星空の下の秘密
佐熊カズサ
第1話 出会い
窓から差し込む夕陽に照らされてきらきらと輝きながら空気中を舞う埃に、星のようで綺麗だ、とクララは一瞬だけ見惚れた。
その日の図書館は、夕暮れ時の穏やかな雰囲気に包まれていた。
クララ・フィッシュジェラルドは窓と垂直に並べられた本棚の間を何度も行きつ戻りつしながら、とある冒険小説を探していた。
探しはじめてすでに1時間は経過しているが、探している本はなかなか見つけられない。
入館してすぐ、少しでも時間を短縮しようと、本棚に向かうよりも先に受付のカウンターで退屈そうに虚空を眺めていた司書に本の位置を尋ねた。いかにも気だるそうな司書は、本のタイトルと著者の名前、国内小説が並ぶ4つの棚の位置をマークした即席のお手製館内図をメモパットにボールペンで書きつけてクララに手渡した。
クララはそれを時折ポケットから取り出して開いては、この辺りで間違いないはず、と確認しては再び棚に目を戻す。この作業はすでに3巡目に突入している。つまり、この棚の前に立って本を眺めるのも、すでに本日3度目である。
夕陽を乱反射する埃を眺めるのをやめ、クララは本棚に並んだ本に目を移した。棚の高いところに並べられた本の背表紙がオレンジ色に反射してうまくタイトルが読めない。しかしどうにか目を凝らして確認していくと、それらの中に1冊、件の本に非常に装丁のよく似た本を見つけた。1度目、2度目と見た時にはうっかり見落としていたのだろう。
クララは背伸びをして本の縁に指をかけた。目当ての本を取り出そうとしたとき、隙間なく収納されていた本はバランスを崩し、棚から数冊の本が重く激しい音を立てて落下した。咄嗟の事態にクララは焦り、足がもつれ、身体が一瞬だけ宙に浮いた。
「大丈夫ですか?」
その音に気付いたのか、精巧なアンドロイドのような無表情を浮かべた少女が棚の影からふらりと現れた。規定通りに着込んだ制服から伸びる脚は細く、夕陽に染まりオレンジピールのような色彩を放つ背後からのぞく少し癖のある長い髪は柔らかそう。長毛種の猫のような少女だ。
「うん、何とか」
散らばった本の中心で尻餅をついたクララは苦笑いを浮かべた。
「手伝いますよ」
静かに歩み寄った少女は屈んで、一冊、また一冊と本を拾い上げる。
年季が入ってところどころ擦り切れた革装丁と重なる細く白い指が、歪なコントラストを構成する。少女はゆっくりと、しかし無駄のない動きで腕の中に本を積み上げていく。そのしなやかで上品な所作に見惚れていたクララははっとして、慌てて自分の周りの本を拾った。
本を拾い終え、棚に戻そうと本の寝床を見上げてため息をついた。高すぎる。よくもまあこんなところから本を引っ張り出せたものだと、クララは数分前の自身に感心した。背伸びをすると、
「貸してください」
クララの背後にいつの間にか立っていた少女が、彼女の手から本をするりと抜き取った。そして事も無げに本を棚に納めた。
突然のことに驚き戸惑いながら半身を翻すと、少女との距離が予想外に近く、その淡いブルーの瞳が彗星のようにきらめいた。
「あ、ありがとう」クララはその輝きにぞくりとして、目を逸らしながら言った。
「他のも」少女はそんなクララに構う様子もなく手を差し出した。
クララは抱えていた本を全て少女に預けた。それから少女と本棚の間からわたわたと抜け出して、彼女が手際よく本棚へ片付けていくのを隣で見ていた。何もできないでいるもどかしさを誤魔化そうと、クララはほとんど無意識のうちにカーディガンの裾を掴んだり離したりしていた。
全ての本を片付け終えるのを見届け、クララは彼女にそっと近づいた。
「ありがとう。何から何まで助けてくれて」
「いや、いいんですよ、これくらい」少女は優しく微笑みながら言った。「それよりも、探していた本は見つかりましたか? 私が元に戻してしまっていたのでなければいいのですが」
「実は、それがまだで……」クララはメモを開いて少女に手渡した。「この本なんだけど……」
少女はメモを受け取ると目を素早く動かし、書き付けられた文字と地図を読み込んだ。
「ああ、この本なら」少女はメモをクララに返すと、すたすたと歩き出した。
クララは慌てて後を追った。
「海洋冒険小説の特設コーナーが作られたから、そっちへ移されたのでしょう」少女は振り向かずに言った。「そのことを教えてくれないなんて、その司書は不親切ですね」
「知らなかったんだよ、きっと」
少女はちらりと振り返り何か言いたげな視線でクララの方を見たが、何も言わずに再び前へ向き直った。
いくつかの本棚の間を抜け、受付カウンターの前を通り過ぎ、児童書のコーナーで少女は立ち止まった。
その特別な一角の壁には『海洋冒険小説』の文字が金色に彫り入れられた木製のプレートが掛けられている。本が並ぶはずのスペースにはボトルシップや碇のレプリカなど、海にまつわる雑貨が飾られている。
クララはその本棚の中央、『海底2万マイル』や『宝島』など古今東西の海洋冒険小説が並べられた棚に目を向けた。少女に見守られながら、背表紙のタイトルに片端から目を通して目当ての本を探していくと、
「あっ!」クララは思わず小さく声を上げた。
クララは棚に歩み寄りその本をゆっくりと取り出した。つるりとしたペーパーバックの装丁と、軽いが確かな重さに現実を感じて、微かな緊張が巡る。表紙を眺めてタイトルを確かめ、確かに探していたものだと頷いた。
探し求めていたのはまさにこの本だ。
「ありがとう。おかげで見つかったよ」クララは満面の笑みを浮かべて言った。
「それはよかったです」少女は穏やかに微笑んだ。「それでは私はこれで……」
「待って!」踵を返して去ろうとする少女をクララは呼び止めた。
図書館にあまり似つかわしくない声量に、少女は驚いて振り返った。クララは静かな空間にわずかに反響した自分の声と司書の冷ややかな視線に、気恥ずかしさを覚えた。しかしその感情を傍へ追いやり、続きを促すように首を傾げた少女にクララは言った。
「よかったらこれから喫茶店に行かない? いろいろと手伝ってくれたから、コーヒーか何かおごらせてほしいんだ」
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