第2話 出会い Ⅱ

 白く柔らかい湯気が昇るコーヒーにスティックの粉砂糖がさらさらと注がれていく。


 図書館からほど近いコーヒースタンドの店内、挽いたコーヒーの香りと、穏やかなジャズスタンダードもかき消す楽しげな話し声で満ちている。


 クララたちと同じ学院の制服に身を包んだ少女たちで賑わうイートインスペースから少し離れたコンディメントバーで、少女はカフェラテをさらに甘くしていた。蜂蜜やシナモンシュガーなどがずらりと並ぶカウンターにクララは頬杖をつき、普段からコーヒーにアレンジを加える習慣のない彼女にとって馴染みのない光景をしげしげと眺めていた。


「甘党なの?」クララは少女――エミリーに尋ねた。


「自覚はありませんでしたが、思い返してみれば確かにそうかもしれないですね」


 エミリーはプラスチックのマドラーでコーヒーをかき回しながら、柔らかく微笑んだ。その様子を横目にコーヒーのカップを弄びながら、クララは図書館からここへ辿り着くまでの道中で聞いたエミリーに関する情報を頭の中で整理する。


 エミリー・サッチャーはクララよりも1年下の2回生。自然科学部に所属しており、ロボット工学に関するゼミで古い文献にあるロボットの再現に取り組んでいる。彼女曰く、先ほど図書館にいたのも、次に作成するロボットを探そうと古の機械に関する書籍を借りるためだった。


 ……そして、暫定甘党。


 短い移動時間で得ることのできた情報はそれくらいだった。しかし、クララにとっては少女の名前と所属がわかっただけでも十分な収穫だった。


 砂糖がすべて溶けきったのだろう。エミリーはマドラーをゴミ入れに捨ててコーヒーカップにフタをした。


「お待たせしました」


 エミリーの言葉を合図に、クララはついていた頬杖をやめてコーヒーカップを持った。


「ん、じゃあ行こうか」クララは店内を見まわし、見つけた空席を指さした。「あそこが空いてる」


 コンディメントバーから遠い窓側の席、クララとエミリーは2人掛けの席で向かい合わせで座る。丸い木製のテーブルに2つのコーヒーカップが並ぶ。心地よい緊張の沈黙を破ったのはエミリーだった。


「ここにはよく来るんですか?」


「んー……、そうだね、友達に誘われてたまにくる程度、かな」クララは笑いながら言った。「エミリーは?」


「私もたまに来ます」とエミリー。「とは言っても、ほとんどテイクアウトで、こうして席に座って飲むのはほとんどはじめてです」


 それも誰かと、と彼女は付け加えた。


 涼しげで芯のある声が鼓膜を振るわせ、あなたは特別だと言われたようで、クララの口元は自然と緩んだ。


「ねえ、エミリー」クララは言った。「さっき借りていた本――確かロボットに関する歴史書、だったかな――についていろいろ教えてほしいな」


「いろいろ? クララも機械の歴史に興味があるのですか?」


「これから興味が湧くかも」


 エミリーはいかにも不可解そうに首を傾げながら、背もたれと自身の間に置いていた薄く黒い革の鞄から本を取り出した。コーヒーカップをよけてテーブルの真ん中に置く。その本は辞書のように厚く、布の装丁は随分と古そうで角が綻び、蒼古とした神秘の気配が漂っている。


「よければ好きに見てください」エミリーは言った。


「え、いいの?」


「そもそもこれは図書館の本であって私のものではありませんし、私にはこれから2週間、いつでもこの本を自由に読むことができる権利がありますから」


 エミリーに視線で促され、クララはその本を慎重に手に取った。


 歴史的な重量とざらりとした表紙に驚きつつ表紙を開くと、タイトルや著者名のファットフェイス体が踊る本扉も黄色く褪せていた。


 クララはその本の小口に親指を滑らせてページをぱらぱらとめくっていく。柔らかく黄ばんだ紙の上に、蟻の行列のような細かい文字がどのページにもびっしりと列をなしている。それらの列に堂々と割り込んで鎮座する古めかしい機械の精巧なスケッチが、アトランダムに紙上に現れる。クララは興味と好奇心に満ちた眼で開いた本を覗き込む。そこに表現された機械たちは、どれも見たこともないほどごちゃごちゃと多くの部品が複雑についていて、どうやら全長もかなり大きい。


 文字を軽く読み飛ばしながら精緻なスケッチに惹かれてパラパラとめくっていくと、ページの間に折りたたんだ紙が突如として現れた。


「なんだろう?」クララは顔を上げてエミリーに尋ねた。


 エミリーはただ無言で首を振った。わからない。


 クララは本の代わりにその紙を手に取った。本と比較すればわずかに新しい気配のあるその紙を開くと、詩のようなものが書かれていた。しかし、なぜか言葉の途中に奇妙な記号のような、あるいは絵のようなものが不規則的に挿入されている。意味があるのかないのか、それすらもわからない。


「何かの暗号でしょうか?」エミリーは紙を覗き込みながら言った。


「さあ、どうかな」とクララ。「ただのいたずら書きかも」


「でもほら、こことここ」エミリーは紙上の記号を指差した。「何か規則性がありそうに見えませんか?」


「確かに言われてみれば……」


「ねえ、クララ」エミリーは含みありげに笑って言った。「私たちでこの暗号を解いてみませんか?」


 クララの無言を肯定と取ったのだろう。エミリーは立ち上がった。


「ここでは騒がしくて集中できません。場所を変えましょう」


「どこへ?」唐突な展開にクララはついていこうと質問した。


「私の部屋です」


 飲みかけのコーヒーカップを手に取ったエミリーに、クララは慌ててメモを閉じて本に挟み直し、本とコーヒーカップを手に立ち上がった。


 小さな謎と2つの冷めかけたコーヒーとともに、2人は店を後にした。

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