第19話 主人公

 もし本当にいたらどうしよう。笑って「久しぶり」って言ってくれるかな。私が探したから私から言うべきかもしれない。なんかちょっとだけ緊張してきたかも。なんかの偶然で同時に目があったりはしないかな。互いにわかりあったように楽しくまた話し合うのがいい。それで今度は服を買いに行こう。彼はあんまり興味がないようだから一緒に選ぼうかな。それとも意外と大学デビューしているのかもしれない。そんな心躍る想像をしながら波が引くように遠のいていく日の中、近くに公園がないか探した。


 少しして、広めの公園に着いたが、彼の姿はなかった。いつ最終手段を使ってもよかったがまだ少し歩きたい気分だった。この公園は遊具も何もないところであった。中央に円形のコンクリートに囲まれた噴水の柱が荒野に咲く一輪の花のように凛としてまっすぐ立っていた。重力がいつもより強く感じられるほどの暗澹とした平らな広場で唯一抗い、高さという概念を担っていた。子どもはもういなかった。先ほど両親に見守られながら防護柵を飛び越えて帰っていった子供が最後だった。代わりにスケボーを持った若者が少し増えてきた。彼らもまた平面な公園に抗っているように見えた。ざっと公園内を見回ったのでついに彼女は勇気を出して電話をかけることにした。スマホを見ると時刻は午後六時四十二分であった。ベンチに座って通話を押した。しばらくしたが、彼は出なかった。ならばと思い、彼にメッセージを残そうと文字を打っていると、


「ねえ。ちょっといい?」と先ほどまでスケボーを乗っていた男三人組から声をかけられた。


「はい、何でしょう。」少し警戒した。


「ごはん一緒に食べない?」後ろの男二人がにやにやしているのが見えた。私は愕然とし、また同時に少し失笑してしまった。なるほど、これがナンパなんだ、と芸能人を街中で見つけた時のようにその実在を目の当たりにした。しかしながら当然のように行く気はないし、いい気持ちもしなかった。経験がないとはいえ、こういうのに巻き込まれるといいことはないと分かっていた。瑠実らと東京に行った時には気を付けようと考えていただけに、まさか地元で巻き込まれてしまうとは、なんだか残念な想いだった。


「すみません、行かないです。まだ七時前ですよ。」


「あれ、まだってことは結構夜遊び慣れてるのかな。じゃあそれまでさあ、ちょっと暇つぶししようよ。何時からならいいかな、十時くらい?」


私は小さな溜息をついてしまった。彼らを理解できるように気持ちに寄り添ってみたがうまくできなかった。教育の問題だろうか、家庭環境は起因しているかも知れない。経済状況?いや単に寂しがり屋なのかも。雑多な同情要項は志田君に対する気分を阻害されたことの個人的な不服感の前に塵と化した。「私ももっと誰かのために考えて生きなきゃ...」そう思いながら、


「ごめんなさい。友人と待ち合わせているので、失礼します。」私は立ち上がって歩き出した。


「ちょっと待てって。」男は手を掴んできた。


「離してください」


神保にとってそれは想定外だった。彼女の相場では遊ぶのが無理そうな人間はさっさと諦めてしまうものだと思っていた。どうしよう。途端に恐怖が湧き上がってくる。力では絶対にかなわないと分かっていた。瞬時に助けを求める思考に切り替えた。周りを見渡したが誰かがいそうな気配はしなかった。大声を出そうと思ったが、大事にする勇気が私にはなかった。スマホを開き、切る前のままの画面から彼に電話をかけた。「お願い。出て、志田君…。」しかし数回の着信音の後、別の男に成すすべもなくスマホを取り上げられ電源を切られてしまった。


「べ、別に危害を加えようとしてるわけじゃないんだ。落ち着いてくれって。ただ一緒に遊んでくれればいいんだ。な?なぜ睨む?くそが、どうしてそんなに冷たいんだよ。女はみんなよ…真面目に生きてりゃつまらない人間だの言われ、だから体張って攻めてみれば…なんでそんな目で俺を見る。俺の何を知っている。知る前から否定するのは不公平だ!俺の生き方をもう否定するなよなあ。どっちがよかったとか今更言えねえんだよ。もう俺の好きにさせろ!」


口が手で押さえられ、体に触れられそうになった時、私は怖くて涙が出そうだった。しかしそれ以上は何も起きなかった。男たちの動きが止まった。助けが来た!


「おいおい、犯罪だろーそれは。警察近いぞ、こっから。」


スマホのライトを向けて背の高い男の人が堂々と判然と言った。すると男たちは「はっ?いや、あっごめんなさい」と情けない声で一目散に逃げていった。


「おい!犯罪だかんな!逃げんなよ!」


「いえ、未遂なので大丈夫です。すみません。本当にありがとうございました。」目を拭って私は何とか声を出した。


「いえいえ、とにかく無事でよかったです。落ち着くまで座ってた方がいいですよ。ちなみに僕はここからはもう近づきませんので。安心してください。」


「気遣いありがとうございます。ちょっと友人に連絡します。」私はゆっくり呼吸を整えた。


「ほんとに警察はいいんですか。こういうのがどういう扱いになるかは知らないんですけど。」


「状況とか諸々聞かれる羽目になるんでいいです。今日はもうゆっくりしたいですから。」


「それもそうですね。」彼は丁寧にバスケのシュートフォームの確認をしながら言った。


「あと、お名前って教えていただけますか。もし警察に言うことがあった場合に聞かれることもあるかもしれませんので。」


「確かに。もしかして感謝状とかもらえちゃいますかね。勿論いいですよ。私は安藤栄人と申します。」


「安藤栄人…あの、年齢とかもいいですか?」


「ん?18の大学生です。」


「…てことは同い年ですね、あれ、もしかして志田君の友達の安藤栄人君?」


「えー!ごーくん知ってんの!?」


「はい、あ、うん。中学の時一緒で、安藤君のことも何度か話してたから覚えてた。」


「そうかー中学はごーくんと違ったからなあ。でもよくそれだけで覚えてるね。ってことはあなたはもしかすると神保美奈さんかな?」


「そうです。なんでわかったのー?」


「俺はごーくんと小学校と高校で同じだったから。高校の時にね、神保さんの話はよく出たもんよ」


「私の話?どんなことを話していたんですか?」自分の知らないところで彼が自分の話をしていることに恥ずかしさと嬉しさを覚えた。


「まあそれは、彼のためにも黙っておこう」


「うー、気になる」


「大方のところ、成績優秀、品行方正、容姿端麗、才色兼備って感じに言ってた気がする(言ってはいない)」


「ほんとに?志田君なぜか私の評価高いような気がするんだよなあ」


「そこは俺が口を出すところではないが、にしても今のあいつはどうなってんだろうねえ」


彼のその言葉に私ははっとさせられた。志田君が絶対に変わらないという保証は確かにない。今までずっと昔の彼をイメージしていた。あの告白の日までの彼を。そこからは一度もあっていない。あの日以降に何か彼の本質的な部分が変わっていても何らおかしくない。すべて私の独りよがりな理解の可能性だって十分にある。そのことを示唆するような彼の声だった。間延びするような言い方だったのに線が強い。夜空に発せられるオーロラのように稀なのに説得力のある声だった。そして同時に安心感を与える声でもあった。


友人の連絡とともに私は駐車場に向かおうとした。面倒見の良い彼は、志田君の話がもっと聞きたいという口実で駐車場まで私を送り届けてくれた。明るいところに出ると、一層彼の容姿は映えて見えた。友人が見えたところで私は深々と礼をして別れた。友人が心配そうに駆け寄ってきてくれたが、詳しいことまでは話さなかった。

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