第14話 告白
「本当にゲームセンターでよかったの?」僕は彼女とゲームセンターという取り合わせがなんだか不自然な気がして尋ねた。
「うん。実はあんまり来たことなかったから一回来てみたかったんだ」二階から三階へ上るエスカレーターの上で彼女は振り返って楽しそうに笑顔を見せた。僕が一段下で彼女が一段上にいる。
先ほどの会話とエスカレーターのせいで自然と彼女の服装に視線が移る。白の暖かそうな生地のジャケットを少し緩めに着てその中に柔らかな灰色のスウェットを合わせていた。スカートは茶色のチェック柄であり、彼女が思っていたよりお洒落な人間であると遅ればせながら気が付いた。もしかしたらこのくらいは普通なのかもしれない。だが、僕がそういったことに無縁なために余計そう見えたのである。彼女の姿を何かに喩えてみようと考えたが、やはり彼女は彼女でしかなく、何にも形容し難かった。強いて言うのであれば、寒がりな彼女にとってはまだ少し、特に足回りは寒そうな格好であった。そしていい加減正直なことを言えば、とても似合っていて可愛いと思った。衣服の色やその形状はきっと彼女によって役目を与えられ、また一層優美で嫋やかであった。
ゲームセンター内は煩雑な機械音と人々の声が入り乱れていた。行き慣れている人ならば日常的なことであるが殊初めて来る人にとっては頭痛がするような場所だろう。彼女も例外ではなく最初こそ苦笑い気味に「すごいところだね」と言っていたが、数分経つとすぐに慣れ、雰囲気を楽しんでいた。ひとまず安堵した。志田は彼女に何がしたいかを尋ねようとしたが、ここはあえて積極的にリードすることを選んだ。「エアホッケー面白いよ」
甲高い音とともに縦横無尽に円盤が台上を滑っていく。志田が最低限の動きで攻撃と防御を共にこなすのに対し、神保の方は毎度「えいっ!」という掛け声とともに力一杯打っては円盤をなんとか目で追っていた。途中ボーナスタイムで小さな円盤が大量に放出されたときには思考放棄で乱打していたが、効果はあまりなく、むしろ手前に引いたときに自身のゴールに円盤を入れてしまうという始末であった。よってスコアは百四十対五十。志田は勝負で本気で勝ちにいってしまう自分の性質に絶望した。
「志田君、すごいつよいね。はぁ、はぁ、意外と体力いるんだね。でも面白かったなぁ」しかし彼女は楽しそうに笑っていた。また一つ安堵した。
志田は、彼女が楽しんでくれたことに大いに喜びながら、息を切らして上着を脱ぐ彼女に見惚れていた。あどけない笑顔にも拘らず、上気した頬は紅潮し、艶やかな表情であった。慌てて目をそらした。
そのあとは、クレーンゲームやら、太鼓の達人やら、少しばかりメダルゲームもした。一つ一つのゲームに対して彼女が新鮮な反応を見せてくれるので志田自身もゲームの楽しさを再確認しているようであった。しかしそれはひとえに神保美奈が隣にいるからであり、実際、彼女の反応を見ては、志田は自身の気持ちを確固たるものにしていた。帰り際、二人は一瞬写真シール機(プリント倶楽部)を視界に入れたが見てないふりをした。クレーンゲームで取った小さなぬいぐるみが二人の記念になった。
「そろそろ出ようか。結構遊べたね」
「うん、すごい楽しかった。今日はありがとね」
名残惜しさもあったが、僕らはショッピングモールから出た。時刻は五時三十分であった。僕は彼女を家まで送ることにした。もう取れる行動は収束している。その帰り道である。両脇には春をその蕾の中に携えた桜の木々が並び、いずれ来る瞬間を待ち望んでいるようであった。今しかないと思った。彼女の手を取った。
-そして僕は伝えるのであった。
当然の沈黙。彼女の顔は見れない。しかし何とか顔を上げると、彼女は心配したような困ったような顔で僕を見ていた。
「志田君、どうしたの?」-意味が分からない。これは拒否なのか。
「どうして泣いているの?」-泣いている?僕が?そんなはずは…
しかし彼は確かに泣いていた。その理由は始め分からなかったが、西日が遠くの建物の窓ガラスに反射し、濡れた視界に十文字の閃光がまぶしく感じたその瞬間、思い出すかのように理解した。今日は素敵な日だった。確かに心から綺麗な日だった。しかし、心臓が重く動く。
-「ああぁ、やっぱり、おれは、これは…違うよなあ…」涙が溢れてきた。
街路樹や空、光、土、建物、道路、車。色彩豊かな世界の中心に立ち、僕の方に振り向いた彼女の姿にやはり神聖なるものを感じずにはいられない。押し込まれた本音は懺悔のように彼女の前で痛ましくあふれてしまった。
「ごめん…。やっぱり…俺は、あなたに、恋をするべきではないと思う。俺はね、すごいやつに、自分に胸張れる人になりたかったんだ。でもなれなかったんだ。少なくとも自分を好きになれなかった。今の俺を見て多くの人は俺に深淵の闇があったように思うのかもね。でも違う。深淵などにはいないよ。俺は浅瀬でピチャピチャ泳ぎ回っているだけだよ。ずっっとね。安全だし平和だよ。でも人生に深みがない、濃度がない。それじゃあすごいやつになれない!すごいやつはいつだってもっと先にもっと奥にいる。特別な何かがある。その特別な何かの根拠となるような経験がある。その表情に、言動に、刻印されたような生々しい記憶の傷跡。ああぁ、いっそ地獄の体験をしたい!かわいそうになってみたい!なんだこの中途半端な苦しみは!代替可能な人生は!俺固有の苦しみを、俺固有の葛藤を、世界は俺にくれないから!自分はきっと幸せで恵まれているから!大好きな人が近くにいるから!相応に、生きなきゃ…。苦しむことも、絶望することも、認めはしない。だから笑う、だから楽しむ、だから信じる。理想的なものを、夢見ている。正解を…完璧なるものを…。だってさ、たとえばさ…たった一日でも、たった一瞬でも、あっただろうか?全世界の人が悲くて泣くことがなかった日は、すべての人が喜びに笑った日は!考えてみてよ、とっても素敵じゃないか。不幸な人を羨んでひねくれた時期もあったよ。正当に悲しみ、苦しめられている自分の境遇を不幸と定義できるからね。彼らは幸福に希望を抱いているだろう?不幸から抜け出すための正義の勇気ある歩みを胸を張って行える。ところだどうだ、このGDP世界3位だか4位だかのこの国で、能力、環境、諸々恵まれたはずの人間が『不幸だ』なんて言ってみろよ!彼らの希望は何処へ行ってしまうのか。せめてこんだけ生きて暮らせて悩めてしあわせなら、歯ぁ食いしばって、地面踏みしめて、『俺が幸福だ!』って…『幸せは確かにここにあるよ!』って…言ってあげなきゃ…。誰も彼も救われないよ。…なのにそれが俺を苦しめた。俺は人の『幸せ』になれなかった。完璧に向かっていた俺のアイデンティティの総体は最終的にバラバラになって、周囲の何かに、誰かに分散してしまったよ。それで周りの人間を擬えるだけの空虚な人間の抜け殻がさっきまでの俺なんだよ。だから…なんだ…何言ってんだろう…俺。ごめん。つまり…あなたはもっとすごい人と出会い、その人と幸せな未来へ進むのがいいと思うんだ…。とにかく、僕ではないんだ…」怒涛の言葉は口から勝手に出ていき、最後には解れていった。もうこの先にある未来は彼にも分からなかった。
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