


「……クジラ?」


 サフィラは怪訝な顔で遠くを見つめる。じ、と見つめるサフィラの視界に、黒い影が映った。

 それは獅子のような頭部を持ち、前脚はひれのようでありながら濡れた獣毛に覆われている。それが水しぶきも上げずに海に潜ると、扇のような尾びれが見えた。


 近づくにつれ、それがこの船よりやや大きな生き物であることが分かる。


「ケートスだ!」


 アウクシリアが叫ぶ。咄嗟にクラヴィスとサフィラが迎撃態勢を取る寸前、ケートスは船体へと体当たりした。

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