第21話 対決

「豪太はさ、今楽しいの?それとも苦しいの?少なくとも俺には楽しそうには見えない。」


「何とも言えないな。そもそも二元論で話さないでくれ、そういうのは相対的だろ。加えて容易に変動する。刹那的な状態を語る意味なんて俺にとってはない。」


「じゃあ何を以って事態を判断するんだ、楽しいと苦しいっていう延長線上にある一つの基準を設けたんよこっちは、相対的っていうならさあ、比較的でいえるはずだろ。それに瞬間を語る意味がないってんならお前は何処を基準に生きているんだ。刹那の連続の上にあるのが生きてるってことでしょ。」


「だからそれが延長にあるかなんてわからないだろ。たとえ延長にあったとしても考慮すべき成分が多すぎる。幸せは?『楽しい』の成分をいくらか持つだろうな。悲しみは?『苦しい』の成分をいくらか持つよね。多くの感情が独自の『楽しい』成分『苦しい』成分を持っているんだからどれだけの枚挙的な演算が必要になるか。それを避けて考えたいと思っても、それは余計に変数を増やすだけになるし、無視を決め込むならそれは自分と相手を納得させるための単なる欺瞞の心持だ。…まあこんな風に言っているが実際はただ分からないんだ。考えても何も出て来やしないんだ。きっと考え過ぎた所為なんだろうね。どこを生きてるかって?俺はいつでも未来を見ているよ。可能性と言えばわかりやすいかな。そこにしか生きていないと思う。」


「そういう気持ちははっきりわかるんだな。そんだけ考えたりしてたら結局何にも分からないし何にも決めらんないのかと思っていたよ。何が違うんだよ、決まっているものと決まっていないものはさ。俺は今ありがたいことに幸せだよ。これは俺の価値観だし、細かな演算なんてしてない。だけどお前に欺瞞と否定される筋合いはない。二択が気に食わなかったのは理解できるし、二択だったとしても太極図みたいに双方の存在が相補完しあってのみ成立するものなのかもしれない。でもそんなことしたらほんとに右左も答えられない、懐疑主義にでも陥るぞ。どこかに豪太の確固たるものはないのかよ。」


「それについては確かにそうかもしれない。危険な議論に入りそうになってた。確固たるものか…。それこそ、栄人の言った太極図はいい例かな。混沌から陰陽が生まれ、さらには天地海、万物が創造される。道家ならば、道は一を生み出し、一は二を生み出し、二は三を生み出し、三は万物を生み出す。ここでの確固たるものっていうのはいわゆる即自、つまり原因のないものっていう認識でいいかな。西洋なら神だな。疑いえない絶対の存在のこと。俺にとっては栄人の質問はそれが『ある』かどうかを聞いているのと同義なんだ。俺はそれに答えられなかった。悪魔の証明だったから。でも、ある時気づいたんだ。世界の本質は『ある』にはないってことに。こういう言い方をすると『ある(sein)』と『なる(werden)』の話とか万物流転の話をされるんだけど、少し違うんだよ。世界の本質は『動き』にある。さっきさ、栄人は今幸せだって言ってたよね。『幸せ』って何?『幸せ』っていうのはさ、みんなそういう『状態』のことだと思ってるけど、本当は『幸せ』って想定したものへの上昇傾向の名称なんだよ。つまりお金持ちになりました、幸せです。じゃなくてお金持ちになりましたこれからいろんなことができるぞ。っていうことなんだよ。到達するんじゃなくて推進するんだよ。だって考えてみてよ。幸せが到達ならこの世界はとっくにどっかで停滞している。だのに世界はいつだって今以上を希求している。止まることを知らない。際限のない理想に向かって当然のように邁進している。あと自然においても光だって人間の感覚では瞬間を表し、現象の一面を持っているように思われるけど実際には速度があるし、何なら波だ。物質だって『ある』というけれど微細な粒子の構成物で、その粒子はブラウン運動している。なんと絶対零度下でさえ零点振動やゆらぎがあるんだよ。知った時には指を鳴らしたね。そうして化学、物理に目を向けるとこの推進力は『エネルギー』って言い換えられるんだ。『熱量』でもいいかもなあ。あくまでかぎ括弧つきのな。ああ、でもこの人文科学と自然科学が、形而上と形而下が感覚と理性の間で一致した時、それは限りなく真理に近いものだと感じるのは俺だけかい。つまりわかるだろう。俺の今まで言ってきたことは全てつながっているんだよ。成功も発奮も希望も全て、期待も信仰もあらゆることがエネルギーであり可能性であり俺にとっての光なんだ。」


「……それを言うならあの頃の豪太が一番光っていたと思うよ。自分でもわかってるんだろ。本当は戻りたいんじゃないのか。」


「あの頃か…いい思い出はたくさんあるよ。あの時にほとんど後悔はない。まあ後悔とかあんまする性格では元からないけどね。でもさっきまさに栄人が言ったように今はあの頃の連続の中にある。だからそういった話をするときはきっとみんな戻りたいんじゃなくて進みたくないんだと思ってる。そのうえで俺はやっぱり停滞はつまらないものだと考える。それを踏まえて今の俺を見てよ、お前の思うようにつまらなそうなんだろ。一面においてご明察。しかしそれを言うことでお前は間接的に昔の俺もつまらない人間であると言っていることになる。俺は変わってないのだから。お前が昔の俺に何を思っているのか知らないけど俺はずっと停滞していて昔っからつまらない人間だったよ。はじめっからそうと決まっていたかのように俺は動かなかった。ただ傍観していただけだ。」


「論点先取も甚だしいな。水掛け論を続けるつもりはないよ。片や豪太が変わったと言い、片や変わっていないと言っている。一方は客観で他方は主観だ。こういう場合公共性を持った方が正しいように思うけど?」


「稚拙なひっかけだな。栄人の言ってることも十分主観だろ。」


「ばれたか」


「何を言おうと正面から見たら長方形に見えた建物が上からみ見ると円だった、みたいにしか思えないな。観察者側の変化を考慮に入れないと。」


「埒が明かないから昔の豪太のことはもういいわ。そうだな…勝ち負けはドッジボールで決めようぜ。」


「はい?……いや、やってやろうじゃないか」

栄人はこの日初めて、豪太が笑ったのを見た。



二人は人気のない公園の方へ歩いて行った。公園の周りは明かりが灯っていたが中は全てが影なのかと思えるほど暗かった。


「暗い中のドッジボールは相当むずいぞ」志田は栄人とある程度の距離を取りながら足で砂に線を引く。


「近くに来るまで見えないからな。反応ゲーではある。」栄人は落ちてあったボールを拾った。


「対格差があるからなあ。余裕で勝っちゃうかもしれないけどいい?」


「ドッチボールなめんな。あの頃の悪夢を思い出させてやるよ。」


「もう七年くらい経ってんだよ。当時の強さとか全く参考にならんわ。俺がどんだけ強くなったか。」


「それはお互い様ですけど~。お前が俺に勝つのは百年早いわ」


「はい、墓穴~。ってことはやっぱ変わったんだね。認めましたこの人~」


「肉体的な成長を否定した覚えはありませーん。その話まだ続ける気?お水はもう結構です~」

互いが向き合った


「それでは始めますか!」

「ルールは!」

「取れそうなやつを落とした方の負け!」

「おけい!こいやーーー!」




***





疲れ果てた二人はベンチに座って晴れた夜空を見上げていた。


「あれオリオン座だ。」


「嘘つけ、冬の星座だろ。」


「試しただけだ。」


「はっ、オリオン座しか知らないんだろ。」


「は?知ってるから。てんびん座とか、牡羊座とか、みずがめ座とか…」


「形は?」


「…………餃子。」


「しょーもな。帰ろ。」


「いや、嘘、嘘、知ってるのはある。おおいぬ座だよ。好きで知ってるとか形を覚えたというよりあれはもう犬でしかないんだよな。うん、星座って納得度かなり低いけど、おおいぬはいいね。ついでにこいぬ座を見たら意味わからんかった。」


「夏のやつも一個覚えとくといいかもな。オールシーズン対応しとけ。」


「うん。餃子だな。」


「しょーもな。帰ろ。」


今度こそ、志田は歩き出した。しかし、栄人はもう引き留めようとはしなかった。その顔には笑顔があった。


「最後に聞いとくわ」


「ああ」


「今のお前ならさ、ペットのピータとお婆さん、どっちを助けるんだ…。」



「…ははっ。……栄人はやっぱり先生が似合ってそうだな。今日はありがとう。」


志田豪太は明るい方へと帰っていった。

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観測 清寺伊太郎 @etuoetuoduema

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