第16話 加護聡

気が付くと志田は目的地の駅に着いていた。地元らしい自動車社会の灰色と乾いた田園と畑の小麦色が郷愁の言葉の輪郭を浮かび上がらせている。懐かしい街並みである。ただしそれだけではない。確実に町は発展している。いつの間にか駅には知らないビルが増設されており、その建物を中心に広い年代層の人々が何人も行き来していた。専らその近くの広場にはカップルが多くみられ、夕日が彼らの影を一つにつなげていた。いい風景だと思った。どんなに自分の心が行為と矛盾していたとしても幸せな景色を見ることに罪はない。こういう風景を愛しながら僕は僕を愛せるようになりたいのだ。と言いつつもいつも僕は何かが起きるのを待つばかりである。この帰省も決心したとはいえ、何をするか具体的には全く決めてはいない。今実家に戻ったところで誰もいない。ならばこの町の新鮮と追憶を楽しみに散歩に出かけるのが最良であると考えて、駅の西口から外に出た。いつ読むかは知らないが父親に「帰ってきた」とひとまずLineをしておいた。


 西口から駅を出ると見知った居酒屋や薬局、少し離れたところに風俗が雑多に並列し、東口の清潔さに比べて、掃き出された人々にとって必要な心の膿を表している。まだ四時半であるのに早くも夜の雰囲気が漂い始めている。そんな煩い駅周辺を抜けて大通りに出るとその下には立派な川が太陽を受けて輝きながら流れている。所々に浮かんでいる石の洲には鴫が数匹いて、水面を啄んでいる。しかしトラックが近くを通り過ぎると、それによってできた影に驚いたのか、飛んでいなくなってしまった。すると、僕は途端に誰かに会いたくなった。今から会える人なんて、と半ば諦めの中考えていると、僕は近くに加護聡の家があったのを思い出した。


 昔、彼の家に訪れた時は分かりやすい萌黄色の壁に三角屋根の家であったためにすぐ発見できていたのだが、今はその場所に行っても見当たらない。考えてみれば引っ越していても全くおかしくないほど久しぶりの訪問なのである。連絡して確かめればいいものの、なんだか気持ちが挫かれてもともとが無理な訪問であったと自分を納得させて帰ろうとしていた。しかしその時、偶然にも青と黒を基調とした落ち着きのあるシックな家から加護聡が登場したのである。すぐに目が合った。


「あっ。」


「んっ?おっ?おお、らっくんか!久しぶり。どうしたん。」




  加護聡は中学を卒業後、地元の高専へと進学し工業系の仕事への夢を確実に進んでいた。


「いや~今さあ、家の本棚をDIY、所謂、ドゥーイットユアセルフを実はマイセルフでドゥイングしていたところなんよ。そしたら釘切らしてて今からバイイットマイセルフしようとしていた。BIM。」


久しぶりに会っても彼の調子は変わらないようで安心したが、同時に変わらな過ぎて驚愕もした。全く衰えを感じない彼の変なしゃべり口調は好き嫌いはあるだろうが、私はとても好きで面白い人間として完璧なるものの参考にしていた。


「久ぶりだなあ~聡。久しぶりすぎてもうお前の名前も顔も座右の銘も個人番号も思い出せん。」


「俺のマイナンバーカード覚えてんのかよ!怖いわ。てか聡って言っちゃってるし。座右の銘は適材適所じゃ。」ツッコミもできるクチである。最高だ。地元に帰ったらこんな楽しい友人がいるのはやはり恵まれている。時々幸せでないと感じてしまう自分を後悔するほどに僕の友人は僕に楽しみを与えてくれる。全く自分の気分の落差には溜息が出る。しかし、ひとたび楽しみの可能性を見出すと僕はどうしても完璧追及によって癖づいた最悪の粗探しが始めるのだ。「この『楽しい』は本当に楽しいといえるのか」その命題は十分に肯定できるはずのものであるのだがどうしても否定の根拠をぬぐえないものがある。「聡は俺といてたのしいのかなあ」相手の心など分かるはずがない。ならば、悪い方を想定した方が傷つかなくて済むのではないか。かの有名な長谷部誠「心を整える。-勝利をたぐり寄せるための56の習慣-」の応用である。しかし最悪の想定はその結果が最悪より良いことによっての安堵又は最悪が実際に起きても対処可能という意味で効果を十分に発揮する。そのため、結果が見えない人の気持ち、好意にはあまり得策であるとは言えない。楽しい会話であったのに僕は表情が少し曇った。


「せっかくなら付き合ってもらおうか」


「うん、行くわ」彼の用事に巻き込まれる形にはなったが、喜んで彼についていった。


 工具器具備品まではさっきまで歩いてきた道からさらに西へ離れており、坂道の直線を歩いて15分ほどのところにある。その道に沿って飲食店が連なっており、道中所々見える期間限定品に誘惑されながらも運動好きの彼らは走って目的地に向かった。


「ああ、疲れた。とりあえず俺が道案内してあげたから帰りはおんぶしてよね、流石に。」


「リュックの何がいいって背中を汚さずに寝転がれることだと思うんだ僕は。そうだろう?」


「リュックが汚れるのでそうは思いません。すみませんでした。」


店内にては


「おい、見ろ!ねじがあるぞー!らっくんが失くした何時ぞやのねじではないか。これで普通の人間になれるな!よかったじゃん!パチパチパチ、すごいすごーい。記念日だ、記念日。」


「どうもありがとうございます。祝儀の代わりと言っては難ですがはめるために電動ドリルが必要ですのでお買い求めいただきましょう。ね!あっ財布ないわ。ね!」


「ナットく出来ん。」


非常に軽快で愉快で少しひねった会話。お互いを高めあいながら息を合わせる彼ら固有の対話芸の雰囲気。漫才をやるような面白さではない。結局は身内のノリで終わるのだから。しかしその中にいくつもの趣向が凝らされている。加護聡は天性のものであろう。志田は自ら獲得していった能力である。その類似と差異が彼らの絶妙な興味のひかれあいを生じ、お互いに相手に飽きることなくふざけ、あしらい、受け止め、反撃する。夢中になって会話は続き、必要なものを買った後も回り道をしながらぶらぶらと加護家に戻り、仕舞いにはDIYの手伝いまですることとなったのである。



「まあ、動機なんて大したもんじゃないよ。」棚を組み立てながら聡は滔々と話し始めた。


「テレビを見たんだ。大工の仕事の密着みたいなやつかな。瑠璃光寺っていう山口にある五重塔の工事なんだけど、まあ古い伽藍だからさ、修繕方法も特殊でさ、当時の技術をそのまま使うんだ。鉄くぎとかも使わずによ。そんで黙々と作業する姿がなんかかっこよくて。今でこそ別に建築とかにこだわってるわけじゃないけど、当時はその姿を目に焼き付けた。変な話だよ。少し前まではかっこいいヒーローみたいなのに憧れてたのにな。でも何かを作ったり、変えたり、直したりするのって言葉だけでもすごくないか。言葉にしてみると大したことない物事っていくつもあるけど、工業はむしろ逆だよな。あの人たちはいつも過程の中にあるからさ、完成の瞬間にはもう役目を終えているんだ。だけど紛れもなく彼らが作った。ゼロをワンにした。そう、つまーり!私は、いずれ、新世界の創造主になるのでアール!」


真面目な話から一転ふざけたのは照れ隠しのようなものだろう。聡の夢に対する真剣さに僕は心を打たれた。そんな彼の創造の一端を僕が今、担えていることに喜びを感じた。ドリルは一つしかなかったので何故か僕が金槌で釘を打つことになった。思ったよりはかなりうまくできた。小学校の図工以来で、ほとんど経験はなかったが、力を無駄なく伝えるために垂直に当てる感じが手慣れたものであった。


「ふいー、終わったー、お疲れさん」


「やり始めると熱中するなあ、これは」


 僕たちは一仕事を終え、下の階へ降りた。特に長居する予定はなかったから帰ろうと思っていたが、そこを引き留めたのは聡の母であった。世間一般に言われる母親像の例には漏れないが、もともとスポーツをやっていたらしく、全体的に体格や姿勢がいいように思えた。しかししゃべると予想に反した高い声であり聞き違いかと一瞬思ったほどである。


「せっかく来てくれたんだしもう少しゆっくりしていかない?らっくんは時間とか大丈夫?」


「はい。特に予定はありません。それでは、お言葉に甘えさせていただきます。」そういって、聡の母が出してくれたお茶やお菓子を聡と二人で食べながらビデオゲームを始めた。すると上の階からドコドコと足音が聞こえ、先ほども僕たちの大工の邪魔をしてきた、ビーグル犬がまたも乱入しようとしてきた。


「こらこら、パン。邪魔しないの。俺たちゃ今、真剣勝負おっぱじめようとしているんだ。ハウスハウス!…まっ、ハウスはここなんですけどね。よほほほほほ。」べろんべろんに舐められながら嬉しそうに話す聡を見て、厭な思考が脳の底に泡立ったが切り替えてゲーム画面を注視した。犬は志田はには全く近づかない。「あれれ~照屋さんかなあ~」と聡の母は言った。






「お食事まですみませんでした。いろいろありがとうございました。それではお邪魔しました。失礼しまーす。」


「そうだそうだ。わしに感謝せい。」


「いいえ。君には言ってないよ。おつかれ。」家に背中を向け、片手をあげて僕はさっさと歩いて行った。別れるときはいつもこんな感じでラフでありたい。それこそ、楽しさの余韻を残すように、孤独との境目を意識しないように。


 


 駅が近いこともあり夜道はかなり明るい。しかし、近道のために裏道に入ったりすると途端に暗くなり、ちかちかと瞬く心もとない電灯が緊張感を持って迫ってくるようであった。歩いているときの体の揺れ。上下左右に揺れる視点は奥にぼんやりと続いていく夜道だと余計に気持ちを不安にさせる。映画冒頭で何かから逃げている人間の画角のように感じて気持ち悪いのである。振り向かずに後ろへの意識を強めた。しかしそれは徒労に終わり、僕は地下道をくぐって駅東側に出ていた。帰って何をしようかと現実をおろそかに考え事をしながら歩いていたためその先で見えた様子に少なからず僕は衝撃を受けた。神保美奈、そしてその隣には金色のメッシュが入った軽やかな髪を後ろに流し、ラフな白Tシャツをヴィンテージ感のあるジーパンにタックインさせている気障な男が歩いていたのである。彼をより一層驚かせたのが、よく見るとそ男が安藤栄人であったことである。

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